第6話 平成4年式スカイラインGTRと年式忘れた10万円のアルト

平成4年式スカイラインGTRと年式忘れた10万円のアルト

    ~「覚醒」といってもアルトの方ですが~


プロローグ


昔あるところで、普通のセダンが普通に走っていたそうな。そしたら後ろから追いついてきたスポーツカーがあおり運転を始めたそうな。そして追い越しをかけようとした瞬間、そのセダンはぐっとテールを沈ませたかと思ったらものすごい加速でぐんぐん離れていったそうな。スポーツカーは全然追いつけんのじゃ。ドライバーは目が点になって言い放ったそうな。

「なんじゃありゃあ、まるで羊の皮を被った狼じゃあ。」

スカイラインGTRってそんな伝説の車でありました。



 1989年8月のことでした。

 世に中バブル景気に浮かれまくっている頃、ついにあの車が復活しました。スカイラインGTRであります。

 これほど日本中の車好きが待ち望んで期待して噂やスクープが飛び交って、そうして想像を遙かに超えた無敵ぶりを発揮した車をワシは知りません。2600CCツインターボ、4WD等無敵のメカニズムはここでは割愛させていただきますが、実際に所有してみてどうだったのかについて書かせていただきます。

 ワシは、どうやって資金を作ったのかは全く憶えてないのですが、平成4年の春にやっとの事でGTRを新車で購入しました。ディーラーまで取りに行っては始めて運転するGTRの印象は、一言で言うと「重い」車でした。クラッチもアクセルのブレーキもハンドルも重くて、なんかもっさりした動きの、イメージとはちょっと違う車でした。

 それまで乗っていたのが、同じくR32スカイラインのGTStTypeMという実に軽快な実に乗りやすい車だったので、余計にGTRのネガが目についたのかもしれません。それから1000キロ点検まで、エンジン回転3000rpmに抑えながらストレスためながら、とにかく丁寧に乗っていました。

 そうしているうちに何とか1000kmを迎え、点検出してオイル交換して、一応慣らしは終わったことにしようそうしようといことで、さっそく土曜日の夜に出撃してみることになりました。

 当時ワシたちは、土曜の夜に開通したばかりの山陽自動車道にドライブに行くというのが流行っていました。みんなが自分の愛車を持ち寄って、某インター近くのファミレスに集合して、コーヒー飲みながら打合せして、高速乗って、三つ東の某インターまで割と速く走るという集まりをやっておりました。今だったら絶対に無理ですが、当時はそういう時代だったのです。なにせバブルですから。チームは15人ぐらいでした。アラサーの落ち着いた方が多くて、ドクターから公務員の方まで割と社会的にしっかりした方ばかりの健全なチームでした。ワシ以外は、わりと裕福な方が多くて、ポルシェやBMW、ベンツとかもありました。

 久しぶりに参加した上に、GTRなんか乗って行ったものですから、ワシが横領かなんかしなんじゃあないかとみんながマジで心配してくれました。初めて愛車が注目を浴びて気恥ずかしい思をしたのを憶えています。

そうこうしているうちに、さあいこうかということになり、1台1台がマナーよくインターに入り、チケットを受け取って本線と合流です。しばらく走行車線を流し、みんながそろったらアクセル全開に近いスピードで競争が始まります。山陽自動車道が開通して間もない頃で、一般車両は少なかったのですが、安全に、迷惑をかけないように、逮捕されないようにをモットーにけっこう気を遣って走っておりました。だってみなさんある程度地位のある社会人だったのですから。

 当時、速かったのは外車でした。何とか無理して、ついて行くことはできても追い抜くことはできなかった。安定性がまるで違うのが、後ろを追いかけていてもわかります。特に法定速度を超えてからがすごい。一度運転させてもらったことがあるのですが、必死でハンドルにしがみついて直進保っていたのがワシの車だったとしたら、この程度の速度はくわえたばこに片手運転ですよっていう感じで、何か根本的に高速での安定性が違うというか怖くないというか、安心というか、それが外車の外車たる所以だったと思います。

 そんな状況で、ワシは初めてGTRの重いアクセルをぐいっと踏み込んでみました。すると、なんということでしょう。これまで味わったことがないようなすさまじい加速が始まり、あっという間にレッドゾーンに。シフトアップしても加速は一向に衰えないばかりか、すさまじい勢いでスピードメーターの針は跳ね上がっていくのがちらっと見えました。もうハンドル握りしめて、正面を見据えておくだけで必死です。

 気がついたら仲間の車を何台か抜いていて、カレラ2の後ろを余裕しゃくしゃくで追走しています。それでもGTRは路面に張り付いたまま、超高速コーナーを何事もなかったようにクリアできます。安定している。乗りやすい。と言うのが率直な感想でした。この速度ならピタッとくる。今まで重くて鈍重に感じた操縦性も全く違和感なく運転できる。ワシは初めて、GTRがいい車だと痛感したのでした。

 GTRは町乗り車ではありません。ある程度以上の速度域と運動領域でピタッとくるように設計されていたセミレーシングカーです。だから町乗りでは鈍重に感じた。重かった。これはオーバー200kmで安定して走れるようにセッティングされていたのだと初めて気がつき妙に納得した覚えがあります。要するにGTRは日産が作った初めて本物の戦闘機だったのです。

こうしてGTRとの蜜月が始まったのは、確か平成4年の連休前頃のことだったのですが、ひと月もするとだんだんともてあまし気味になってきたのです。

 まず気を遣う。当時のGTRはまだまだ人気があって、そのへんに路駐しておくなんて絶対にできませんでした。駐車場に入れたとしても、前後左右の車を気にして遠く離れた所にぽつんと止めたり、乗り降りや走る道さえもサスペンションやタイヤの摩耗を気にして、だんだんと必用最低限しか乗らないようになってきました。

 はっきり言って気を遣う。疲れる。高性能過ぎて私ごときの腕ではもてあます。ガソリンをとても食う。体調が悪いときには乗りたくない。ようするにGTRネガティブな面ばかりが気になってしょうがない状態になりつつあり疲弊するようになってしました。

 そんなときですけど、仕事帰り信号で止まってふっと左手をみたら、忘れもしない川西モータースというところに赤いアルトがおいてあって「10万円」というプライスが掲げられていました。

 ワシは思わずGTRの重いハンドルをくいっと左に切ってその店に入っていきました。

赤いアルトは前の型でしたが、④ナンバーで4MTでアルミホイールがついていて、走行2万弱でとっても程度がよさそうな気がしました。エンジンかけるととても元気で、内装もまあまあで、値段にしては上等だと思いました。ワシはそのアルトが欲しくなり、その場で契約して納車日を決めてしまいました。なんか嬉しくてわくわくして、秋の夕暮れの空に赤とんぼが飛んでいたのを憶えています。しかしワシは大切なことを見落としていて、次の夏になってとんでもないことになるとは夢にも思いませんでした。


 1週間後、ピカピカになったアルトが届きました。さっそく乗って見ますと、これが面白くてたまらない。小さい、速い、小回り効いてなんか楽しい。気を使わなくていいので店の真ん前にドーンと停められるし、混雑平気で燃費もいいど。惜しくないのでどんどん乗れるしどこでも行けるし、何より全損しても10万円。リモコンキーなし、パワーウインドウなし、タコメータなし、エアコンなし(はさっき気づいた。)のナイナイずくしだけど、そんなこと関係ない、必要ない。車の本質とはまったく関係ない、そんなことを思って楽しくてしょうがない、もうすぐ三十路を迎える私でありました。よく考えてみたら、こんなに気軽に付き合える車を今まで所有したことなかったなあと改めて思うワシでありました。

 こうして、アルトとの生活がすっかり気に入って、平穏な気持ちで毎日を過ごし始めたのであります。

 そいでもって、「GTRはどうなったか。」についてですが、GTRは、洗って磨いてガソリン入れて、友達の車庫が1台分空いていたのでお願いして、カバーかけて入れさせてもらって以来、すっかり冬眠状態になってしまいました。しかも出し入れが面倒だし、乗ったら乗ったで、カバーかけるためには洗車しないといけないしで、出して乗ることさえだんだん億劫になってきました。そうして滅多に動かさない巨大なフィギアと化してしまうのでした。

 でもね。いざというときGTRがあったからこそ、10万円のアルトがよけいに楽しく感じられたのだと思います。

 アルトに乗ってしみじみ思ったことは、車って本来こういう楽しい道具なんだということです。いろんな思いが入りすぎて、車との本来のつきあい方をすっかり忘れていたのでした。

 こうして私は禁断のセカンドカー生活が始まってしまったのです。

「 セカンドカー」ってなんて楽しそうな響きでしょう。本命車があって、それを大切にするために適当に選んで、足として割り切って乗る車のことですね。まあぶつけてもそんなに心が痛まない車。そんなに必死になって洗ったりワックスかけたりしなくても良い車。ちまたでは、セカンドラブ。セカンドライフ。セカンド友達。セカンドハウスなどいろいろな言葉がありまして、どれもこれも、まあ失っても本命があるから(いるからええか)という退廃的で甘美な印象さえあたえてしまう素晴らしい言葉だと思うのはワシだけでしょうか。

こうしてワシは、この10万円アルトのおかげで、セカンドカー生活にどっぷりはまっていくのでした。イエローハットにふらりと寄ったら、タイヤの安売りしていました。そういえばアルミホイールに浮かれてタイヤはあんまり気にしていなかったなあと点検してもらったら、

「山はあるけど、けっこう年代が経ってガチガチですよ。タイヤ交換しませんか。お安くできますよ。工賃サービスでいいですよ。」

って言われて待つこと30分。新しいタイヤを履いたアルトの乗り心地が、まるでクラウンみたいだったこともありました。やっぱりタイヤって何より大切です。何より驚いたのは4本で1万円でおつりがくるアルトのタイヤの安さでした。バッテリーもナフコで1980円ので上等です。レーダー探知機もカセットデッキも車内マットも、使わなくなって段ボールに押し込んであった以前の車のものを引っ張り出して、なんとか合わせて取り付けたら何とかいける大丈夫。こんな生活がとっても楽しくてしょうがない。

 友達の結婚式帰りの彼女を下関まで行ったのもアルト。実家に帰るのもアルト。彼女と遠乗りするのもアルト。仕事に行くのもアルト。ついにアルトの使用率が95%を超えるようになり、ますますアルトにはまって行くのでした。

 そんなに楽しかったアルトでしたが、納車が10月だったのでしばらくは気にもしませんでしたが、翌年の初夏になって、そいつがじわりじわりとやってきたのでした。

 死ぬほどの暑さです。アルトにはエアコンがありませんでした。そんなこと買う前から気にもしませんでした。O型の大雑把さで確認しなかったのです。平成になって、エアコンはついていて当たり前だと油断していたのだと思います。

 でも地球温暖化をなめてはいけませんでした。あつい。暑い。死ぬほど熱い。窓を全開にしても熱い。ブロワー全開でも出てくるのは熱風で、UVカットなんかこの世になかった時代でしたし、透明なガラス窓からは容赦なく強烈な日射しが入ってくるのです。昔はエアコンなんかなくても平気だったのに、ワシがヤワになってしまったのか、温暖化が急速に進んでしまったのか、考える前に熱中症になって死ぬかもしれないと思い知らされた平成5年の夏でありました。車内には汗吹きおよび日よけ用のバスタオルとうちわが必須のアイテムでした。そして、このままじゃあマジで死んでしまうと、あんなに愛したアルトをあっさり見限ったアホで根性なしのワシでありました。

 よく考えたら夏の間だけGTR出して乗れば良かったんですが、暑さで頭が壊れてて、そこまで知恵が回らなかったので、結局信用金庫でお金借りて、新車のセルボモードMセレクションに乗り換えてしまいました。

セルボモードについては、60万円ぐらいじゃあなかったかと記憶しています。マニュアルミッションで、クラッチ軽くてエアコンよく効いて、乗りやすくて快適でとても良い車でした。これ一台すべて事足りてしまうんですから。通勤通学、冠婚葬祭、ドライブに旅行、デートに不倫と大活躍ですっかり気に入ってしまいました。これでGTRの稼働率、たぶん月イチを切ってほとんど車庫で寝たままとなっていくのでした。

 でも、結局アルトみたいな気軽な楽しさは味わえませんでした。根っからの貧乏性が新車を使い倒すことに抵抗を感じるんですよね。いつでもどこにでも誰とでも気軽に道具として使い倒すことのできたアルト。あれから何台か軽自動車を所有しましたが、あのアルトの楽しさはいまだに味わえていないと思います。

GTRですか。すっかり冬眠生活になってしまいました。たまには乗ろうとしたらバッテリーが上がってエンジンがかからない。長時間駐車がタイヤやエンジンに良くないことは知っていましたので、最低でも月イチで動かしてやることがすっかり義務になり、やらんとオイルが下がり切りそうだし、走らんでも税金かかるし車検も点検もあるし、あー面倒くさと思うようになってしまいました。


エピローグ


 当時、ワシの住んでいたU市には、なんと「ニスモ」がありました。日産サニー店の裏にあって、販売や取り付けにも対応してくれていました。ワシはさっそくGTRのスピードメーターを260kmスケールに交換しました。そのときに県内にあったMサーキットで壮行会があることをしり、CRXに乗っている友達を誘って参加してみることにしました。

 ワシは、これでも少しは走ってきたので腕には自信がありました。それにGTRだし。そう思って、自信満々で初めてのサーキットにコースインしました。

 そうしたら、周りの車がみんな速すぎて、ついていくことさえできませんでした。それからサニーにも軽く抜かれて・・・。ワシはすっかり自信を無くして意気消沈して家に帰りました。GTRが悪いのではなくワシが下手だったのです。そのへんの走り屋を気取っていたワシとサーキットを走っている方々では、はっきりってレベルが違うことを思い知らされました。

 R32GTRとてもすごい戦闘機でした。これまでの国産車とはレベルが違った。でもその性能を引き出すには、ある程度の腕と経験が必要でした。ワシごときでは無理でした。グレーメタリックのGTR.。今でも元気でいてくれるといいなあと思います。

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