第4話 昭和60年式ブルーバードマキシマ~(ある意味)想像を超えていた(泣)~

昭和60年式 ブルーバードMAXIMA V6ターボ ルグラン

~(ある意味)想像を超えていた(泣)~


プロローグ


 もしもですよ。直4、1800CCぐらいのFRのファミリーセダンのエンジンルームを延長して、Z31に載っていたV62000CCターボ170馬力のエンジンを換装したら、どんな車ができると思いますか。

日産って、ときどきこんな楽しいことをやってファンを喜ばせてくれます。そうやって真っ先に思い浮かぶのが伝説のスカイライン54Bでして、元祖「羊の皮を着た狼」であります。



ブルーバードマキシマとして発売されたこの車は、きっとすごいじゃじゃ馬で、アクセル一踏みで、ホイールスピンしながら周りの車を蹴散らしていく。そんなことを想像したのは私だけではなかったと思います。そのCMも感動的でした。ジュリーの歌をバックに、アメリカのどっかの長い橋の上をワープしながらものすごく速く走る姿。それからキャッチコピーが入ります。「想像を超えていた。」「ブルーバードマキシマ誕生!」

しかも高級な車に見えましたから、あんまり興味が湧かないというか、自分には関係のない世界の車だと思っておりました。

 そうこうしているうちに、ワシの910ターボが、ワシのアホな行為のために壊れてしまいまして「修理費が高くつくのでいっそ買い換えたらどうですか。」とか親しいセールスさんに何度も勧められたりしまして、なしてか知りませんけど、気がついたらマキシマの契約書に判を押していたのでした。そして昭和60年の9月に白&グレーツートンのブルーバードマキシマV62000ターボルグランがやってきたわけであります。

初めての高級車、初めてのV6、初めてのFF(えっ?)何もかも初めてづくしです。資金は、またまた勤務先の互助会から借りまして、これで借金200万円8年払いの四苦八苦生活の始まりでした。


 そうやってマキシマとの密月が始まって、ついでに妻とも蜜月で、幸せいっぱい夢いっぱいの穏やかで平和で幸せな日々が流れていくはずだったのです。しかし、そうは問屋が卸さないのがワシの運命です。

 もう思い出したくもないですけど、分かりやすく時系列でマキシマとワシとのあり得ないエピソードを書き綴っていこうと思います。

 9月上旬、納車。ついにマキシマがやってきました。

 9月中旬、なぜかトリップメーターが故障して、日産に持っていったら、ユニット交換ごと交換してくれました。オドメーターも0に戻ったし、まあいいかっていう感じで、別に気にもしませんでした。これが新車の強みじゃなあと改めて感心しました。

 10月下旬の土曜日の午後のことでした。

 仕事が終わって開放一杯で、どっかに遊びに行こうかと交差点を左折したら、左折したときに後輪で縁石を引っかけてしまい、タイヤのサイドウオールがぱっくり裂けて、みるみるうちに空気がプシューっ抜けていきました。こんな光景初めて見たので驚くやら戸惑うやらで、たまたますぐ横にガソリンスタンドがあったので、とりあえずスペアに交換してもらいました。そのまま日産に持っていったら、修理不可能で、新品タイヤを買うはめになりました。ガーン。まあ他のタイヤはあまり摩耗していなかったので1本だけ交換で済みました。運がいいのか悪いのか微妙な一日でありました。

 11月下旬のこれまた土曜日のことでした。

 すっかりパンクのことなんか忘れていて、マキシマと穏やかな毎日を送っていた矢先のことでした。

 仕事帰りに、買い物があったので、いつもと違う道を通っていました。車の往来が激しい国道190号線の高架下を潜り抜けた直後だったと思います。何かがフロントガラスに当たったと思った瞬間、フロントガラス全面に細かくひびが入って前が見えなくなりました。ワシは何が起こったのか瞬時に判断することもできずに、何とか車を停めて降りてみたら悪魔のような光景になっていて気絶しそうでした。フロントガラスなんか割れたことないし、当時携帯もなかったので、どうしていいかわからずにしばらく呆然とするしかなかったと記憶しています。幸いにも日産が近かったので、何とか運転していって車あずけて修理してもらうことができたのですが、修理代10万円を自腹で払うしかなかったことと、しばらくは掃除をするたびにガラスの破片が車の中から出てくるので、とても嫌な思いをしたのを覚えています。当時の強化ガラスは、本当に結晶状に細かく砕けるのでケガはしなかったのが不幸中の幸いだったと思います。

12月24日の朝のことでした。いつも通勤で使っていた裏道の信号のない交差点で、通過寸前に、一時停止を無視した軽自動車が右側から突っ込んできて、新車だったマキシマの右側フロント部分が大破しました。買って半年も経っとらんのに、これでめでたくワシの大事なマキシマは事故車になりました。

 毎月のように、けっこう大きなアクシデントが起こるマキシマ。しかもだんだん事が大きくなってきています。いくら脳天気なワシでも、次は「人身事故」を意識せざるを得ない状況です。すぐに車を買い換えたい状況ですが、死ぬほど借金があって無理です。仕方がないので、慎重に無理せず、ゆっくりゆっくり乗っておりました。V6ターボやスーパーソニックサスなんか使っている場合ではありません。あと、お守り下げたり、神社でお祓いしたり、自分の言動を改めたりなど、本当に禁欲の毎日を送っていたワシでした。

 そうこうしているうちに、何事もなく、冬が終わって春が来て、それから夏になりました。苦労の甲斐あって、何事もなく平和に8ヶ月が過ぎていきました。もう大丈夫ですよね。安心して大丈夫ですよね。

 翌年の8月のことでした。

 今日は休みだから、帰省前に洗車でもしてすっきりしようと、少し早起きして、着替えて、駐車場に行ったらね。

 運転席のドアを開けたら、なぜか助手席にこぶし大の石が置いてあります。

 ???・・・

 パッと見たら、フロントガラスがかつて見た事のある悪魔の光景に・・・。

 フロントガラスが割れとるじゃあないですか。なんで?夢?。でも夢じゃあない。冷静に考えてみると・・・。

そうです。どっかのアホが、この石を思い切り。故意に、悪意を持って投げつけやがったんですよ。フロントガラス大破。石は勢い余ってフロントガラスを貫通して、助手席のシートの上に転がった、そうしか考えられない状況で、気絶しそうになりました。室内はまたもや強化ガラスの四角い破片だらけでもう大変です。

 やっと状況を理解した私は、すぐに警察に電話をかけました。ギャランに乗ってやって来たおまわりさんに、死ぬほど必死で説明しました。一応被害届をだしまして、犯人見つけて死刑にして欲しかったのですが、結局それ以降はなしのつぶてでありました。警察さん、忙しいのはわかるけど、せめて石の指紋採ったり、聞き込みしたり、それなりに捜査をして欲しかったなあ。

 警察の方がとっとと帰ってしまったので、日産に電話をしました。それから、知り合いのセールスさんに来て貰って、車を修理に持って返ってもらう時に、

「もう売ります。」

と、力なく言いました。

 まだ1年経っていませんけど、もう力つきました。もう、野たれ死んでも(お金がなくて)いいので、車を買い換えることにしました。セールスさんの方が、警察よりよほど親身になって対応してくれたと思います。まだその時は仲の良かった妻も賛成してくれました


エピローグ

 

「結局、マキシマはどうだったのか。」ということなんですが、想像していたよりずっとジェントルで、速いことは速いんですがなんかスムーズ過ぎるというか、ターボがどこで効き始めるかわからないというか、トヨタ的というか、一言で言うと「FFのマークⅡ」みたいな、まったく日産らしくない車だったと記憶しています。(マークⅡ、何度か試乗に行って乗ったことがありました)

 路面をセンサーで感知してショックの強弱を切り替えるスーパーソニックサスだとか、60タイヤとか、オートエアコンにパワーウインドウにパワーステアリング、ふかふかのシートに電動ランバーサポートまで何でもついていました。

 豪華で静かで、そこそこ速くて、見栄えが良くてエアコンもよく効いて快適な高級セダン。いい車だったと思います。

 しかし、当時の日産車を、しかもブルーバードを買おうという人は、そんな車を求めていなかったのではないでしょうか。ワシはすぐに

「確かにええ車。じゃけどワシの求めていた車じゃあないなあ。」と思いました。

結局、ワシみたいな速く走ることの大好きな若造には、マキシマの良さというか価値というか、それがまったくわかりませんでした。そして慣れてきたら、退屈な車じゃなあと思うようになってしまいました。ついでに言っておくと、高級で静かでエアコンよく効いて、乗り心地最高のマキシマは、これまでのどの車よりも女性ウケは良かったと記憶しています。


「車は売っても買っても損をするものだから、 気に入ったヤツととことんつきあいたい。」

尊敬していた故徳大寺有恒先生のありがたいお言葉です。

 私も、「間違いだらけ」第1巻から愛読させていただき、まだ車がないときは、先生の書かれた「間違いだらけの運転テクニック」を読みながら座椅子に座ってダブルクラッチの練習していたほどのファンでしたので、このお言葉をいつも心に焼き付けてはいました。しかし、そうもいっていられない状況が現実に起こり、また車を買い替えるハメになったのです。今考えると、きっとこのあたりから、車貧乏生活にどっぷりハマっていくのですが、ついでに新婚生活もギクシャクし始めていくのですが、まだ若くて世間知らずで楽天的だったので、それほど深刻になったり苦悩したりすることもなかったのは、不幸中の幸いというか、若さって素晴らしいというか、何か知りませんけど先のことなどあまり考えなくても生きていけた時代だったと思います。

 

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