第6話 イ号作戦

「ボルド少尉、幕僚本部はイ号作戦の遂行を皇帝陛下に上申し、先日それが議会及び皇帝陛下に承認された」


 カイネルの表情が僅かに歪んでいるようにボルドには感じられた。


「イ号作戦?」


 そう繰り返すボルドにカイネルは少しだけ頷いてみせた。


「人族特有のマナの暴走。これを利用する」

「は……?」


 予想外の言葉にボルドの思考がすぐには追いついていかなかった。


「男女を問わず、マナの暴走が可能な人族を中心とした特別部隊を設立。その部隊をもってして要塞都市グリビアを奪還。更にイスダリア教国への侵攻、最終的には有利な和平の成立を目指す」

「ち、ちょっとまってくれ、カイネル兄さん。人族のマナの暴走って、十七、八歳ぐらいまでたろう?」


 ボルドが思わず昔の呼び名で呼んだが、カイネルは特にそれを咎めることはなかった。


「子供を戦場に立たせるつもりか。しかも自爆して来いと?」


 ボルドの言葉にカイネルが頷く。


「長すぎた戦争を終わらせるためだ」

「馬鹿な。まだ子供だぞ!」


 カイネルに対する礼を失したままでボルドの口調が更に強まる。


「ボルド、お前が言いたいことは俺にも分かる。言われるまでもないことだ。だが、これは決定事項だ」


 怒りを露わにするボルドにカイネルが冷然と言い放った。


「馬鹿な。狂ってるぞ。それでもたらされた平和に意味があるのか……」

「意味はある。平和は平和だ。それに強制ではない。犠牲となった人族には手厚い補償を約束する」

「そんな札束で人の顔を叩くような遣り方が許されると思っているのか?」


 長い戦時下で困窮している三等国民の人族。この呼びかけに応える者も少なからず出てくるかもしれない。だがそれは決して国のためなどではないのだろう。自分や家族、そして周囲の者たちのために。それを想像することはボルドにとって容易だった。


「人道的な話、道徳的な話は議論し尽くされた。今この場で議論することじゃないし、お前の意見は聞いていない。繰り返すぞ。これは決定事項だ」

「……分かった。それはそれでいい」


 ボルドは言葉と感情とを飲み込むようにして、更に言葉を続けた。


「で、その決定事項やらと俺にはどんな関係があるんだ、カイネル兄さん?」


 ボルドの問いかけにカイネルは一呼吸を置いてから口を開いた。


「この作戦には十程度の小隊設立を想定している。そこの小隊でお前には指揮を取ってもらいたい」

「……何で俺を?」

「小隊を率いる者の条件としては二つある。一つは戦地で小隊を率いた経験が十分にある者。次いで、純粋な魔族である一等国民ではない者。これは長年の魔族と人族との関係を考えると仕方がない。歴史的にも、感情的にも大きな確執がある魔族と人族だ。いざその時となった際、それらの確執から魔族の上官に従わないといった事態を避けたい」

「札束で人の顔を叩いておきながら、よく抜け抜けとそんなことを言えたものだ」


 そのボルドの皮肉にカイネルは反論しようとはしなかった。


「そうなるとかなり限定されてくる。二等国民となると竜人族などの亜人種たち。そしてボルド、お前のような魔族と人族の血を引く者たちだ」


 カイネルの赤い瞳がボルドの顔を力強く見据えていた。


「特に小隊を率いた経験は重要だ。言っていることが矛盾するが、大事な子供たちの命なのだ。闇雲に突入させて自爆させることだけは避けなければならない」

「臨機応変に効率的に死なせてこいということか」

「否定はしない」


 カイネルの言葉にボルドは大きく溜息を吐いた。


「俺は御免だ。戦場で子供に向かって、今からあそこで死んでこいなんて言えやしない。それに俺はこの体だ。もうまともに小銃だって握れないんだ」

「お前も分かっているだろう。この指揮に銃を握る必要はない。大事なのは最前線での的確な突入時の判断だ。だからこそ、この人選は幕僚本部直々なんだ」

「いや、本当に待ってくれ。俺には無理だ。できやしないし、するつもりもない」

「俺とお前の関係だ。こういう言い方はしたくないのだが、ボルド少尉、これは命令だ」

「なっ……」


 冷然と言い放たれてボルドは二の句が継げなかった。最初に相談と言っていたのはどこの誰だと思う。


「ボルド、俺はこの犠牲をここで終わらせるつもりはない。和平を結ぶのはもちろんだが、人族の地位向上に尽力することを俺は約束する。この長すぎる戦争に終止符を打つんだ。そして、人族のその功績をもって三等国民の制度を廃してみせる。人族すべてを二等国民に引き上げてみせる。それがこの犠牲への詫びと代償だ」


 軍人を辞めて政治家にでもなるつもりなのかとの皮肉は言わなかったが、大言壮語だなとの印象は確かにあった。ただ皇帝に連なる一族であるこの幼馴染みであれば、それを成し遂げてしまえる気もしていた。


 母親が人族である以上、確かにボルドは人族の血を引いている。しかし、それは血を引いているだけの話で、三等国民の純粋な人族に対して何かしらの共感をボルドが持っているわけではなかった。そして、そうである以上は二等国民のボルドにとってみれば、純粋な人族が三等国民だろうが二等国民だろうが、あまり興味がないというのがボルドの本音だった。


「人族はさしたる理由もなく、三等国民として日々虐げられている。それを覆す機会が今、ここにあるんだ」


 まるで人族の代弁者だな。そんな皮肉を言いたくなったボルドだったが、それを言うことはなく言葉を飲み込んだ。そう揶揄するには余りにもカイネルの顔が真剣だったのだ。


 人族が政治的にも道徳的にも虐げられていることは否定しない。ボルドを構成する半分が人族だということを除いても、虐げられている現実がある人族にボルドは同情もする。だが、人族の血を引いてはいても自分の身を挺してまで人族を守りたいという気持ちなどボルドにはなかった。


 ボルドの中で様々な思いが交錯していた。その思いを抱えたまま、自分に向けられている魔族特有の燃えるかのようなカイネルの赤い瞳をボルドはその黒い瞳で見つめるのだった。

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