第13話 ラウレイオン

 老夫がピテュスの枝を打っている。

 傍らで松笠を拾う少女は、ふと丸い手で積もる針葉をすくい上げ、宙へと舞わせた。天に届かず葉はブロンズ青銅の髪へと降り注ぐ。彼は目元にしわを刻みながら幼子おさなごを叱ろうとして、顔色を変えた。

 琥珀こはく色の瞳の向く先、エクソミス上着一枚の姿が木立に見え隠れする。

 老人は少女を抱き寄せ、柔らかな体を真っ直ぐに立たせた。少女は不思議そうに見上げかけ、それを節くれ立った手が妨げる。あどけない好奇心あふれる琥珀の瞳は手をかざされ、自然と瞼に覆われた。


「半神の御方おかたがおいでだ」


 老人は自らも不動の姿勢で目を伏せ、ささやいた。少女が薄目で林の先を伺うと、遠い灰青色の眼差まなざしと出会う。彼女は慌てて強く目を瞑った。落ち葉を踏む音が消え入りそうに遠ざかる。


「半神の御方って?」


 少女は恐る恐る半目を開き、辺りに誰もいないことを確かめると老人にすがりついた。彼は髪を撫で松葉を落としながら語りかける。


「この松林の先が聖域なのは知ってるだろう?」

「うん。山の魔女から守ってくれるんでしょ?」

「ああ、その聖域は半神の御方のものなんだ。魔女の町と人の町の間に、あの方が松を生やし、千里眼から我々を遠ざけてくださったんだよ」

「神様?」

「神様に近い英雄だ。人が今よりずっと長い命を持ち、心も体も強かった昔のかたで、我々と同じではないんだよ。だが、不死の神々ではなく、我々と同じ死ぬさだめを持つそうだ」


 それから老人はかがみ、少女と目線を合わせて勾配を見上げた。見渡す限り松に覆われ、山の奥は隠されている。

 只、それを登って行けば『魔女の町』と恐れられる石造りの街並みがあることを彼は遠い少年の日に見知っていた。裸山にその石が見えた時、彼がどれ程、震えたか。その恐怖を少女が知らず過ごせることが彼には有難かった。


「死ぬべき人の身で魔女にとらえられながら、ラウレイオンの者達を守ろうと戦ってくださっている。これはその知恵の松林なんだ」


 少女の手を取り、彼は曲がった幹にもう一方の掌を当てる。そうして祈るように一本、また一本と触れながら、人影の過ぎた辺りへと二人は近付いて行った。


「だから、食べる松の仁、皮なめしの樹皮、松精油を作る松脂、松は宝をくれるが、麓の林を超えて聖域から採ってはダメだ。お前もちゃんと守るんだよ」


 彼は足跡にオリーブオイル橄欖油を捧げる。そして、少女の手を導き、彼女の松笠で一番良いものを隣に置かせた。



――この地をどれ程、慈しんでも人の子の手からはこぼれ落ちる。

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