第三章 懲悪する惡

第一話 過去


 繁華街の外れにある。雑居ビルの地下に、そのバーはある。


 繁華街は、今日も噂話に花が咲いている。都市伝説から、街で発生した事故や事件の話。

 たくさんの噂が存在している。


 今日も、歓楽街の一つの店では、噂雀の3人が聞いてきた噂話をしている。


「知っている?」


「何?」


「雑居ビルの地下にあるバーの話」


「え?何?知らない」


「昼間しか営業していないバーらしいのだけど、夜にバーに訪れると・・・」


「え?ホラー的な話?都市伝説?あのバーなら知っているけど、昼間しか空いてないよ?夜に行っても暗いだけだよ」


「うん。だから、強い。夜を焦がすくらいの”願い”が無いとダメ。”願い”の手助けをしてくれるみたい」


「手助け?」


「そう、”手助け”。それ以上でも、それ以下でもないって話だよ」


「へぇ・・・。でも、でも、あのマスターって・・・」


「うん。不思議だよね。いろいろ知っているけど、流行の話とかには疎いよね」


「うんうん。なんか、子供から急に大人になったみたいな人だよね。すごくかっこいいおじさまなのに・・・」


「そうそう。それに、カウンターの奥の席には誰も座らせないみたいだよ」


「えぇ・・・。意味深」


「なんかね。私の友達が、聞いた話だけど・・・。マスターの死んだ奥様のための予約席だって・・・」


「えぇ嘘・・・。私は、あの席は、マスターの親友の予約席で、あのドライフラワーの送り主だって聞いたよ」


 変わったマスターが営む。バーシオン。

 昼間だけの営業時間だ。営業時間外に訪れる場合には、強い願いが必要になる。雑居ビルの地下で、本日も営業している。


 太陽が西に沈む時間になり、マスターが、”CLOSE”の札をドアに掛ける。

 歓楽街は、これからが稼ぎ時だ。しかし、バーシオンは、歓楽街が起きだす時間に店を閉める。歓楽街に遊びに来る人間を癒すのは、自分たちの役目ではないと思っている。このちょっとだけ変わったバーは、歓楽街で疲れた人たちを癒す人たちに、安らぎを与える場所だ。


「マスター」


「なんだ?」


 マスターは、奥から二つ目の椅子に座る男を見る。客の中では、常連だと思われている男だ。

 このバーには、いくつかの約束事がある。


・カウンターの奥の席には、座らない。

 店が混んでいても、”Reserve”の札が置かれたままだ。


・料金はチャージする。

 暗黙の了解になっている。そのために、一見は基本に入ってこない。誰かの紹介が必要になり、紹介者のデポジットが使われる。


・マスターを含めて他人の詮索はしない。

 名前も本人が名乗らない限りは、呼び合わない。


「定期便を持ってきた」


「・・・」


 マスターは、男から資料を受け取る。


「マスター。アラスカをお願い。資料を読むのでしょ?待っている間に、飲ませてよ」


 マスターは男の方を睨んでから、シェイカーを取り出す。

 ドライ・ジンとシャルトリューズ・ジョーヌをカウンターに並べる。シェイカーに注ぎ込んでから、シェークする。


 カクテル・グラスに注いでから、男の前にコースターを置いて、グラスを乗せる。


「ありがとう。”偽りなき心”。まるで、僕のマスターに対する気持ちだね」


「うるさい。黙って飲め」


「はい。はい」


 男は、グラスを目線まで持ち上げて、壁に飾られているドライフラワーにグラスを捧げるような仕草をする。

 マスターは黙って、男の仕草を見てから、資料が表示されている端末に目を落とす。


「おい」


「何?」


「これは、本当なのか?」


「失礼だな。僕が、マスターに対して、嘘を知らせるとでも?」


「すまん」


「『裏も取った。続報もすぐに知らせる』先生からの言葉だよ」


「そうか・・・。そういえば、先生は伊豆に引っ越したのだよな?」


「あっうん。土肥だよ。土地勘があるよね?」


「あぁ。そうか、土肥か・・・。引っ越しの祝いを用意しておく、今度、持って行ってくれ」


「わかった」


 男は、グラスに入ったアラスカを飲み干して、席を立つ。


 ドライフラワーの裏側で、中学生が笑っている写真を寂しそうに見つめてから、店を出ていく。


 マスターは、男が飲み干したグラスを片づけて、使った道具を洗う。いつものように店の中を見まわしてから、奥にある部屋に入っていく。事務所兼住居になっている。マスターは、こことは別に部屋を持っている。他にも、郊外になるが一軒家を所有している。しかし、帰ることは殆どない。狭い、事務机とソファーベッドだけが置かれた部屋がマスターのすべてで、世界のすべてになっている。


 表示されている情報を、凝視している。

 長い間、待っていた瞬間が近づいてきている。


 望んでいないのは解っている。

 理由も必要だ。そして、最初で躓くわけには行かなかった。


 マスターの過去が追いついてきた。


 マスターの過去は、一部の者を除いて知る者はいない。

 22歳から、43歳までの21年間。マスターは、隔世の感から取り残された場所で過ごした。


 マスターは、その事を後悔していない。自分がやらなければ、マスターの大切な人がやっていた。そして、マスターが大切に思っている者たちを傷つけたかもしれない。

 ただ一つだけ、マスターが後悔しているのは、自分一人ですべてを終わらせられなかったことだ。そのために、マスターが大切にしていた物が壊された。


 マスターの大切な人も、マスターと同じように、22歳から、隔世の感から取り残された。そして、現世には戻ってこなかった。


 マスターは、大切な人が戻ってこなかった現実を受け止めて、裏社会とも言える場所に足を踏み入れた。そして、大切な人の情報を求めた。情報の対価として、”懲悪”を執行する”惡”となった。


 それから、3年の月日が流れた。

 大切な人が好きだった花は、ドライフラワーになり、マスターは本名を名乗らなくなった。


 マスターは、タブレットに表示される情報を何度も何度も読み返す。


 マスターと大切な人が、起こした事は、許される事ではない。本人が、痛いほどに解っている。しかし、二人には、選択肢が用意されていなかった。弁解しようとは思わない。すべての事柄を飲み込んだ。自分たちが起こしたことが、間違いなのか、正しいのか、判断はしないと宣言した。自分たちが、正義だとは思っていない。ただ、自分が正しいと考えた行為だったとだけ告げた。それ以降は、何を聞かれても答えなかった。


 マスターの手元に来た、待ち望んだ過去からの情報。


 マスターは、25年。大切な人は、長くても12年だった。マスターが21年後に友を訪ねてみれば、友から告げられたのは、大切な人の死だった。友の静止を振り切って、情報を求めた。友も協力を申し出たが、マスターは断った。これ以上、友を巻き込むつもりはなかった。


”どうした?”


 友に連絡を入れる。

 それが、友から告げられた条件だ。関わらないための・・・。マスターがやろうとしている事を邪魔しない変わりに、状況の連絡を入れろという事だ。


『お前の予想が当たりだ』


”そうか”


 パソコンから流れて来る友の声は、マスターの気持ちを現実に引き戻すには十分な強さを持つ。


『悪い』


”いいさ。すぐに動くのか?”


『いや、まだ解らない事がある』


”そうか”


 マスターには、友が何を考えているのか解らない。友には、社会的な地位も妻も子供もいる。今度、孫が産まれる。本来なら、マスターと関わらない方がいい。しかし、マスターから何度・・・。何度も説明をしても、距離を置こうとしても、意味がなかった。友は、マスターを探し出して、連絡してくる。

 その都度、友が危ない橋を渡っているのは知っている。

 だからこそ、マスターは・・・。最後は、友に連絡をしようと思っている。


 すべてを終わらせてから、友に連絡をする。

 それだけが、ケジメだと考えている。そして、マスターが最後にしなければならない事だ。


 ドライフラワーとともに飾ってある古ぼけた写真。

 その中で、マスターに似た中学生と、マスターの横で不機嫌な表情を浮かべる中学生が写っている。その二人を愛おしい表情で見つめる少女が一人、不機嫌な表情を浮かべる男の腕に捕まろうとしている少女が一人。


 マスターが戻りたいと思っても叶わない関係が、写真には・・・。

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