4 頑張ります。

 初志の話が出て以降、微妙に重い雰囲気が続いた。

 そうこうしているうちに、今日はもうお開きということになり、崇正の家族は帰っていった。

 煉瓦積みの洋風建築の中に残されたのは、崇正と深雪の二人だけだ。


「……あの」


 初志という義兄のことを聞きたくて、深雪が話しかけた。


「義兄さまがわたしのことをあまり良く思っていないとか、そういう話を善弥くんが言っていましたが……」


 周囲の雰囲気に深雪は疎い方だが、それでも、さすがに先ほどの固まりようが普通ではないことに気づいていた。

 冗談の類ではなく、まだ見ぬ義兄が本気で自分を嫌っているのだろう、ということを察した。


 連れ出されてから常に元気であった深雪の狐耳が、今ばかりは力無くぺたんと折れている。


「……その」


 崇正は困ったように眉根を寄せつつ、


「……確かに、初志兄さんは深雪のことを良くは思っていないんだ。だから、あえて外して今日呼ばなかった」


 義兄が深雪を嫌っていることを認めた。

 深雪はそのことを悲しく思いながらも、しかし、その一方で『仕方ない』と思う気持ちも抱いた。

 狐憑きであるから、嫌う人がいるのは当たり前なのだ。

 でも、先ほど他の家族からは明るく迎えられていたこともあって、落差があると言うのはかなり堪える。


「……深雪は何も悪くないからね。兄さんは視野が狭いんだ。悪い人では無いんだけれど、なんと言うのかその、堅物と言うか……」


 深雪は俯いたまましばし考える。

 どうしよう、と。

 けれども、いずれ避けては通れない事でもあると感じたので、やがて自分なりの答えを出した。


「だ、大丈夫です」

「深雪……?」

義父おとうさまも義母おかあさまも善弥くんも、みんな優しい人だと思いました。わたしの耳を見ても怖がらなくて」

「……」

「だから、きっと、義兄おにいさまも心根はそうなのだと思います。直接会って、わたしを知って貰えれば分かって貰えると、そう思います」


 それは、深雪の本心であり決意であった。そして、それを聞いた崇正の表情が緩む。


「そうだね。きっと兄さんも会えば分かってくれる。……式にも呼ぶつもりは無かったけれど、兄さんも呼んでみるよ」


 崇正は深雪の選択を肯定し、それゆえに式に呼ぶつもりになったようだ――と、そこで深雪は首を傾げた。


「どうしたの?」

「あの……式とは?」

「結婚式だけど」

「結婚式……」


 白無垢を着る結婚のお披露目の行事。深雪もそれ自体は本で見た事があり、知ってはいた。ただ、自分がそれを行う可能性をまるで考えていなかった。

 けれど、考えても見れば結婚するのだから、式を挙げたとしても何らおかしくはない。


「……さすがに親戚は呼べないし、深雪の実家もまず来ないだろうから、うちの家族だけでやる本当に小さい式だけどね。あ、でも写真も撮るよ?」

「写真……?」

「あぁそっか知らないか……。なんて言えば良いのかな。白黒だけど実際に目で見たような形に映る絵と言うか……。まぁその時になれば分かるよ」


 良く分からないけれど、色々とあるようだ。

 深雪は式が少し楽しみになった。

 規模が小さいとか、来る人が少ないとか、そういうのはどうでも良い。


 そもそも深雪は何かの行事に参加したことがなくて、今回が初めてで、自分が主役でもあるというのが嬉しくて、だから目尻が下がった。

 力なく折れていた狐耳もぴこっと動いた。


「楽しみにしてくれているようで良かった。……それじゃあ、今日はもう遅いから寝ようか」


 言って、崇正が「おいで」と二階に上がったので、深雪もその後をついていった。すると、角部屋を「自由に使って良いよ」と案内された。


 ふと、深雪は何かおかしいような気がした。確か夫婦と言うのは、床を共にする仲だ、と以前に本で見たことがあるのを思い出したのだ。

 なぜ同衾するのかは分からないけれど、ともかく、そういう風にするのが夫婦だとあったのである。

 だから、寝床が分かれるのは変だと感じたのだ。


「あの」

「うん?」

「……一緒に寝て下さらないのですか? 夫婦だというのに」


 知識ではなく世情に鈍いがゆえに口走ったことであるが、本来は大変に危険な誘いを含む言葉である。

 言う相手が崇正であったのが幸運であった。


「だ、駄目だよ女の子が自分からそんなことを言っては。式もまだなのに」


 言って、崇正はみるみるうちに顔を真っ赤に染め上げる。


「女の口から言っては駄目なのですか……? では、旦那さまから言って貰えればと」


 淡々と深雪が述べると、崇正は赤くした顔を更に赤くしながら頬を掻いた。


「……わ、分かった。そうだよね女の子に言わせたら駄目だ。こういうのは男から言わないとね。……式が終わってから、それから一緒に寝るようにしよう」


 なぜ式が終わるまではと崇正が言うのか、深雪にはそれが良く分からない。男女同衾のその意味や意図を知らないがゆえだ。

 もしも分かっていたのならば……自分の吐いた言葉に羞恥を抱き、それこそ崇正よりも顔を真っ赤にして、この場から走って逃げ出していただろう。





 部屋の中にあったのは布団ではなくベッドだった。

 乗ってみると、ギシ、と音が鳴る。

 なんとも言えない初めての感触で、じたばたして跳ねたりして見たい気持ちに駆られたものの、壊してしまってはいけないと大人しくこそっと入った。


 幾らかの高揚感があって、中々寝付けない。けれども、深雪は目を閉じて無理にでも早く休むことにした。

 過去を振り返ったりとか、色々と考えたり思ったりしたいことはある。

 でも、明日から深雪は妻として生きるのであって、つまりその立場としてやるべきこともあるのだ。


 初日から寝坊はしたくない……。


 妻が何をするべきかについては、深雪には本で得た知識しかない。しかし、それでも頑張ろうと思えた。崇正の優しい笑顔が脳裏に浮かぶ。なんだか、その笑顔の為なら頑張れる気がしたのだ。

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