5年後の2020年、夏

小雨が降る日曜日の朝、僕は大阪東住吉区田辺の恩楽寺という寺に来ていた。ある追悼式に初めて参加していたのだ。その追悼式とは75年目となる「7、26田辺模擬原爆追悼のつどい」である。終戦から75年目の2020年7月26日、75年前のこの日、広島に原爆が投下される11日前、大阪にも原爆が投下されていた。だが実際は本物の原爆ではない。模擬原爆という名の爆弾だった。アメリカ軍は、広島·長崎に原爆投下する為の訓練(練習)として日本全国49ヶ所に模擬原爆という爆弾を投下していたのだ。そのうち一ヶ所が大阪東住吉区の田辺だった。その模擬原爆は長崎に投下された原爆と同じ形で(パンプキン)と呼ばれていた。1945年7月26日木曜日、朝9:26に模擬原爆は、今の田辺小学校の北側に投下された。7名の犠牲者を出したという。10年以上前、終戦記念直前の特集として放送されたテレビのニュース番組の中で「実は、大阪にも原爆が投下されていた···」と放送されていたのを観て初めて知った。放送されたのが7月26日だった。2001年4月に、こういう悲惨な事実を多く人に知ってもらいたい、と、石碑を建立したという。後日の休日に、その場所に行ってみると、確かに、真新しい石碑が建っていた、そのすぐ横の掲示板に、その場所に投下した模擬原爆(パンプキン)の写真が掲示されていた。地下鉄谷町線田辺駅から南へ100mほど行った、長居公園東筋という車道沿いに建っていた。そして、毎年7月26日に石碑の前で追悼のつどいを行なっていたという。その後も数回、その場所に立ち寄ったりしていた。しかし、追悼のつどいに参加する1年ほど前、マンション建設によって石碑が無くなっていた。石碑があった場所に、その石碑のシルエットが描かれ「石碑は移動しました」と書かれていた。どこに移したのか解らなかったが、2〜3ヶ月後にまた行ってみると「石碑は恩楽寺に移動しました」と書かれて、現在地から恩楽寺までの道順も書かれていた。恩楽寺に行ってみると、門の前に移動させられていた。2020年度の追悼のつどいに参加してみたいと思ったのだが···

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