70年を超えて

70年が過ぎて、71年目の夏を迎える前、自分は、また広島を訪れた。このところ、毎年広島を訪れている。必ず訪れている原爆ドームと平和記念公園、相変わらずの人手だった、しかし、今回は、市街中心部から少し南に下りた所にある御幸橋と、広島赤十字·原爆病院に行ってみた。御幸橋は、見たところ、ごく普通の橋のように見えた。1969年に、老朽化の為、掛け替え工事が始まったが、幹線道路だった為、一度に改築できず上下半分ずつ掛け替え工事を行ったので、長期間かかり、21年後の1990年に竣工した。橋のふもとに、一枚の写真が飾られたモニュメントがある、原爆投下された時の写真みたいだ。爆心地から2270m離れていたが、爆風で大きな被害を受けた、しかし落橋自体は免れた為、宇品方面に避難する被災者が橋に殺到し混乱と凄惨をきわめた。原爆投下当日の午前11時頃、カメラマン、松重美人によって撮影された。松重美人は、勤務先の中国新聞の向かう途中、橋の西詰で爆心地方面から逃れて応急手当を受けていた被爆者の群集を目の当たりにして写真を撮影した、この写真が被爆当時の広島市街中心部を撮影した唯一の写真となった、原爆投下当日の悲惨な光景が映し出されている。御幸橋から少し行くと、広島赤十字·原爆病院がある、原爆投下時、病院に保管していたレントゲンフィルムが被爆で感光していた為、原爆の使用が立証された、また、佐々木禎子さんが入院していた病院でもある。1939年に日本赤十字社広島支部病院として開院、原爆被災時、3階建ての病棟は輪郭を残して大破したが、類焼を免れた。しかし1993年に老朽化の為、旧建物を取り壊し、新病棟に移行。原爆の被害を受け、爆風により、ねじ曲げられた窓枠や窓ガラスが突き刺さった壁の一部が、広島市の被爆建物保存事業の第1号として、保存されている。さらに、2013年に改築に伴い病院から140m先に「メモリアルパーク」を設け、壁の一部は移設された。広島を何度も訪れ、原爆の傷跡を見て回り、戦争の悲惨さが、解ってきたような気がしてきたようだ、しかし戦争は無くならないようだ。

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