広島に原爆投下

8:15に、エノラ·ゲイから放たれた原爆(リトルボーイ)は、43秒後に、島外科ビルの600m上空で炸裂、凄まじい閃光とともに、巨大な火の玉となり、広島市をのみこんだ、太陽の100万倍もの威力で、広島市を壊滅状態に。そして、巨大なキノコ雲を作り上げた、1万m上空にまで、キノコ雲は立ち昇った。おそらく、原爆を投下したB29は、そのキノコ雲を撮影していたのだろう、テレビ等で、キノコ雲の映像をよく目にした。600m上空で原爆が炸裂した時、広島市内はどんな風になったのか?炸裂した瞬間に紫色の不気味な光が放たれたかと思うと、そのすぐ後に強烈な閃光が走り、直後に100万℃の巨大な火の玉となった。100万℃の高熱によって発せられた熱線が広島市内を焼きつくし、そのすぐ後、爆発音と共に、衝撃波が市内を襲った、木造家屋等、半径2Km以内の建物はその衝撃波よって破壊され、爆風によって吹き飛ばされた。産業奨励館は爆心地から、僅かしか離れていなかったはずだったが、全半壊を免れていた。その周辺の建物は、ほとんど跡形もなく破壊されていたみたいだが。そして巨大な火の玉は、しだいに灰色の雲となり上空ヘ昇っていった、それがキノコ雲ヘと成長していった。更に、大量の放射能も降り注ぎ、多くの広島市民に浴びせられた。その為、放射能汚染に被爆して、死に至らしめられた市民が多かった。被爆当時、体に異変が無くても、数日後に突然変異が出てきた人も···。一方、エノラ·ゲイの乗組員は、こんな恐ろしい物を落とすなんて、複雑な気持ちもあっただろうか?国からの命令とは言うものの。原爆投下に向けて出発する前、テニアン島では、アメリカ軍第59混成部隊の隊長、ポール·ティベッツ陸軍大佐は乗組員にこう告げたという「いま我々が落とそうとしている爆弾は、これまでの爆弾とは違うものだという事をよく覚えていて欲しい」と。原爆を投下した後、キノコ雲を目の当たりにした乗組員はどんな気持ちだったのだろうか?後にテイベッツ氏は日誌に「驚いた。いやショックを受けたと言っていい。わたしが想像したより、はるかに大きい破壊が行われたということだ」と書かれていた。

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