2度目の広島訪問

次に広島を訪れたのは、4年程前の8月の終戦記念日。この日は快晴で、かなり蒸し暑かった。この日に訪れたのは、原爆ドーム·平和記念資料館、あと、旧日本銀行広島支店·袋町小学校平和資料館、さらに爆心地にも行ってみた。原爆ドームから少し東に行った、島外科のビルの前に爆心地の石碑が建っている。原爆投下の目標は当初、T字型の相生橋だったが、風の影響で流され、大きくずれたという。爆心地の前に来た時、日光が照りつけていた。あの日も快晴で日光が照りつけていたのだが、600m上空で、太陽の100万倍と言われる強烈な閃光に襲われたと思うと···。広島中心街、紙屋町から大通りを南下すると、旧日本銀行広島支店が見えてきた。この建物も原爆の被害を受けている。しかし見た目は、わりと、しっかりした建物のように見えた、原爆ドームのように被爆したようには見えなかった。堅牢な建物だったので構造的な被害に至らなかったという。原爆投下翌々日には、支払い業務を開始していたらしい。中は、ガラーンとした感じ、この支店は、平成4年に基町に移転し、しばらく空屋となっていたが、重要文化財である建物を広島市は、日銀から借り受けて、市民の芸術や文化活動発表の場として活用している。文化ホールの様になっているってところだろうか。そこから、中の路地に入り、しばらく行くと、袋町小学校が見える。ごく普通の小学校だが、実は原爆の被害に遭っていた。しかし、よく見ると、校舎は真新しくなっている、実は、平成12年に老朽化の為、被爆した旧西校舎を解体、2年後の平成14年の4月に新校舎が完成。その校舎に挟まれる様に、平和資料館がある。おそらく、被爆した校舎の一部だと思う。旧西校舎を解体する際、壁の漆喰や黒板の下から、避難した人の消息を伝える被爆伝言が数多く発見された。当時この学校は救護所として使われていたという。最近になって、この被爆伝言という原爆資料が発見されたらしい。中は、階段の横の壁に書かれた被爆伝言が写真パネルになって展示されている。一部だけ小窓のようになって、当時の伝言が書かれた壁が見れるようになっている。階段の隣の部屋には、伝言が書かれた当時の壁が残されていた、おそらく、教室の黒板に書かれた被爆伝言だと思う。この貴重な原爆資料も残して原爆の悲惨さを伝えようと、平成14年、新校舎が完成したと同時に袋町小学校平和資料館も創られた。さらにもう一ヶ所、原爆の被害に遭った小学校がある。原爆ドームから太田川を挟んで反対側にある本川小学校。原爆ドームから相生橋を渡ってすぐの所にある。爆心地に一番近い小学校だった。原爆が投下された時、校舎は外部を残し、全焼、壊滅し、400人の児童と10人の教職員の生命が一瞬のうちに奪われた、被爆した校舎の一部を残し被爆「証」として保存させている。ただ、見学は予約制なのだろうか?中に入ったことはない。一度でいいから、見学してみたいと思った。そして、元安橋の前に平和記念レストハウス(休憩場)があるが、この建物も原爆の被爆に遭っている。平和記念公園に来た時、立ち寄っているのだが。被爆前は、大正呉服屋だった。原爆が投下された時、屋根が押し潰され内部も破損。地下室を除き全焼。建物は後から建て直された様だが、地下室は、被爆当時のまま残されている。他にも、被爆建造物はありそうだが、知っている限りの建造物は見て回ったと思う。

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