第14話 国境警備隊 

まだ日の出てない夜明け前。

ルーク達は、騎士団の護衛を受け、首都アルベールを目指す。


都市部に向かう経路としては、出発点であるここジョバール郡から東に向かい、国境沿いのルートを通る。内陸部を通るほうが、本来ならアルベールへの近道ではあるが、内陸には途中通過しなければならない中核都市が多く、必然的に「検問」が多くなる。都市部には「司法院」や「大神院」の手のものが多いし、ルークという「積み荷」を秘密裏にアルベールまで運ぶならば、国境付近のルートを通るのが最適だった。


…もっともその地域は治安が悪く、その点においてリスクが存在するわけだが。



ルーク達と騎士団は、馬車に揺られ国境沿い地域へと向かう。馬車を牽引しているのは、一頭の馬。しかしその馬は、明らかに普通の生き物ではなかった。頭部には異形の角を生やし、目は4つ存在する。そして脚は強靭な太さと大きさを誇っている。つまり、これは「使い魔」だ。この使い魔の「騎手」として馬車を操作していたのは、魔法使いだった。


馬車の中には、ルークとラスカー、マーカスとメアリー、そしてキーラ・ハーヴィー副騎士団長をはじめとする3人の騎士団メンバーが搭乗している。


「…はじめまして、だね。ルーク・パーシヴァル殿。私はランスロット騎士団の団長をしているヘンリー・グレンヴィルだ。よろしく。」

「…よろしくお願いします」


グレンヴィルはルークと握手する。エストリア王国には、13もの騎士団が存在している。騎士団にはそれぞれ序列があり、最も位の高い騎士団 —— つまり、序列1位の騎士団は

″エストリア騎士団″と言われている。序列が上位の騎士団ほど、最精鋭ということだ。

キーラ・ハーヴィーはこのエストリア騎士団の副騎士団長であるが、グレンヴィルが団長をつとめる″ランスロット騎士団″は、序列3位の騎士団である。


「…グレンヴィル団長。この前は、クルーガーの移送の件、ありがとうございました。」


「…礼にはおよびませんよ、ビアンカ・ラスカー。重罪人の移送は、我々の仕事でもありますから。」


ラスカーは以前、人身売買の密売ブローカーであるクルーガーという男の移送を、グレンヴィルに依頼していた。


「あなたも挨拶ぐらいしたらぁ?ジェイコブ。無愛想な男は嫌われるよぉ?」


キーラ・ハーヴィーに声をかけられた男…

ジェイコブ・ウッズは、寡黙な男だった。帽子を深く被り、キーラからの声かけにも無口である。

「彼はジェイコブ・ウッズ。ロータス騎士団の団長よ。…愛想ない男だけど、気にしないでねぇ。」


キーラは最後に、ルークに自分の名を名乗った。


「私は、キーラ・ハーヴィー。エストリア騎士団の副騎士団長よ。よろしくねぇ、ルーク君。」


「よ、よろしくお願いします…」


ルークはキーラと握手するが、内心では彼女に怯えていた。今目の前に座っているこの女性騎士は、自分の養父たるマーカスを殺そうとしていたのだ。

…口調こそ、呑気な少女のように軽いが、ルークは本能的に、この女性への警戒を解くことができない。彼女の逆鱗に触れたら、一体何をされるかわからない…

無論、マーカスもメアリーも一切キーラと目を合わせようとはしていなかった。


「ハーヴィー副騎士団長。この馬車を牽引しているのは、使い魔ですよね?あの使い魔の騎手をしているのは、魔道士ですか?」


ラスカーだけは、物怖じせずキーラに話しかける。その堂々とした振る舞いは、キーラに怯え萎縮しているルークにとっては、心強いものではあった。


「そうですよぉ。この馬車の騎手をしているのは魔法使いなんです。使い魔なら普通の馬より体力がありますからぁ、休みなしで私たちを運んでくれんですよぉ。あ、魔法使いのほうは休まないといけませんけどね?」


深夜の街道を、ノンストップで馬車は走り続ける。馬車に揺られ、ルークやマーカス、メアリー達はうとうとして傾眠状態だった。騎士団のメンバーとラスカーだけは、眠りに落ちることなくずっと覚醒していた。この人たちは眠らなくて大丈夫なんだろうか?という驚きが、多少ルークの中には存在していたが。


夜明けを迎え、やがて馬車はいくつかの村や町、川や谷を超えて国境付近の林道へと差し掛かっていた。


「国境に近い地帯なので、ここからは少々危険かもしれません。みなさん、気を抜かないように。」


グレンヴィルが注意を促す。道は乱雑に茂った木々で覆われていたが、あまり舗装もされておらず、相当な悪路だ。まだ朝だというのに、木々で日光が遮られてるためか、夜かと感じられるほどに、道は暗かった。  


その悪路を1時間ほど走っていた頃だろうか。ルークは、道の端に呆然と突っ立っている人間を発見した。

ボロ布のような服を着ており、顔中は傷だらけだ。

それは何をするでもなく、虚(うつろ)な表情で立っていた。ルーク達を乗せていた馬車は、かまうことなくその人影を通り過ぎる。


「今のは…子ども…?」


ルークの疑問にグレンヴィルが返答する。


「おそらく、国境を超えてきた″難民″の子どもでしょう。…今東の国々では内戦が起きていますからね。」


…内戦。


東にある国々については、情報があまり入ってこないため、ルークも詳しいことは知らなかった。

確かなのは、東には大小さまざまな国があり、今現在激しい戦闘が起きているとのこと。故に、住処を失った人間や、国を追われた人間たちが、国境を超えてここエストリアへ不法入国してきているのだ。

当然ながら、それら不法入国者たちに対して対応する部隊があるわけだが…


かまわず馬車を走らせていると、突然大きな銃声が響いた。


「今の音は?銃声…!?」


ラスカーが周囲を警戒するが、グレンヴィルは特に驚く様子もなく、ラスカーに伝える。


「…すぐに、わかりますよ」




「…あれは?」


ルークは衝撃的な光景を目にする。それは、ボロ服を着た、命乞いしている男を、兵士が射殺している光景だった。兵士のまわりには、おそらく同様に射殺されたであろうボロ服を纏った″死体″が複数ころがっている。


「なんて酷いことを…」

マーカスが悲痛の声をあげる。


「あれは、国境警備隊の兵士です…射殺されたのは、不法入国者たちでしょう。」


グレンヴィルは淡々と説明するが、メアリーもまた、兵士が行なっていたその非道な行いに対して、怒りで声を震わせる。


「かわいそうよ。何も殺さなくても…!」


悲哀の言葉を漏らすメアリーに、グレンヴィルが言葉を返す。


「…仕方が、ないのですよ。国境付近に住めば、あなたもわかります。


住民たちは、次々押し寄せてくる難民や不法入国者たちに、不安や恐怖を募らせています。


…通常、国境を超えてやって来る者たちは、一度 ″難民保護施設″ に送られますが、不法入国者の数が多すぎて、施設はもはやパンク状態。しかし国境を超えてやってくる者は日に日に増えている…


警備隊も、難民たちとの戦闘で多くが命を落としました。十分な兵の数や装備も足りず、国境警備隊はもはや機能不全に陥っています…」


「そんな…」

メアリーとマーカスにとっては、にわかに信じがたいことだったが、グレンヴィルが言うように、それが国境地帯で起きている″現実″だった。


「…東の国は、魔法使い達の国なんです…そこで戦闘が発生して、その難民たちが国境を超えてエストリア王国に入ってくる。…これが、どういうことかわかりますか?


不法入国者たちの中には、魔法を使う人間がいるということです。…これは恐ろしいことです。警備隊の兵士達にとっては、いつ魔法を使って反撃してくるかわからない連中を、生かして拘束することなど危険です。だから…」


グレンヴィルは、やや惑うように…その重い口で、言葉を続ける。


「殺すんです。そのほうが一番、手っ取り早い。」


難民保護施設は満杯。住民は不法入国者達に恐怖している。国境警備隊は兵員が不足しており、危険を冒してまで、難民達を生かす道理もない。

そのあらゆる″最悪の状況″を考慮した結果、警備隊の出した答えは、


″国境を超えてきた者は、即射殺。たとえ子どもであったとしても″


というものだった。


「酷いわ…王室は、この状況を放置しているのですか?」


「…いいえ。シャーロット王女は″大神院″に、国境警備隊を強化し、国境管理を厳格にすべきだと進言しているのですが、大神院はそれら予算の承認をしません。それはつまり、国境警備隊への増兵もろくに出来ないということです。


…なので、最近は王女の指示で″騎士団″達が国境の不法入国者たちの対応にあたってもいます。…対応、というより、実質″戦闘″ですがね…」


エストリア王国の権力構造は歪だ。行政を担うのは「王室」。そして国軍の最高指揮官も王室ではあるが、法を作り、それを運用するのは「大神院」。

そして国の予算を管理するのも大神院だ。王室は何かしようにも、大神院にがんじがらめにされている。

…王室直属の組織である″騎士団″は、より王室への忠誠心が高いため、大神院とは対立関係にある。


「でも、難民達だって人間よ。それを問答無用で殺すのは…」


「…くすくす。メアリーちゃんは純粋ですねぇ。不法入国者は、罪人と一緒ですよ?あなたは犯罪者を庇うんですかぁ?」


キーラ・ハーヴィーはあからさまにメアリーを小馬鹿にするように、煽り立てる。


メアリーはキーラの発言に不快感を覚えるが、自分を抑える。ここで持論を述べたところで、何かが変わるわけではない。




馬車が進むにつれ、道はより険しく、蛇行していく。この複雑な経路を通るのは、使い魔でなければ不可能だっただろう。しかし道を進む度に見えてくる、道端や木々の間に″ころがっている難民たちの″死体″の数々。ルークはそれを見るたびに、不快な吐き気を催す。

もはや″難民保護″など、ここではいっさい行われていない。ここはもはや、″難民の処刑場″そのものだった…


だが死体の中には、時折り国境警備隊の兵士だと思われる死体もころがっていた。兵士の死体には、全身が焼け焦げたり、首と胴体が″離れて″いるものもあったり…これは難民たちがやったのだろうか?


国境地帯の惨状を、ルーク達はまったく知らなかった。いや、この地帯に住んでいる人間と、一部の人間以外は、ここで何が行われているのかなんて、知る由もないだろう。まともな人間ならば、まず「危険で不安定」だとわかっている国境付近になんて、近づかないものだ。



次第に日が暮れていく。長時間馬車で走行していたため、そろそろどこかで休息をとらなければならない。やがて、悪路は少しばかりましになり、舗装された街道へと出る。


「…町が見えてきたわね。サダム、一度あそこで休息をとりましょう。」

「了解です、キーラ様」


キーラが騎手に指示をする。使い魔で馬車を操作していた騎手の名前は、″サダム″と言うらしい。


日暮れ前に、馬車は町に到着した。随分と寂れた町で、ひとけは少ない。

「…サダム。長旅ご苦労さま。一日中ぶっ通しだっからねぇ。とりあえず、どこかで食事をとりましょう。」


一行は馬車を停留所に停め、町の中へ入る。


国境付近にある町なので、経済的にも決して良くはないだろう。人はまばらだったが、すれ違った人々は、キーラ達騎士団をじろじろと見つめ、その据わった目には明らかな″警戒″の気があった。それは、よそ者に対して排他的な住民の気質によるものなのか、あるいは騎士団そのものに対しての不和の感情なのかどうかは、定かではないが。


ルークは、ふと路肩に目をやると、奇妙な人間を発見する。路地にへたりと座りこむ老人。

彼は、まるで宙を掴むように両手を上げて、何も存在しない空気を掴んでは離す、といったような奇異な動きをしていた。目は据わっており、唇は震えている。誰に話しかけるでもなく独り言を続けているその老人。酔っ払いとは違うようだが…


「あの人…もしかして…」


メアリー・ヒルは、その老人を見て何かを察したように呟く。


「…酒場が開いてる。中に入りましょうかぁ。みんなお腹空いてるでしょー?」


キーラが提案する。

一同異論はなく、酒場へと足を踏み入れる。酒場の中は、静けさ漂う町中とは対照的に、わりと賑やかだった。

ルークやラスカー達はともかく、騎士団達は、その格好から人目も引きやすい。店の客はキーラ達を見て、ざわついているのがわかった。

「なんで騎士団がこの町に?」

「しっ!騒ぐな。目をつけられると厄介だぞ…」



「…注文は?」


無愛想な店員が、オーダーを取りにくる。


「紅茶はあります?…ちょっとお腹が空いたから、ケーキでもいただこうかしらぁ?」


キーラの注文に、店員は素っ頓狂な顔をする。


「…騎士団様、ここは酒場ですぜ?紅茶なんてありゃしねえよ。酒を飲んで、肉を食う。貴族趣味なら、よそでやってくだせぇ。」


キーラにそう言葉をかけたのは、店員ではなく、薄汚れた鎧に身を包んだ男だった。


「…何、あなた?」


キーラは、図々しく話しかけてきた男に不快感を感じ、鎧の男を睨みつける。キーラに睨みつけられた男は、怯んで尻込みした。


「…おっとこれは失敬。俺は国境警備隊に所属している、バルデッリです。この町の警備隊長もしている。…いやなに、ちょっと酔ってるもんでして、無礼をお許しくだせぇ。どうか気を悪くせず。騎士団様…」



「…臭い」


鎧の男、バルデッリ警備隊長に意外な言葉を浴びせたのは、メアリー・ヒルだった。メアリーの突然の一言に、バルデッリの取り巻きの兵士たちが、激昂する。


「おい、姉ちゃん!初対面の相手に対して、

″臭い(くさい)″ってのはどういうことだ?さすがにそれは礼儀がなってないんじゃねえか?」


メアリーに詰め寄ろうとする兵士を、しかしバルデッリ隊長は止める。


「まあ、まあ、落ち着けリカルド。この姉ちゃんの言う通りだ。俺たちは飲み過ぎて、相当に″酒くさい″。お前も初対面の相手に、そうカッカするな。」


「しかしだな、隊長…」


「ご、ごめんなさい。私も無礼でした。発言をお許しください。」

メアリーが、バルデッリ隊長に謝罪する。


「いや、かまわねえよ姉ちゃん。…ところで、その隣に座っているあんた。その白い装束…協会かどこかに勤めている、医者かなんかか?」


バルデッリは、メアリーの隣にいたマーカスに話しかける。


「あ、ああ。私は地方の村で医師をしているものだ…」


「じゃあ、その姉ちゃんも?」


「いや、メアリーは…彼女は私の助手で…薬剤調合師だよ。」


「なるほどな、なら″鼻が利く″わけだ。俺たちの酒臭い体は、さぞ彼女にはきつい刺激臭だろうなぁ、はっはっは!」

バルデッリは高らかに笑う。


「まあ楽しんでくれや。この町は国境付近にあるから、外から人もほとんど来ない。だから、客人は歓迎するぜ。ま、辛気臭いやつらばかりだから、つまらない町でもあるがな…

じゃあ、我々はこれで失礼する。行くぞ、リカルド。」


そう言うと、バルデッリは取り巻きの兵士たちを連れて、離れていく。



「…下品な男。少し痛めつけたほうがよかったかしら?」


「やめてくださいキーラ様…我々には仕事があります。余計なトラブルは抱え込むべきではありません。」

グレンヴィルがキーラに釘を刺す。


「…冗談よ、グレンヴィル。でも、こんな辺境の町で騒ぎを起こしたところで、何も問題なんて起きないと思うけどなぁ…司法院の人間だっていないんだし。」



バルデッリはキーラ達のもとを離れた後、店のマスターのところに向かっていた。


「…なあマスター。あちらの騎士様は、″紅茶″をご所望のようだ。…とっておきのを出してやってくれ。」

「…わかりました、バルデッリ隊長。」




「ルーク、お腹は空いてない?」


「ラスカー先生、あまり食欲がなくて…」


ルークは、食事に手をつける気にはなれなかった。それは主に、この町に至るまでの道中—— 難民たちの死体をたくさんこの目で見てきたからだった。その衝撃的な光景が、ルークの頭の中で明瞭に残っていた。


「…ルーク。このスープは消化に良さそうだ。食欲がないなら、これだけでも流し込んでおきなさい。今は少しでも、体力をつけないといけないからな。」

マーカスがそう言い、ルークにスープを勧める。

「そうですね…もらいます」



しばらくして後、店のマスターが、キーラに紅茶を持ってくる。


「騎士様。こちらが、ご注文の紅茶です。さ、暖かいうちにどうぞ…」


キーラは、紅茶の風味を楽しもうと、その香りを吸い込む。


「…この紅茶…変わった匂いね…マスター、このお茶はどのような葉を使っているの?」


「…へへ。これは、この町の″特産品″です。どうぞ暖かいうちに、お楽しみください」



「キーラさん」


突如メアリーがキーラに、小声で声をかけた。



「…なぁに?メアリー」

 


「…その紅茶、絶対に飲んじゃ駄目ですよ」

 


「…そう。わかったわ」


キーラとメアリーは折り合いが悪かったが、この時だけはなぜか、キーラはメアリーの言葉に従った。

…直感的にだが、キーラはメアリーの言葉が真実のように思えたのだ。


「ねえ、バルデッリ隊長!」


キーラは、カウンター席に座っていたバルデッリに声をかける。突然呼びつけられたバルデッリ隊長は、あからさまにびっくりし、飛び跳ねるように席を立った。


「は、はい!何でしょうか?騎士様!」


「この紅茶、あなたが飲んでちょうだい。私のおごりよ?」


「は、はぁ…しかし、俺は紅茶は飲めないんで…」


「お願いしてるんじゃないの。

 これは″命令″。」


恫喝するような冷たい口調のキーラに、バルデッリは恐怖を覚えた。


「…そ、そうだ、リカルド!

お前紅茶も″いける″口だって言ってたよなぁ?ほら、騎士様がおごってくれるんだと!お前、飲めよ。飲まなきゃ無礼だぞ!」


「な…!」


思わぬ流れ弾がとんできたリカルドは、焦った。だが、隊長の命令となれば、逆らうわけにもいかず。かといって飲むのを拒否すれば、あのキーラとかいう女騎士に、何をされるかわからない。どっちにしろ、リカルドに逃げ道は残されていなかった。


はたから見れば、おかしな光景ではあった。ルークにとっては、たかが紅茶を飲むぐらいでなぜこの兵士たちはこんなに焦っているのか、まるで理解ができない。しかし傍にいたメアリーは、いたって真剣な表情だ。


「は、はは…たかが紅茶だ!こんなもん余裕だぜ!!」

リカルドはそう言うと、紅茶を一気に飲み干した。


「っぷは!どうだ、この飲みっぷり!」


誇らしげにリカルドは叫ぶが、周囲は静まり返っていた。


「よ、よくやったリカルド!お前は素晴らしい!さ、今日はもうお開きにしよう!お前ら帰り支度しろ!」


バルデッリ隊長は、リカルドはじめ取り巻きの兵士達を連れて、そそくさと店から出て行った。



「…何も起きなかったわね。どういうことなのぉ、メアリー?あの紅茶には何が?」


「…まだ、確証は持てませんキーラさん。…でも、少し調べたいことがあるんです…」



兵士たちが出て行った後も、依然として店内は、酒場とは思えないほどに静まりかえったままだった。



「くすくす。これじゃ酒場っていうよりも、格式高い高級店ね。みんな一言も口をきかないわ…」

キーラは、その店内の光景が面白おかしかった。


(…店にいる連中も、気づいている?)

メアリーだけは、気を張り詰めていたが。


「まあ、ジェイコブとサダムにとったら、これぐらい静かなほうか良いのかもねぇ?」


常に無口なジェイコブ・ウッズ騎士団長は、黙々と食事をとっている。馬車を操っていた魔道士の″サダム″も、ジェイコブと同様、黙りこくって食事をしていた。


「…あなた達、少しは喋ったらぁ?無言の食事なんて、つまらないでしょ?」


キーラの言葉に、サダムは反抗的に返す。


「…まわりを見てください。みんな静かに食事をしています。今喋ってるの、キーラ様だけですよ?」

 


「…生意気…」


キーラは楽しむように、またくすくすと笑った。







キーラ達は酒場を出た後、宿を手配する。小さな町なので、宿は一つしかない。そもそも国境付近の町に、外部から旅人が訪れるということもほとんどないので、宿の部屋はどれもガラ空きだったが。


「キーラさん、ちょっと調べたいことがあるんです…少し、町のほうへ出かけてもいいでしょうか?」


メアリー・ヒルには、この町について気掛かりなことがあった。


「別に構わないけど…夜の1人歩きは危険よぉ?なんだったら私が付いて、守ってあげようかー?」


「…いいえキーラさん、1人で大丈夫です。というよりも、1人のほうが警戒されないと思うので。」


「…? そう。じゃ、頑張ってねぇ」


「…大丈夫なのかメアリー?君に何かあったら…」

マーカスとルークも、メアリーが1人で町に出歩こうとするのを心配する。


「大丈夫ですマーカス先生、ルーク。1人じゃないと、成功しないかもしれないから…それに、もし危険があればすぐに逃げてきますよ。こう見えて私、逃げ足は速いんです。」


「気をつけてくださいね、メアリーさん…」


「ありがとう、ルーク。…″あるもの″が手に入ったら、すぐに戻ってくるわ」





メアリーは、この町に足を踏み入れた時、路肩に座りこんでいた、″奇妙な動作″をしていた老人のもとに向かった。


(…よかった。まだあそこに座ってる。)


老人は、先刻見た時と同じ場所に座りこみ、相変わらず両手を上げて奇妙な動きをしていた。


(さて…ここからは演技力が問われる…)


メアリーは、座りこんでいる老人に、ゆっくりと近づいて行った。警戒を与えないように、″わざと″ふらついたような動作で、老人に接近する。


「…ひっひっひ。おいおいどうしたんだお嬢さん…足元がふらふらだぜ…?」


老人がメアリーに食いついてきた。


「あぁ…!あぁ…!おじいさん!助けて欲しいの!!」

メアリーは叫びながら、老人の前に倒れ込み、ちょうど老人に抱きつくような体勢となる。


「おいおい大胆なお嬢さんだなぁ?急に抱きついてきて。…そんなに俺とヤりたいのかい?」

メアリーは抱きついた拍子に、老人の体臭を思い切り鼻から吸い込んだ。…ドブのような臭いに、かすかに混じっている″ある臭い(におい)″。その臭いを感じ取ったメアリーは、確信する。


(この人、やっぱりそうだ…)


あることを確信したメアリーは、次の行動に移る。

彼女は、老人を思い切り抱きしめたかと思えば、今度は泣き喚き、老人に哀願するように声を出す。


「お願い!助けてほしいのぉ!!」


「なあどうしたってんだ…?どこか痛いとこでもあるのかい…?」


「違うのぉ!切れちゃったのお!助けてよぉ!!」


「切れたって、一体何が切れたんだ…?お嬢さん。」


「…まどろっこしいなぁ。わかるでしょ?あなただって、″持って″るんでしょう?」


老人は、察したようにほくそ笑んだ。


「…ひっひっひ。そうかいそうかい、お嬢ちゃんも″こいつ″の常用者か。こいつが欲しいんだな?」


老人はそう言って、懐から袋を取り出した。その袋の中には、灰色の″粉″が入っていた。


「こいつが欲しいんだな?そうだろ?」


メアリーの賭けは奏功した。あとはこの″粉″を手に入れる…


「お願い…それを分けてくれない…?もうほんとに死にそうなの…!おじいさん、私を助けてよぉ…!」


メアリーは、半ば色仕掛けとでもいうほどに、老人と体を密着させ、その豊満な胸を老人の体に押し付ける。


「ひぃーひっひ!いいねいいねぇ!!こんな可愛くて″おっきい″もの持ってるお嬢ちゃんの言うことなら、聞かないわけにはいかないなぁ!」


「…じゃあ、それを分けてもらえる?」


「ああ、″こいつ″をお嬢ちゃんに分けてやろう。ただし…」


やはり、そう簡単にはいかないか…


「ただし、俺をもっと楽しませてからだ。なあお嬢ちゃん、あんたは良い女だ。もっと味合わせてくれよ…なあに、本番まではしなくて良い。でもな、ひっひ…とりあえず、その服を脱いでくれよ…俺に見せてくれ…

あんたの″中身″をさ。」


老人はメアリーに…″脱衣″を強要する。



老人から″粉″を入手するためには、辱めを受けなければならない…?


メアリーは迷う。無理矢理老人から奪い取るか。

でもそんなことをすれば、確実にこの老人は逆上して、私を追ってくる。…今は余計な騒ぎを起こしたくはない。


「…服を脱いだら、それを私にくれるの?」


「ひっひ。約束は守るぜ。」


メアリーは老人の言う通り、上着を脱ぎ、その柔肌をあらわにさせた。 


…自分は一体何をしているのだろう?メアリーは恥辱心とともに、そう感じたが、ここまで来たのならもう諦めるという選択肢もない。


だが老人は、明らかに不服そうな顔をしていた。老人の言う通りにし、その肉体を露出させたというのに。


「…お前、舐めてんのか?」


「え………?」

 



「下も脱ぐんだよ」








—————



「…バルデッリ警備隊長。」

「…何だ?マルセロ」


国境警備隊のバルデッリと兵士達は、酒場から去った後、警備隊の詰所に戻っていた。


「その…リカルドが、死にました。けいれん発作を起こして…」


「…ちっ。やはりもたなかったか。」


「…あの紅茶を、リカルドに飲ませたからですよ… 一体どれほどの量が入っていたのです?」


「中毒者はな、普通なら少量ずつ吸う。そしたらほどよく″ハイ″になれるんだ…

…だがあの紅茶に入っていた″粉″の量は、致死量だ。本当は、あの女騎士に飲ませるつもりだった。」


「…でもあの女騎士、気づきやがったんですよね…?だから飲まなかった…!」


「いや、気づいたのは騎士のほうじゃねえ。」


バルデッリは、もう1人の女のほうを思い出す。


「あのメアリーとかいう女のほうだ…あいつが感づいていやがったんだ…」


「でも隊長、なぜあの女は、わかったのですか?」


「…″臭い″だよ。あのメアリーって女、俺と対面した時、こう言いやがった。″臭い(くさい)″ってな。…その時からもう、気付いてたんだろう。俺たちが″違法薬物″の常用者だってことにな…

あいつは、薬剤調合師だと言っていた。だから鼻が利くんだ。紅茶の臭いにも違和感を感じていたはずだ」


「だけど、何だって騎士団がこんな辺境の町にやって来たんです!?」


「…そこが問題なんだよ。

ひょっとしたら、俺たちがやっている″違法行為″に感づいてて、調査のためここに来たのかもしれねぇ。」


「…だからあの女騎士を殺すために、紅茶に致死量の粉を混ぜたのですか?」


「どっちにしろ、あのメアリーって女に″臭い″を気付かれた時点で、俺たちは終わっていたんだ。違法行為の証拠を連中に掴まれたらまずい。…だから、早くやつらを始末しなくちゃならねぇ。あの女騎士だけじゃない、全員をだ。」


「…でも、どうやってやつらを始末するのです?この町の警備隊の兵力だけじゃ、騎士団の人間には到底敵いませんよ?」


「警備隊だけならな…」


バルデッリは、不穏な面持ちでほくそ笑んだ。


「町の人間全員で、やつらを襲撃する。騎士団といえども、民間人にまで容易に手は出せないはずだ。」


「…町の人間を、戦わせるのですか?」


「…彼らは戦うさ。この町は″薬物″で支配されているんだ。町の人間が何を大切にしているかわかるか?


あの″粉″を吸って、どれだけ″ハイ″になれるか。それだけがやつらの関心ごとだ。


その″ハイ″になれる権利を、騎士団どもは奪おうとしてるんだぞ?なら町の人間は、戦うさ。自分たちの権利のためにな…」


マルセロは、この町の本質を改めて理解し、自嘲する。


「その″違法薬物″を町に行き渡らせたのは、我々警備隊ですけどね…」


「…そうだな。だがこの腐った町に、最初から未来なんてないのさ。全てから見放されたこの腐った町…

そんな場所で、唯一生きている実感を感じられる方法は…″薬″でジャンキーになるしかねえのさ……」


バルデッリは、懐から袋を取り出す。袋にはやはり、″粉″が入っていた。


「さて…仕事に取り掛かる前に、″一服″しようか。…まったく、″中毒者″は辛いぜ。普通量じゃもう″ハイ″になれねえからな…」





たった一つの快楽のために、全てを犠牲にする。あるいは、その逆か。




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