第9話 誓い

「卒業生諸君、とうとうこの日が来たようだ。」


レンバルト魔法学校の大広間。学園の教師、職員、生徒達がこの広間に一同集まることなんて、年に一度しかない。それは、魔法学校生の卒業式だ。


「この私、アーサー・レンバルトはこの魔法学校の校長…

正直言えば、私はこの学校にはほとんど不在だった。」


レンバルト校長は、卒業生たちを前に演説をしていた。


「卒業生諸君らはこう思っているかもしれんな。ほとんど学園にいなかったのに、なに卒業式の時は校長面して偉そうにしているのか?とね。

だってそりゃ事実さ。私は本当に偉くて凄い魔法使いなんだからな。」


校長なりのユーモアだろう。生徒たちの中に、一部笑いが漏れる。


広間前方の壇上には、校長を中心に、学園の教員や幹部職員たちが横列し座っている。その壇上には、通常ならばそこにいないはずの人物——魔法院長官の姿もあった。


「ゲーデリッツ長官…あなたほど多忙な方が、レンバルト魔法学校の卒業式に参加するとは珍しいですね。」

ゲーデリッツの横に座っていた、ビアンカ・ラスカーが彼に声をかける。


「ラスカー先生、君に会うのも久しぶりだね。ちょっとした用事で、ここジョバール郡のほうに出向いていたのでな。我が旧友でありこの学校長であるアーサー・レンバルトに久しく顔を合わせようと思った。そのついでだよ。」


「そうですか…わざわざご足労ありがとうございます」


「君に感謝されるまでもない。この学校は、私とアーサーが創設してもう40年以上になる…思い出深いところだよ。卒業式という、生徒たちの晴れの場に顔を出すのは、私にとっても大切なことだ」


「長官…私たち魔法使いは、あなたには感謝してもしきれません。あなたは魔法使いの権利のために、その身を捧げてくださっている。こうやって生徒たちが魔法を学ぶことが出来ているのも、長官の尽力あってのことです。」


「礼を言われることではない。魔法使いと人間が、お互いを認め合って共存していく社会を創ること。それが私の願いなのだから。


そのために、私はこの学校を創ったのだ。

魔法はな…文化そのものだと、私は思っているのだよ。

それをなくしてしまってはならない。その文化をなくしてしまうことは、民族や種族にとっての″死″を意味する」


ゲーデリッツの温和で優しい口調と言葉は、ここ最近心労の多かったラスカーの精神状態を、多少ではあるが緩和させた。


「…ラスカー先生、なんだか浮かない顔をしているね。心配事でもあるのかね?」

ラスカーは極力、心労を顔に出さないよう努めていたが、ゲーデリッツには隠し通せなかったようだ。


「…ひょっとすると、スヴェンとルークのことかね?…何か思い悩むことがあるなら、吐き出しなさい。私でよければ、聞こう」


ゲーデリッツには全てお見通しだった。魔法院長官ともなれば、レンバルト魔法学校の生徒、ルークとスヴェンが起こした″事件″について知らないはずはない。

ラスカーは、生徒たちのことについて、わざわざ長官に話すべきでもないと思っていたが、ゲーデリッツ長官の優しく受容的な呼びかけは、不思議とラスカーに——この人になら話しても良いという、無条件の信頼感をゲーデリッツに対して抱かせていた。


「長官、私の生徒2人が、フランドワースで起こした事件については、ご存知なのですね…」


「知っている。スヴェン君がルークを助けようとしたのだろう?それで魔法を使ってしまった…」



「…私は…私は、不安なんです。今回の件で、ルークは負い目を感じている。自分を助けてくれた親友が、法の下裁かれようとしている。彼がこのまま、そのことを一生引きずるんじゃないかって…苦しみ続けるんじゃないかって…でも、どうすればいいか…」


ラスカーは悲痛な声で長官に、自身の思いを吐露する。


「…君は、ルークのことを弱い人間だと?」


「…それは…」


ゲーデリッツ長官に尋ねられ、ラスカーは言葉を詰まらせる。


「ルークが、苦難に打ちひしがれて潰れてしまうような、心の弱い生徒だと思っている?」


「……いいえ…」


「ならば、信じてやらねばならぬよ。ルークの″強さ″を。


君の心配も理解できる。だが教師の務めとは、生徒をどこまでも庇護することではない。

教え子が自らの足で前に進み、自らの力で″壁″に立ち向かえるようにすることだ。

…なにより大切なことは、教え子を信じることなのだよ。親が子離れできないのは、子どものことを信じていないからだ。それと同じだよ。」


「…私は、あの子の親ではありません。」


「だが、教師だ。子どもは、親の元だけで育つのではない。人生の中で、教師が果たす役割がどれだけ大きいか。親が教えないことを、教師は補っているのだよ。

君はルークの親にはなれないが、ルークの教育者として、彼に多大な影響を与えているはずなのだ。」


「…だと、いいのですが」


長官の言葉に、ラスカーは少しばかり救われたような気がした。たしかにそうだ。生徒のことを信じなければならない。教え子のことを信じることができなければ、教え子も教師のことを信じない。


「長官。私は担任として、ルークにいろいろと厳しかったかもしれません。彼自身は、私のことをあまり好ましく思っていないかもしれない…」


「…彼が直接そう言ったのか?」


「いいえ…」


「…教師は時に厳しくもあらねばならない。だが、教師の生徒に対する愛情や優しさは、生徒は理解しているものだよ。君のルークを思う気持ちは、きっとルークにも伝わっているはずだ。」


「…そうであることを、信じます」


校長は、広間で粛々と座っている生徒たちに向けて、演説を行なっている。ラスカーは、生徒達に目を向ける。その中には、ルークの姿があった。ルークはラスカーの視線に気づき、彼女に笑顔で返す。



やがて校長の演説も、締めの言葉に入っていた。


「君らが学園で学び、切磋琢磨したこの3年間は、辛くも充実した期間だったろう。

だが卒業しても忘れないで欲しい。このレンバルト魔法学校の生徒だった者として、相応しい振る舞いをしてもらいたいのだ。


君たちの振る舞いが、魔法使いの″道″となる。


そして次に魔法学校に入学してくる者たちは、君たちが作った″道″の上を歩くことになるのだ。

卒業生たちが、法を遵守し社会に貢献する。

そうやって正しい道をつくってくれているからこそ、魔法使いはこの国で受け入れられてきている。

だから決して…″間違った″道を歩まないで欲しいのだ。」


校長の話に、生徒たちは聞き入る。


卒業式たちは、不安と期待を心の内に抱えながら、この学校を去ることになる。

生徒たちの不安…魔法使いがエストリア社会で生きていく上で、差別はないだろうか?

嫌悪はないだろうか?


これから社会に出て「魔道士」としてあらゆる仕事に従事することになる。

誰だって、他人と衝突したくはない。仲良くやっていきたい。でもそれは理想でしかないとしたら?


生徒たちの漠然とした不安は、希望を孕んだ校長の展望的な演説によって、ある種の安心感が付与された。


…ベルナール副校長が演説するまでは。


「いやはや素晴らしい演説でした。さすがは校長先生。」


話し手が、校長から副校長に代わる。ベルナール副校長は、校長を讃えつつも、その言い方には明らかな嫌味が含まれているようだった。


「卒業生のみなさん。卒業おめでとうございます。私は、ベルナール。この学校の副校長。…まあ知ってるだろうから自己紹介はどうでもいい。

校長先生が言うように、君たちには魔法使いとしての″正しい道″を歩んでもらいたい。


正しい道をね…


だがね、私からひとつ現実も教えておかなくてはならない。」


副校長の言葉に、生徒達は息を呑む。


ベルナール副校長が話をする時は、いつも独特な緊張感が生まれる。それは副校長の威圧的な話し方にもよるが——往々にして副校長の話は、魔法学校生徒たちにとって″耳障り″の良くないことを、包み隠さずに言うからだ。


生徒たちへの配慮とか、卒業式という晴れの場だから、陰惨な話はするべきでないとか——そういう概念はこのベルナール副校長には存在しない。故に、今から話す内容もおそらく、魔法学校生徒たちにとって「耳障りの良くない」言葉であることは明白。


「魔法学校の卒業生は、魔道士の称号を得たのち、あらゆる職業に就く…

田舎で細々とやる者もいれば、都市部に行く者もいる。

私は王国の首都″アルベール″に行くこともあるので、あちらで仕事をしている魔法使いについての″噂″もよく聞くのだ。」


低く荘厳な口調を崩すことなく、副校長は話を続ける。


「アルベールに居住した魔法使いたちは、そこで結婚し、定住する。

そして首都における魔法使いの人口はどんどん増えていく。


諸君らはこう思うかもしれない。


都市部に住む魔法使いが増えているのなら、自分たちも都市へ行ったほうが、仕事も見つけやすいし、暮らしやすいのではないか?


それは半分事実だ。


魔法使いのコミュニティができれば、何かあった時魔法使い同士で結束できるし、権利も主張しやすい。


…しかし、勘違いしていることがある。


都市部に元々住んでいた″魔法使いでない″普通の人間たちは、心情的に魔法使いを受けいれているのだろうか?」


決して″穏やか″な内容ではないだろう、副校長の話の内容に。

生徒達は息を呑むように、話を聞いている。


「それが問題なのだ。

魔法使いを受け入れる者たちがいる一方、そうでない人間もいる。

…かなりの数が、ね。


だが都市の人々は表立って魔法使いへの″嫌悪″を示さない。彼らは学があり、誰かを非難し差別するということは、恥ずべき行いだと考えている。たとえ心の中では嫌っていたとしても。


…都市を支配している″騎士団″どももそうだ。彼らは表面上綺麗事を言って、魔法使い達に優しいが、腹の中では何を考えているかわからんぞ?


だから、勘違いはしないでほしいのだ。都会は魔法使いにとっての理想郷ではない。…最近は、首都アルベールで王室付きの上級職に就く魔法使いもいるが、中には横柄な態度で、市民から酷く嫌われている魔道士もいると聞く。」


言葉を止めることなくベルナール副校長は…

生徒達の″不安″に一切配慮しないような、″現実″についての話を続ける。


「諸君らだってそうだ。魔法使いの身であっても、地位を手に入れれば人は傲慢になる。自らの力に″魅了″され、自分は″特別″な人間なんだと思い込む。それは魔法使いが陥る危険な兆候だ。…だからくれぐれも、誤った道を進まぬようにな。なにせ…


なにせ、君らに優しく接してくる人間たちは、本当は君たち魔法使いのことを嫌っているのかもしれないからな…」


長々とした副校長の話は終わる。場の空気は静まりかえっていたが、レンバルト校長が、その静寂を破る。


「あー諸君、そう静まりかえるな!副校長の長い長い話を要約するとだな、人間は我慢をして生きていく生き物だから、相手に思いやりを持って、自分自身も驕り高ぶらずに生きていきなさい、ということだ。」


校長はフォローしたが、副校長の演説は生徒達の心に″鈍く″重たく響いた。綺麗に飾った美辞麗句ではなく、副校長の言葉は真実味があり、どこが″不穏な不安感″をかきたてる。


そして副校長の言葉は大袈裟なものではなく、ルークにとっては「ただそこにある事実」を述べただけのように思えた。

魔法使いのことを良く思っていない人間は、多いのだ。おそらく、想像以上に…


それは都会だろうが、田舎だろうが関係ない。


ルークは知っている。

その溜め込んだ魔法使いへの″怒り″を表出させた者を。


「…ベルナール、これは卒業式なのだぞ。あまり生徒たちの不安を煽りたてるような発言をするな。」


「しかし校長、彼らには念を押しておかなければならないと、私は思いますよ?でなねければ、アルベールにいる″王室付き魔道士″のような傲慢な連中のように、彼らはなってしまう。…彼らには不安を抱えながら、生きてもらいましょう。不安という感情は、人を謙虚にさせる。」


「それは間違いだ、ベルナール。″不安″は人の心を蝕むだけだ。」


「私とあなたとでは、どうも見解の相違があるようですね、校長…」


ベルナール副校長は、自分の席に戻る。校長はバツが悪そうに、言葉を紡ぐ。

「さて、どうしたものか…これでは締まらないな。ああそうだ!教員からも祝辞の言葉を述べてもらうとしよう。」


そう言うと校長は、魔法学校の教員達の方に目を向ける。


「そうだな……ラスカー先生にお願いしよう。生徒たちに何か一言頼む。… 一言でなくともいいがね。」


「え?私ですか?」

思わぬタイミングで校長から声をかけられたラスカーは、彼女らしくなく、酷く取り乱して狼狽する。


「何も私でなくても…リーベルト先生とかのほうが、この場に″相応しい″ことを述べられるはずです。」


しかし校長は、逃げ腰のラスカーの言葉を、ばっさりと切る。


「いや、ラスカー先生に頼みたいのだ。…生徒達に…教え子に何か伝えてやってほしい…」


「そ、そこまで言うなら…」


ラスカーはしぶしぶ承諾し、壇上の前に立つ。


「…みなさん、卒業おめでとうございます。」

彼女は、おもむろに口を開いた。


「…この3年間、よく頑張りましたね。魔法を学ぶということは、簡単なことではなかったはずです。時に怪我をし、時に失敗し、時に挫折し…

魔法を嫌いになり、途中で学校を去った者もいました。でも今ここにいるあなた達は、最後まで諦めずに、残った者たちです。」


やや緊張しながらも…壇上に立てば、はきはきと言葉を紡ぐラスカー。


「…魔法がどれだけうまく扱えるかとか、そういうことがあなたたちの価値を決めるのではありません。成長するということは、何かを乗り越えるということです。そしてその過程で、あなたたちが感じた苦しさ、悲しさ、喜び。…その″感情″を、大切にしてほしいんです。


けれど…」


ラスカーは一瞬、言葉に詰まった。


「けれど、これから生きていくうえで、また新たな試練が、あなたたちの人生に立ち塞がるかもしれない。


辛いことが、波のように押し寄せるかもしれない。

それでも、逃げないで欲しいんです…


哀しみや苦しみに、向き合ってほしいんです。


哀しみや苦しみから逃げずに立ち向かったあなたの″感情″は、紛れもなく…


あなたを成長させ…あなたという人間を形作る、一部となります。

向き合うことで、あなたは強くなれる。

そうすれば、″哀しみ″を乗り越えていける。


だから私は、信じます。″あなた″の強さを…」


生徒達に向けられたラスカーの言葉は、卒業生たちの心に響いた。


でもルークにはわかっていた。


この言葉は、自分に向けられたものだということを…



「…いやはや心に響く演説だった。ありがとう、ラスカー先生。」


「校長…もうこういう役を、私に振らないでください。…ガラじゃないんです。」


校長は、ラスカー先生のことを信頼している。彼女は冷静で、実直で、…どこか感情的な側面がある。内に秘めた熱い感情が、そのクールな言動の裏に見え隠れする。

だからこそ校長は、ラスカーを重宝しているのだ。

彼女ならば、生徒を守ってくれると。生徒たちの良き規範になってくれると信じて。


「まあそう言うなラスカー先生。今度、コーヒーでも奢るよ。私の淹れたものでよければね。」



卒業式もいよいよ大詰めとなった。


「…さて!ようやく待ちに待った、かもしれんが。ここからは卒業生諸君に、″魔道士″の称号を授与しようと思う。」


卒業式のメイン行事。校長から卒業生たちに、「魔道士」の紋章が与えられるのだ。この紋章を受けた者は、晴れて魔道士としての称号を得たことになり、「魔法抑止法」に違反しない限りにおいて、公に魔法を使うことが出来る。


魔法使い達にとって、魔道士の称号を得ることがいかに重要か。この称号がなければ、エストリア王国において、魔法を使うことは一切許されないし、当然ながら魔法を扱う仕事にも就けない。

魔法が使えなくとも、それで人生が閉ざされるわけではない。しかし魔法はなんだかんだ言って便利なので、魔法が使えるということは、それだけ将来の職業選択の幅が広がるということなのだ。


魔道士の称号を持たない者が魔法を使えば、当然ながら法で罰せられる…


先の″エストリア内戦″(魔法使いと人間たちによる戦い)を経て、「魔法抑止法」では魔法の戦争利用が禁じられている。

所謂「戦闘用」の魔法は禁じられているため、そのような魔法は学校でも生徒には教えられていない。無論、「戦闘用」以外の魔法でも、使いようによれば人に危害を加えられるが…


「戦闘用」の魔法がどのようなものなのかは、生徒たちは知らない。しかしあえて「戦闘用」と法で分類されているぐらいだから、相当に危険な魔法なのかもしれない。


「…君たちは、この紋章を受け取った瞬間から、″魔道士″となる。

くれぐれも忘れないでほしい。この紋章を受け取るということは、諸君らは社会に対して責任を負うということだ。魔法を扱う者としての責任だ。


全ての魔道士は、″魔法抑止法″の下にある。法を守り、国のために、社会のために、人々のために、その魔法の力を使うことを、誓わなければならない。

…それが出来ぬ者には、この称号は与えられない。

では、1人ずつ名前を呼ぶ。名を呼ばれた者は前に来なさい。」


校長は卒業生一人一人に、″魔道士″の紋章を授与していく。


「——— 法を遵守し、国のため、社会のため、人々のために、魔法の力を使うことを誓うか?」


「誓います」


生徒一人一人が、片手を上げ誓いの言葉を述べていく。校長から、魔道士の紋章バッジを付けられた生徒たちは、例外なく喜びと高揚感に満ちた顔つきをしていた。それもそうだろう。3年間の苦労がようやく報われたのだから。


「ルーク・パーシヴァル」


「はい」 


校長に呼ばれ、ルークは壇上に出る。


「ルーク・パーシヴァル。君を魔道士として認め、この紋章を君に授ける」


…ここに至るまで、いろいろあった。

ルークの頭の中に、この数十日間に起きた出来事がフラッシュバックされる。


「魔道士としての責任を理解し、決してその力を悪用することなく——」


僕はもしかしたら、魔道士になる資格なんてなかったのかもしれない。


友人を救うこともできず、自分1人だけのうのうと、魔道士の称号を得ようとしている。それは、果たして正しいのか?


「法を遵守し、国のため、社会のため、人々のために——」


いや、僕には魔道士の称号が必要なんだ。自分の目的のために。記憶から″抜け落ちた″自分自身を探すために…

魔道士の紋章を得るために、僕は今校長に誓いの言葉を述べるんだ。



だけど、誓い?…誓いってなんだ?



…約束?



……誓いは、約束?






「——人々のために、魔法の力を使うことを、誓うかね?」



「あ——」






「……??」






「ルーク、ルーク。…誓いの言葉は?」



「……え?」




…あれ?おかしいな…誓いますって、言わないと。


…あれ?言葉が出てこない。なんで?



誓いますって言うだけだよ?簡単じゃないか。




「どうしたんだルーク?一言言えば言いだけだ。″誓います″と。」



「あ……」



ダメだ。僕には出来ない。



胸の中に、黒い″何か″が湧き上がってきた。





「………………!!?」





気がつくと、広間一帯は漆黒の闇に包まれていた。それはまるで、黒い霧の如く、あらゆる視界を遮断している。そして、燃え盛る黒い炎…


ルークを取り囲むように、黒い炎が渦を巻く。炎の中からは、まるで悪魔が断末魔をあげるような、金切り声のような、叫び声が発せられている。

その叫び声の正体は、ルークではない。ただ得体の知れない謎の叫び声。

その耳を裂くような謎の叫び声は、広間にいた全員の聴覚を激しく刺激し麻痺させ、一切の身動きを奪っていた。


「うわああああああ!!!!」

叫び声を受けた、生徒達、教員たちの悲鳴が響く。

「なんなんだこれは…!!何が起きている……!!!」


教員たちは、黒い炎から発せられる謎の″叫び声″によって、聴覚を刺激され脳が麻痺していた…そしてろくに動くこともできない。


広間全体を包む、黒い霧と黒い炎…しかしルーク自身にも、一体何が起きたのか理解できず、混乱状態に陥っていた。


「これは、何だ…!ルーク…!!お前の力か…!?お前がやったのか!!?」


レンバルト校長が、ルークに叫ぶ。


「違う……!僕じゃない!!僕は知らない……!!こんな魔法知らない!!!」







人の記憶とは、無数にある、鍵のついた箱のようなものだ。大抵の人間は、鍵を使って自らその箱を開くことが出来る。箱の中身が何かを知っているからだ。箱の中身が、その人にとって嫌なものなら、自ら鍵を捨てることもある。


ルークの場合はどうだろう?


鍵をなくしてしまったのか。自ら捨ててしまったのか。


いずれにせよ、彼は鍵を探していたのだ。






箱の中身が何なのかすら、知らないのに。























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