第16話


 それは、第一級の緊急信号だった。


 それが左耳のピアスに一瞬だけ送られてきて、唐突に切れたことに焦りを感じて、眞己は即座に走り出した。


 リンがのピアスが救難信号を送った場所は目立たない中庭だった。


「リン──っっ!」


 眞己が中庭に着いたとき、そこに佇んでいた人影は、──リンではなかった。


「……あね、ご……?」


 そう、そこにいたのは、あねごこと──赤坂恵。眞己たちの仲間であり、かれんと琴葉の親友であった。


 彼女の足元には数人の生徒と教師が倒れていた。見知った顔もあれば、まったく知らない顔もある。共通していることは、彼ら彼女らがリンの護衛をしている者たちであることだ。


 ピアスが発した救難信号と、鳴海がつけたリンの護衛が倒されていることと、現場にあねごが佇んでいる事実が、うまく噛みあわず、眞己は混乱状態におちいった。


「なにが、どうなってるんだ……?」


 その言葉にあねごが返した。


「どうなってるって、簡単なことだよ。あたしがリンを護っている邪魔者を倒して、誘拐の手引きをしたんだよ」


 言葉の意味がよくわからなかった。


「なん……だって……?」


 絞り出した声はかすれて、喉はカラカラに渇ききっていた。


「もっと直接的に言わなきゃわかんない? あたしはリンの敵だって」


「……嘘だ」


 信じたくなかった。眞己たちは気のあう仲間で、深夜の学校で馬鹿騒ぎをしたり、喧嘩をすればさっきのように琴葉と連れ立って助け舟をだしてくれたりもする。


 そう、友達なのだ。


 それが、そんな彼女が──敵?

 そんなこと信じられるわけがない。

 だが、そんな眞己のすがるような望みは、あねごの言葉に切って捨てられた。


「嘘じゃないよ。楽しい偽りの学校生活も、もう終わり」


 そう言って彼女が差しだした手のひらには、血に染まったリンのピアスがあった。


 その瞬間、眞己の中でなにかが壊れた。


「なんでだ……ッ! あねごッ、どうしてこんなことをッ!?」


 激昂した眞己の言葉に、あねごは顔を歪めた。まるで泣きだすことを我慢するように。


「ほんと、どうしてこんなことになっちゃったのかな……?」


 あねごは懐から拳銃をとりだした。

 それを眞己にむける──のではなく、自らのこめかみに当てた。


「なァッ?」


「ほんとはね、ずっとみんなと一緒にいたかった。この学校でみんなで過ごすのが楽しくて、楽しくて、いつまでも……、みんなといたいって思っちゃったよ」


 ──裏切り者のくせにね、彼女は悲しげに笑って、引き金を引く指に力をこめた。


「──やめッ──」


 銃声。


 あねごは糸が切れた操り人形のように地面に倒れた。

 血があたりを染めた。


「なんだよ、これ……」


 眞己は呆然と立ち尽くした。

 だが、それは長い時間ではなかった。


 すぐに鳴海が現れて、現場──倒れている護衛、こめかみを撃ちぬいたあねごと、その手にあるリンのピアスを見て状況を把握したのか、盛大な舌打ちをして地面を蹴りあげた。


「クソッ、やってくれたな……ッ!」


 彼女は苛々とか髪をかきあげながらも、行動は迅速だった。

 各所に連絡をいれ、矢継ぎ早に指示をとばしていった。


「わかったな、五分以内に準備しろ。私もすぐ行く」


 携帯電話をきると、鳴海はその場を後にしようとした。


「おい、ちょっと待てよ!」


「なんだ、今は時間がないんだ後にしろ」


 眞己が肩に手を置き呼び止めると、殺気だった声と視線で返事が返ってきた。


「ふざけるな。状況を説明しろよ! なんでッ、どうしてこんなことになってんだよッ!」


 それに負けず劣らずの殺気だった声で詰問した。肩に置いた手に我知らず力がはいった。

 鳴海はうざった気に鼻を鳴らす。


「リンが誘拐された。そこで死んでる赤坂恵の手引きでだ」


「なんであねごがッ? そもそもリンには腕利きの護衛をつけていいたはずなのに、なんでこんなところで簡単にやられるんだよ!」


「いいか。さっきから言っている通り時間がないから、簡潔に言ってやる。赤坂恵は姫宮一族第三の家門──赤裂家の者だ。第三家が司るのは『力』。リンの護衛は彼女の暴力によって蹂躙された。見たところ七人は死亡。残り三人が虫の息だ。そして、私たちに情報を漏らすことのないように自らの口を封じた。死ぬことによってな」


 眞己はあまりの衝撃に声もだせなかった。


「さらに付け加えるなら、それぞれの家の息がかかった者たちがこの学園にはまだ何人も潜入している」


 眞己の驚愕はそれにとどまらない。


「玲や琴葉もそうだ」


 その言葉はこれ以上ないほど、眞己を打ちのめした。


 気のいい仲間だったあねごは自分たちを騙していた。


 腹黒で情報通でいつも頼りになる親友の玲は敵側の人間だった。


 情報通で腹黒で、いつも笑顔で人を陥れていた琴葉もまた敵側の人間だった。


 あねごは言っていた、楽しい偽りの学園生活と。まさにその通りだ。


 これが、リンのいる世界なのだ。

 誰も信用できず、いつ誰が敵となるかわからない人間関係。


 つねに命を狙われる薄氷の上を歩くような日常。

 なんて脆い世界に、リンは生きているのだろう。


 眞己の内心を見透かすように、鳴海が鼻を鳴らした。


「それがわかったら離せ。すぐに召集をかけても部隊を編成するのに十分はかかる」


「……オレも、オレも行く」


 そう言った眞己に、鳴海は冷ややかな一瞥をくれた。


「お前が、なぜだ」


「なぜって……」


「お前は燐を護るために今までそばにいた。護るだけならお前はそこそこ使えただろう。だが今回はもう遅い。燐を取り戻すのにお前の存在は足手まといなだけだ」


 鳴海はそう言い捨て、眞己の手を振り払った。

 そのまま踵を返し彼女は行ってしまう。眞己はその背を見送るしかできなかった。


「クソ……ッ」


 冷静に考えればそうだ。眞己は専門に訓練を受けたわけでもなく、鳴海の用意する救出部隊に混じっても団体行動を乱すだけだろう。

 それでも──


「放っておけるわけないだろうが……ッ」


 吐き捨てるように言い残し、眞己は教室に向かって走り出した。


「オレに燐を見捨てることができないと、そう言ったのはあんただぜ、鳴海先生」


 そう眞己にもまだできることはある。鳴海は召集に十分程かかると言っていた。それはリンを救出するための人数を集めるのにかかる時間だろう。だが、その十分間、リンが安全だという保障はない。

 だったら、その十分間を、自分が稼いでみせよう。


 目的地である教室に着いた。

 乱暴に扉を開く。

 教室の中には人影が二つ。

 玲と琴葉である。


「ようやく、すべてを知ったようだね、志藤眞己くん」


 言いたいことはたくさんあった。聞きたいことも山ほどあった。

 だが、今は一分一秒でも時間を無駄していられない。眞己は、敵側の人間であるふたりに、たった一つのことだけを訊いた。


「リンの居場所を教えてほしい」


 玲の顔に人好きのする笑みが浮かんだ。


「僕たちがそれを教えるとでも?」


「ああ」


 眞己はそう答えつつ、教室の後ろにある自分のロッカーに歩み寄っていた。鍵を開けると、その中には完全防弾仕様のフルフェイスのヘルメットとライダーズスーツ、CB一〇〇〇スーパーフォアの鍵。そして拳銃──グッログ26改と弾の装填されたカートリッジ。

 それらをブレザーだけを脱いで制服の上から素早く身に着けていく。


「お前たちもリンが帰ってこなかったら困るだろう?」


「それは友達として、という意味で訊いてます?」


 琴葉がどこか嘲るような、それでいて泣くことをこらえるような表情で言った。


「わたくしたちはお恵さんが燐さんを攫うつもりだと知っていてもなにもしなかったのですよ」


 もちろん、と後を続ける。


「彼女が赤裂家に連なる者だということも知っていました。それどころか、お恵さんの妹が本家筋の人たちに攫われて──人質にされて二重スパイをさせられているということも、その命令で赤裂家の意向に逆らって燐さんの誘拐の手引きをしたことも、すべて知っていました。それどころか彼女の妹がすでに殺されている可能性が高いという情報も得ていました。お恵さんのやっていることは無駄だって。そうわかっていて、わたくしはなにもしなかったんですよ? だって、私たちがここにいる理由は、燐さんに関するあらゆる情報を集めて、それを報告するだけなんですもの。そんなわたくしたちが、いまさら燐さんを助けるために情報を売るとでも思っているのですか……ッ?」


 眞己にはその言葉が懺悔のようにしか聞こえなかった。


 彼女だって、こんなことはしたくないのだ。あねごを助けらなかったことを後悔しているのだ。

 これでリンまで救えなかったら、もっと傷つくに決まっている。だってオレたちは友達なのだから。


「じゃあ、ギブアンドテイクだ」


 眞己がそう言ったときには準備を終えていた。

 すでに上下ともにライダーススーツを身に着けており、拳銃も腰に挿している。


「オレはお前たちにリンの情報をやる、そしてお前たちはオレにリンの居場所を教える」


 どうだ、と眞己は視線をやる。


「いいよ」


 それに答えたのは玲だった。


「……ッ! 玲さん!」


 琴葉が非難の声をあげた。玲はそれに平然と返した。


「なにも問題ないよ。だって僕たちがここにいる理由は姫宮燐に関するあらゆる情報を集めること。有益な情報が手に入るなら、ある程度手段は問わなくてもいいはずだ」


 その言葉に琴葉は沈黙した。それは無言の肯定ととっていいのだろうか。


「では、聞かせてもらおうかな。僕は以前から姫宮燐には大きな秘密があるとにらでいる。それを僕たちに教えてほしい」


 眞己は覚悟を決めるように深く息をつき話しだした。


「リンはな……──生活不能者なんだ」


「「……は?」」


 玲と琴葉の顔がハトが豆鉄砲を食らったように奇妙に歪んだ。


「片付けをさせれば泥棒が入ったのかと勘違いするぐらい散らかすし、料理もまったくと言っていいほどできないし、これでもかってほど我侭だし、好き嫌いは多いし、寝起きも最悪だ。あいつが学校でめせている外面のよさなんて、仮面だぞ、仮面。ホントのあいつは我侭王子なんだよ」


 でも、と眞己は続ける。


「オレはその我侭な王子さえも仮面に思えるときがある。あいつの周りは敵だらけで、弱みを見せることは命取りだからと、体調が悪くても無理をして平気な振りをする。信じられるか、あいつ今まで生きてきて看病もろくにされたことないんだぜ。しかも、謝ることすら弱みになると怯えて、満足にできないやつだ。本当のあいつは寂しがり屋で、弱くて、傷つきボロボロで、立っているのもやっとな孤独な子どもなんだよ」


 最後は玲と琴葉を見据えてはっきりと言った。


「だからオレは、あいつを──リンを護ると、そう決めたんだよ」


 その答えに、玲はわらった。


「とりあえずは十分、かな。いいよ、契約成立だ」


 いつの間にか彼の手はパソコンのキーボードの上を踊り、まるでピアノの演奏をしているようだった。


「今から姫宮燐の追跡作業に入るよ」


「追跡作業中って、あいつもう発信機なんて持って……」


 いや、そもそも誰にも発信機の存在なんて言っていないのに。


「発信機はあるよ。志藤眞己くんは知らなかったかもしれないけど、彼の身体には外科手術で何箇所も発信機が埋め込まれているんだ」


「な……っ?」


「当たり前だろう。彼は姫宮家の跡取り息子だ。それぐらいはやる。犯人達もそのすべてを抉り出すことはできないだろう」


 その言葉に慄然とした。

 姫宮家がリンの身体に発信機を埋め込んでいたことも、玲が平然とそれを抉り出すと言ったことも。なによりそれらの情報を知っていて、それを利用してリンの追跡をしていることに。


「よし、できた。姫宮燐くんの発信機のひとつにアクセスできた。衛星にもハックして、位置情報を送ってくるようにしておいたよ。これで発信機が壊されない限りは彼の動きを追える」


 確かに玲の持っているパソコンの画面にはこの一帯の地図が表示されていて、点滅するドットがその地図上を動いていた。


「眞己さん。急いでください。燐さんを助けるのでしょう?」


 琴葉は、いつの間にか携帯電話スマートフォンを複数同時に通話状態にし、聖徳太子も真っ青なぐらいに会話能力を発揮していた。しかも目はSNSの情報をさらい、指はこれでもかという速度でフリック打ちをしていた。


「燐さんはいま黒塗りの車で市外にある倉庫街のほうに連れて行かれているそうです。その貸し倉庫の──Cブロックの三番からDブロックの七番までは人の出入りが禁止されている一帯になっています」


「ふーん、相手も考えているね。そこなら一時的に身を隠すなら絶好の場所だと思うよ」


 眞己は開いた口がふさがらなかった。


「お前ら……なんて恐ろしいやつらなんだ……」


 その言葉に二人して言葉を返した。

「言っただろう──」


「──『情報は力』」


 だよ。です。と語尾は違ったが、玲と琴葉はそう言って、そっくりな笑みを浮かべた。


 そして眞己も同じように笑みを浮かべて、拳を握り親指を立てた。


「極上だぜ、お前ら」


 眞己は単車の鍵とフルフェイスのヘルメットを持って走り出さんばかりだった。


「玲。リンを乗せた車はまだ移動してるか?」


「うん、だけどもう行くんだろう?」


「ああ」


「じゃあ、これを持っていってください」


「僕からはこれを」


 そう言って二人から渡されたのは、携帯電話とそれにつなぐイヤホンマイクだった。


「それで絶えず位置を知らせるよ」


「気をつけてくださいましね」


「ああ、任せろよ」


 そうして教室を飛びだそうとして扉を開けたとき、眞己が出会ったのは──


「ま、眞己くん!」


 心配そうな顔をしたかれんだった。


「恵ちゃんがどこにもいないの、いきなりいなくなってそれで……、燐くんも、どこを探してもいないの、なんだかとてもいやな予感がして……」


 その言葉に眞己はなにも返せなかった。

 あねごは死に、彼女の手引きでリンが誘拐されたなどと言える訳がない。


「赤坂恵さんは、ちょっと身内に不幸があったとかで、ここにはいないよ」


 後ろからそう言ったのは玲だった。


「もしかしたら転校しなくてはいけないかもしれないそうです」


 琴葉が付け加えた。


「そんな……」


 かれんはショックを受けていた。


「り、燐くんは?」


「今から志藤眞己くんが迎えにいくところだよ、そうだよね?」


「そうですよね?」


 ふたりして眞己を見つめる。

 あねごは死んだ。それは紛れもない事実で、死人を連れ戻すことはどうやってもできない。

 だが、リンは違う。まだ間に合うのだ。

 その言葉に力強く頷く。


「ああ、行ってくるよ」


 必ずリンを連れ戻す。


 眞己はかれんに背を向け、一歩を踏みだすと、そのまま駆け足になった。


「──気をつけてね」


 かれんが後ろから声をかけた。

 それに眞己は親指を立てた拳をつきだすことで答えた。

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