第14話


「おい、起きろ。この非常識男」


 不快な衝撃とそれ以上に不快な声によって、眞己は意識を取り戻した。

 まず感じたことは、身体中が痛いということだった。


「おい、起きたのだったら、さっさとここから立ち去れ。目障りだ」


 視界に入ったのは美麗な顔に包帯を巻いた男だった。


「……伊集院?」


「気安く呼ぶな。耳が腐る」


「なんでここに?」


「僕はもとからここにいた。貴様が上から落ちてきたんだろうが」


 ここでやっと記憶がはっきりした。自分は鳴海に窓から蹴り落とされたのだった。意識をよりクリアにするために頭を振ると、ガラス片が髪の間からパラパラと落ちた。


「よく死ななかったなオレ……」


「いっそ死んでくれれば良かったのにな」


 伊集院が煩わしげに鼻を鳴らした。眞己はそれに対して肩や首をまわし、身体の調子を確かめながら立ち上がって応えた。


「で、伊集院。その顔はどうしたんだ? 随分男前になったじゃないか」


 その言葉に、伊集院は蕁麻疹のういた頬を引き攣らせた。


「これは、貴様が、僕の近くにいるからだろうが……ッ」


 ああ、そういえばそうだった。こいつ男が近くにいたり、話すと蕁麻疹がでるんだった。だが──


「オレもお前と冬美先生のおかげで危ない橋を渡ったんだ。おあいこだろう」


 お前たちの手引きで狙撃手が侵入したおかげで、こっちは死にかけたのだ。ここはきっちり牽制しておかなければ。


 ここで伊集院が眉を顰めた。


「……なにを言っているんだ? 貴様は?」


 その顔は本当に疑問を抱いているようで、演技だとしたらアカデミー賞ものである。そう簡単に冬美先生の背後に自分がいるということも、リンの暗殺の手引きをしたことも明かす気はないということだろう。


「べつに。ただ、あまり、リンにちょっかいを出すなよ。めんどくさいことになるから」


 とくに今、リンは情緒不安定ときている。


「だから、貴様はなにを言っているのだ?」


「べつに。ただの世間話だよ」


 眞己は肩をすくめてその場を後にした。伊集院と顔をつき合わせていても面白くもなんともない。


 ただ、伊集院はその場にとどまり、眞己の言葉を吟味するように空を睨んでいた。


 そして、教室に戻ったのだが、なぜかそこは針の筵だったりした。


「おい、玲。これはどうしたんだ?」


 教室の生徒──とくに女生徒の視線がやけに痛い。


「ああ、志藤眞己くん。大丈夫かい? 三階の窓から転落したって情報が入ったけど」


 眞己はその言葉に首を横に振った。そして髪についたガラス片が落ちるのを見せつけてやる。


「そう、大丈夫そうで安心したよ」


 それでこの答えが返ってくるのは、人としてどうかと思う。


「で、志藤眞己くん。姫宮燐くんと喧嘩したんだって? 彼、すごく落ち込んでるみたいだよ。それを周りが心配して、心配して」


 玲は爽やかな笑みを浮かべると、先ほどの質問に答えてくれた。


「その心配が巡り巡って、原因たるオレへの怒りに転換されたってか?」


「そういうことだね」


 勘弁してくれよ。眞己はため息を吐いた。


「まあ、月の出ない夜は背後に気をつけたほうがいいかもね」


「ありがとう。その心温まる言葉に涙がでそうだよ」


「どういたしまして」


 皮肉も通じないこいつの面の皮の厚さと、腹黒さは国宝級だと思う。

 眞己は再びため息を吐くと、周囲をなるべく意識しないように席についた。


 だが、周囲は自分を放っておいてくれるほど甘くはないようだ。


「眞己、話があるんだけど、ちょっとばかし顔かしてくんない?」


「ちなみに拒否権はありませんので、あしからず」


 眞己がその声に顔を上げると、これでもかというぐらい不機嫌なあねごと、寒気がするほど優しげな笑みを浮かべる琴葉がいた。


「うわ、マジで……?」


「うん、まじで。ほら、さっさと立つ」


「早くしないと、あなたの弱みを学校中にばら撒きますよ」


 左右から腕を掴まれて連行された。一縷の望みをもって玲に助けを求めたが、爽やかな笑顔と共に、いってらっしゃい、と言われただけだった。

 友情って儚い。


 そして連れて行かれたところは、人気のまったくない教室──視聴覚室だった。どっから鍵をもってきたんだろう。そう思いながら中に入ると、


「あ……」


 ──そこには、かれんがいた。彼女は眞己の姿を確認すると、顔を真っ青にして慌てて俯いた。


 眞己はそれに戸惑った。そう、問題はリンだけでなく、かれんのこともあったのだ。


「で、眞己。大体の事情はかれんから聞いた」


「そこであなたに謝りたいそうです」


 それで、なぜあなた達はこんなにも敵意剥き出しなのですか。


「だから、あたし達は席を外すけど、かれんを不当に責めたら──、潰すからな」


「なにをっ?」


「片方だけ残すとか、そんな慈悲はあたしにはないから肝に銘じろよ!」


「だからなにをだよ!」


 その視線は男のシンボルへとむけられた。嘘であって欲しかった。


「そうですよ。かれんさんを泣かすようなことがあれば、社会的に抹殺しますからね」


「いや本気でやめて!」


 おばあさまや孤児院のみんなに顔向けできなくなる。


「それはもう徹底的に。あなたが生きてきた痕跡までも消し去ってさしあげます」


「だからマジで勘弁してくれって!」


 眞己は肩を落とし、首を横に振った。だいたい自分がかれんを責めるわけがない。


 かれんが約束を破ったのだって、リンがそう仕向けたからだ。

 リンのその気になれば人を意のままに操るなんて簡単なのだから。


「彼女を責めたりなんかしない」


 眞己がそう言うと、彼女達はこちらに厳しい一瞥と、かれんを気遣うように肩に手を置き、教室を後にした。


 そして──、二人っきりの空間はハッキリと気まずかった。


 何か喋らなければいけないと、わかってはいるのだが言葉が見つからない。かれんは眞己が入ってきたときから自分の足元に視線を彷徨わせて忙しなく指を組み替えている。こんな状況でも、そんな仕草がいじらしくて可愛いと思ってしまう自分はもう末期かもしれない。

 とはいえ、このままでは状況が動かない。覚悟を決めて口を開いたのだが──


「あの」


「あの」


 見事なまでに言葉が重なった。なんかさらに空気が重くなった気がした。


 神様の意地悪。


「……えーと」


 それでも、負けじと眞己はがんばった。


「あのさ、昨日のことだけど……気にしてないからさ。かれんちゃんも気にしないでよ」


 がんばったオレ。眞己は自分をほめた。

 だが──


「……気に、します……」


 無情にも問題は解決しなかった。かれんが潤んだ目でこちらを見上げていた。


「わたし、最低なんです……」


 かれんはぽつりと呟くように言葉をはきだした。


「眞己くんとの約束を破って、燐くんと……」


「それは──」


 リンがそういう風に仕向けたからだ。アイツがそう望めばそれを断ることができる人間なんていない。そうリンの一族は人を思いのままに操ることを気が遠くなるほど昔から追求してきた者の末裔なのだから。だから──


「気にしないほうがいいと思う」


 眞己がそう言うと、かれんは表情を曇らせて睫を伏せた。


「……みんなが、そう言ってくれた。燐くんは特別だから仕方がない。燐くんだから気にしないほうがいい。燐くんだから──」


 かれんが唇をかんだ。


「みんながそう言って、わたしを責めなかった。琴葉ちゃんも、恵ちゃんも、眞己くんでさえも……」


 眞己は何も言わなかった。


「でも、わたしは、わたしが悪いことを知っている。誰がそう言わなくても、わたしだけはそれを知っている。だってわたしは、眞己くんの約束と燐くんの誘いを天秤にかけたから。そして、わたしは燐くんを選んだのだから」


 ここでかれんは初めて眞己とまともに目を合わせた。その瞳は真摯でこのうえもなく真剣だった。


「だから、ごめんなさい──」


 かれんが頭を下げた。

 眞己はなんとなく気がついてしまった。そして、かれんのことが好きだから、訊かずにはいられなかった。


「かれんちゃんは、リンのことが──好きなの?」


 その問いに、かれんは慌てて頭を上げた。その顔は真っ赤だったが、それでも彼女は目をそらさずに答えた。


「はい。好きです」


「そう……」


 今度は眞己が目を伏せる番だった。なんというか失恋だった。想いは打ち明ける前に散ってしまった。それでも──


「リンはさ──」


「はい」


「リンはさ、その想いに応えることはないよ」


 だって、アイツは女だから。


「アイツは誰も好きになることはないよ。少なくともこの学校にいる間は」


 だって、リンには腹違いの弟を護るために自分の幸せを捨ててしまっているから。


「オレはそれを知っているから。だからそれはつらい恋になると思うよ」


 ここで眞己は伏せていた目を上げてかれんを正面から見た。


「だから、さ──」


 咽喉が異常に渇いて、声が絡んだ。それでも、言わずにはいられなかった。


「──オレにしなよ」


「え──?」


 かれんが大きく目を見開いた。


「オレだったら、かれんちゃんにつらい思いはさせないし、悲しませたりもしないし、──絶対に後悔させないよ」


 それに、かれんの瞳は一瞬だけ揺れたが、すぐに真摯な光を宿して答えた。


「ごめんなさい──。それでもわたしは、燐くんのことが好きです」


「……報われることはないよ。それでも?」


「はい」


 かれんは頷いた。


「だって、相手が自分を好きになってくれるかどうかで、恋なんてしないです。気がついたら好きになってて、自分ではどうにもできないのが恋だから。本当に好きだから、そんな簡単にはあきらめきれません。だってそれが恋だと思うから。それが人を好きになることだと思うから」


「そっか……」


 胸の奥が痛かった。今度こそ本当に失恋したのだ。


「ごめんなさい」


 かれんが再び頭を下げた。


「いや、かれんちゃんが謝ることないよ」


「でも」


 その顔は本当に申し訳なさそうで、別の意味で胸が痛かった。困らせたくてこんなことを言ったわけじゃなかったのにな。眞己は苦笑するように笑った。


「いや、かれんちゃんは悪くないし、オレも怒ってないよ。むしろ感謝してる、かな」


「え、どうして?」


「ちゃんと、オレと向き合ってくれたから。ちゃんと答えをくれたから。だからありがとう」


 そう言って笑うと、かれんちゃんはやっと──ほんの少しだけどはにかむように笑ってくれた。


「さあ、これで仲直り。べつに喧嘩してたわけじゃないけどね」


 眞己は右手を差し出した。

 かれんはその手をしばし、きょとんという顔で見ていたが、仲直りの握手だと気がつくと、おずおずと手を握り返してきた。


「うん、仲直り……。ずっと友達だよね……?」


「ああ、ずっと友達だ」


 そう答えると、かれんはやっと安心したように笑った。それはいつもの見る者の心を暖かくしてくれる、ふわふわとしたやわらかい笑みだった。


 だが、それを直視するのはまだ少しだけ胸が痛くて、眞己はこれだけ言わせてもらうことにした。


「ただ、かれんちゃんをあきらめるのを少し待ってほしい、かな」


「え?」


 かれんの顔に困惑が浮いた。


「だって、自分ではどうにもならないのが恋で。簡単にはあきらきれないのが、人を好きになるってことなんだろう? だったらオレは本当にかれんちゃんが好きだったからそんなに簡単に心を切り替えるなんてできないから」


「え、え? えぇ?」


 あたふたと慌てるかれんはやはり可愛く、眞己の頬は緩んだ。


「さあ、問題も解決したし、行こうか。あまり待たせると、あねごと琴葉になにを言われるかわかったもんじゃない」


 そう言っていまだ混乱状況にある可憐の手を引いて二人の元に戻ることにした。


 もうひとつの問題は、鳴海がフォローしてくれると言ったが、やはりオレのほうから謝ったほうがいいんだろうな。

 そんなことを考えながら。

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