第10話


 夜の学校は異様だ。

 いつもいるはずの生徒の姿もなく、ひっそりとそこに佇んでいる。

 あるはずの生徒達の声が聞こえない、それだけで、ただ不安になる。

 だから、夜の学校は、怪談の題材としてよく用いられるのかもしれない。

 正門の前に立ちながら、眞己はなぜこんな時間にここにいるのだろうと悩まずにはいられなかった。

 始まりはいったいなんだったのだろう。

 それは今日の昼休みまでさかのぼる。



 いつもの面子で昼食をとりつつ屋上でまったりしていた。

 そして始まりの言葉は、あねごから発せられた。


「そういえばさ、あの世に続く十三階段って知ってる」


「ああ? なんだそれ」


 眞己は手作り弁当を食べながら首をかしげた。

 答えは別のところから来た。


「屋上へ上がる階段は十二段、だけどあるはずのない十三段目を踏むと屋上からあの世への扉が開かれる。割とポピュラーなどこにでもある七不思議のひとつだよ」


「そうですね。確かに学園七不思議のひとつ目が、あの世に続く十三階段、でしたね」


 横から、玲と琴葉が口を出す。本当に便利な存在だな。


「そうそう、それ。今日さ、たまたまその話がでたんだけど、七不思議を全部知ると死んじゃうってほんとなの?」


 すると、玲と琴葉が笑った。


「ナンセンスだよ。だったら僕はすでに死んでいることになる」


「わたくしもです」


「へえ、じゃあ、二人とも七不思議を全部知っているんだ」


「当然だよ」


「勿論です」


 あねごが面白そうに唇の端を吊り上げた。


「言ってみて」


「ちょっと、恵ちゃん」


 かれんがあねごの袖を引っ張った。


「まあまあ、かれんも聞きなよ。きっと面白いからさ」


 にんまりという表現がぴったりな笑みを浮かべる。


「……もうっ」


 かれんは困ったようにそっぽを向いた。怖い話が苦手なところも可愛いと思う。


「では、学園七不思議その一は、先程も言った、あの世に続く十三階段」


 玲がいつも持っている小型ノートパソコンを見ながら言う。


「学園七不思議その二、女子トイレの鏡」


 琴葉が愉しそうに後を続ける。

 それに玲が付け加える。


「この学校には一箇所だけ足元まで鏡のある場所がある。それが東棟二階にある女子トイレだ。全身が映せることもあって女子に人気であるが、その鏡は決して夜に覗いてはいけない。そこには普通の鏡の位置では映らない、いないはずの子供が映るからだ」


「学園七不思議その三、真冬の日に咲く桜の木」


「この学校には桜の木が多く植えられているが、その中でもひときわ大きな桜の木がある。それは樹齢百年を越え、すでに花を咲かすことはない。それもそのはず、この木は学校が建つ前にすでにそこにあり、とある少女の慰霊のために植えられたものだといわれている。そのため彼女の命日である真冬の夜にだけ花を咲かす」


「学園七不思議その四、図書館の貸し出し禁止書」


「この学校の図書館には貸し出し禁止の文字の入った帯が巻かれた本がある。それらの本はできるだけ読んではいけない。禁止書のなかには死者の書いた本が混じっているのだから」


「学園七不思議その五、古い焼却炉」


「この学校の西棟には鎖のかけられた古い焼却炉がある。これは昔虐められた生徒が焼き殺されたために封鎖されたという噂だ。今でもその子が死んだ日の、その時間になると、何故か煙が上がる」


「学園七不思議その六、音楽室のピアノ」


「旧校舎の音楽室には曰くつきのピアノがある。昔とある少年がコンクールのための練習中に吐血して死んだ。今でもその課題曲を弾くと鍵盤に赤い染みが浮き出るのだという」


「学園七不思議その七、毎夜彷徨う人魂」


「ん? なにを言っているんだい? その七は、毎夜遊ぶ女の子の幽霊だろう?」


 ここで初めて二人の意見が食い違った。


「えぇ? そんなこと聞いたこともありません。玲さんのほうが間違えているんです!」


「いや、違うね。君が間違えているんだよ」


 互いに自分の情報には自信があるのか、どっちも引かない。


「どっちが本当なんだろうね……」


「さあ、どっちでもいいだろう、そんなの」


 リンが微妙に眉をひそめて呟いた。それに眞己は投げやりに答えながら、目をつぶって必死に耳を塞いでいるかれんと、彼女の押さえる手を引っ張りながら、耳元に先程の七不思議を吹き込んでいるあねごを見つめていた。なにをやっているんだか。


 その間にも、玲と琴葉は至近距離で睨み合いながら、人魂! 幽霊! と言い合っている。


 なにをやっているんだか。ため息をつきながら、玉子焼きを口に含んだ。うむ、美味い。が、もう少し砂糖を入れても良かったかもしれないな。


「では、賭けましょうか。どちらの情報が正しいのかを」


「望むところだよ」


 雲行きが怪しくなってきた。そろそろ止めたほうがいいかもしれない。

 眞己が制止の声を上げようとしたそのとき──


「よし! じゃあ、夜の学校に確かめに行こうよ!」


 あねごがネコがまたたびを見つけたときのように目を輝かせて言った。


 うわぁ。言っちゃったよこの人。


「ちょっと、恵ちゃん!」


 怖がりなかれんが悲鳴のような声を上げた。すでに眉尻が下がり泣き出しそうである。


「いいじゃん、夏にはちょっと早いけど肝だめしをしようよ」


「いや、ちょっとじゃなくて、だいぶ早いだろう」


 まだ時期は四月の中旬である。まだまだ夜は寒く、わざわざ肝を冷やす必要もない。


「じゃあ、それで確かめよう」


 玲が冷笑を浮かべながら言い、琴葉が受けて立つとばかりに微笑を浮かべる。


「なにを賭けます?」


「互いの一番大切なものを」


「では、わたくしが勝ったら、その後生大事の持っているパソコンをいただきましょうか」


「じゃあ、僕が勝ったら、君の大切な人脈がつまっている携帯電話スマートフォンの束をもらおうか」


 睨み合いながら、うふふふ、はははは、と互いに笑いあう様は、幼子が見たらトラウマになりそうなほど陰惨な空気を醸しだしている。

 あねごがそれを見て、にんまりと笑う。


「では、決行は今夜。校門前、九時に全員集合ということで」


「け、恵ちゃん。本当にやるのぉ」


「もち」


「ええぇぇ~?」


 リンがそれらも見ながら、ぽつり、と呟くように言う。


「本当に行かなきゃダメかな?」


 彼女も行きたくないのだろう。眞己だって絶対に行きたくない。だが、


「行かなかったら、家まで迎えに来るだろうな」


「そうだよね……」


 深々とため息をつき、リンは何かを諦めたように、睨み合う琴葉たちと、じゃれ合うかれんたちを眺めていた。

 眞己もそれらを眺めながら、弁当の続きを食べ始めた。


 そして夜──


「では、学園七不思議体験ツアーを始めます」


 どこから取り出したのか、あねごは赤い旗を振りながらガイドさんよろしく先頭に立っていた。


 その後ろを眞己たちがぞろぞろと歩く。とくに、かれんは首をすくめるようにして身を身を縮め、あねごの裾を小さな子供みたいに掴んで離さなかった。

 それを見ながら眞己は、ため息をひとつ。


「で、毎夜彷徨う、人魂だか幽霊ってのはどこに行けば確かめられるんだ?」


「彷徨うっていうぐらいだから、適当に学校を散策してれば見つかるんじゃない? この際、七不思議の現場を順々に周ってみようよ」


 あねごが愉しそうに言う。この際と言っているが、最初っからその気だった事は聞くまでもないだろう。


「では、学園七不思議その一、屋上に続く十三階段ということで第一校舎にゴーッ!」


「ほんとに行くんだ……」


 ポツリと後ろで声がした。


「リンどうした? また具合でも悪いのか?」


 そう、屋上で怪談話をしたあたりから、なぜか大人しいのだ。


「いや、そういうわけじゃないんだけど……」


 リンは優美な眉を顰めて呟いた。どこか歯切れが悪い。


「本当か?」


「うん、まあ……」


「ほらほら行くよー」


 あねごがすでに旗を離し、ライトを片手に歩き始めている。それにかれんが恐々と続き。玲と琴葉が険悪な雰囲気で後に続く。

 それにそれ以上追求するのを諦めた。


「行くぞ、リン」


「え、うん……」


 眞己も懐中電灯で辺りを照らしながら後を追った。


「ねぇぇ……、もう、帰ろうよぉ、恵ちゃん。こわいよぉ……」


 かれんの泣きのはいった声が聞こえる。可哀想に、こんなヤツ等につき合わされて。まあ自分もつき合わされているんだけど。


「で、次はどこに行くんだ?」


 もう午前一時を過ぎている。良い子は寝る時間である。


「んー? 次は学園七不思議その六、音楽室のピアノだね」


「ということは、旧校舎のほうに行くのか」


「そゆこと、んじゃ、いくわよー」


 そう言い残してさっさと行ってしまう。それに無言で玲と琴葉がついて行く。というかさっきから一言も口をきいてないなこの二人は。


「ちょ、ちょっと待ってよぉ……」


 それに、かれんが出遅れて置いていかれる。


「大丈夫? かれんちゃん?」


 かれんが大きな目に涙を浮かべながら、ぶんぶんと首を横に振った。子供みたいな仕草だ。あまりの恐怖に半ば幼児退行を起こしているのかもしれない。なんか、孤児院の幼い妹たちを思い出した。


「良かったら使う?」


 そう言って眞己は右手を差しだした。

 かれんは、きょとんっ、としてその手を見つめていたが、やがてその意味がわかったのか、その手に、ぎゅうっ、としがみついた。まるで溺れた者はわらをも掴むって感じだった。


「あ、ありがとう……」


「どういたしまして」


 眞己は合法的にかれんの手をとることができて、内心うはうはだった。

 そこに──


「ん、どうした、リン?」


 リンがそのつないだ手をじっと見ている事に気付いて声をかけた。


「いや、なんでも……」


 そう言うとリンはすたすたと先に行ったあねごたちの後を追った。


 そして、旧校舎。

 夜の学校は確かに不気味だが、旧校舎の不気味さは桁が違う。昼ですら薄暗く怖いのだから、当たり前といえば当たり前だ。それにここは立ち入り禁止区画だもある。老朽化も進み傷んでいるので、危険という判断が下されている。


「こ、こ、こ、ここにはいるのぉ~」


 すでにかれんの声が震えている。


「もち、行くよ」


 あねごの行動は早かった。後ろでくくった髪を勇ましく揺らしながら堂々と中に入っていこうとして──

 ──鍵が閉まっていて扉が開かないことに気付いた。

 これ幸いと、かれんが訴えかける。


「こ、これじゃあ、中に入れないよね、ね! だからもう帰ろうよぉ」


「ふん、心配御無用」


 そう言ってあねごが取り出したのは、今や持っているだけで警察に捕まってしまう禁制の品だった。


「ほらウドの大木のように突っ立てないで鍵穴を照らして」


 眞己にライトを持たせて、あねごは鍵穴にかぎ状の細い棒、二本を差し込み交互に動かしていく。そして──二十秒後、カチリという硬質な音を立てて鍵が開いた。


「まあ、ざっとこんなもんよ」


 あねごがにやりと笑った。どこでこんな技術を仕入れてきたのだろうこの娘は。


「さあ、張り切って行くわよ!」


 眞己からライトを取り上げると彼女は勇み足で中に入った。

 床が軋んだ音を鳴らす。


「大丈夫かここ?」


 眞己の声が反響した。怖さからではなく、あまりのボロさに出た言葉だ。床を踏んだ瞬間に感じた感覚は、軋んだというより、たわんだ、という感じだった。この床抜けないだろうな?


「さあ、これまでは怪奇現象が起こらなかったけど、ここは期待できそうよね」


 あねごの声が生き生きと弾んでいる。


「音楽室は何階だっけ?」


「二階です」


「その一番奥の教室だよ」


 琴葉と玲が今夜初めて声を発した。お化けよりもこいつらの醸しだす雰囲気の方が怖い気がする。


「では、ゴー!」


 そして音楽室。

 年代もののピアノがあった。もう調律してもまともな音が出ないということで、旧校舎の音楽室の放置されているピアノだ。


「さぁて、染みは・あ・る・の・か・な」


「課題曲を弾かなきゃ出ないんだろ、染み」


 眞己は適当に突っ込みつつ訊いた。


「で、どうするんだ? 六個目まで周ってみたが、なにも起こらないし、人魂も、幽霊もいないし、これでお開きでいんじゃないか?」


 時刻は午前二時を過ぎていた。そろそろ戻って休みたいというのが本音だ。


「ん~、そうだねぇ」


 あねごが考え込んだその時──

 ──眞己の背筋をぞくりとしたものが駆けた。


 その感覚にしたがって、背後に目を向けた瞬間だった。


 白い閃光が強烈な勢いで周囲を満たした。それは暴力的ともいえる明るさで、網膜を焼き、一瞬にして視界がきかなくなった。


 第六感が全力で警告を発していた。

 目の見えない状態でも眞己の身体はそれに従い、反射的に飛び出していた。


「きゃあっ」


 眞己が無意識に押し倒した人物が悲鳴を上げる。刹那のタイミングだった。眞己たちがいた場所を殺気の塊が貫いた。背後にあった窓硝子が耳障りな音をたてて砕ける。


「く……ッ!」


 焦燥に背を炙られながら、一刻も早くこの場から離れようと足を踏み出す。

 瞬間──


 足元の感覚が消えた。


 床が、──抜けたのだ。


「嘘だろおおおおおおおおおおおおおおおおっっ!」


 眞己はとにかく自分の腕の中にいる彼女だけは護らなければならない、という思いと共に闇に落ちていった。



●△◽️



 意識が覚醒したとき、眞己は横になった状態で眼鏡を失っていることに気付いた。まったく視界がきかない。まあ、光源もなく真っ暗なので眼鏡があった状態でもなにも見えないだろうが。すると正面から声が聞こえた。


「大丈夫かい?」


 その声は耳のあまく心地よい。この特徴的な声はリンしかしない。

 眞己は身体の節々をさすりながら身を起こした。どうやら打ち身や擦り傷だけで大きな怪我はないようだ。


「……それなりにな。リンのほうはどうだ?」


「うん、キミが護ってくれたからね、大事ないよ」


 リンの声がすぐ近くでした。隣に移動したらしい。


「そうか、なんだったんだろうな、あの光は?」


 悪意ある者の仕業かそれとも──


「──幽霊の仕業か……」


 リンが身体を震わせたのが、隣りあった肩から伝わってきた。


「ば、バカ言うな。お化けなんているわけないだろう」


 その声が微妙に震えていることに気付いた。まさかとは思うが、


「お前って、お化けとか怪談関係って苦手だったりするのか?」


 一瞬の沈黙の後。


「……そんなわけないだろう」


 やっぱ怖いんだな。眞己は頬をかいた。


「いや、そうなら最初から言ってくれれば……」


「怖くないって言ってるだろう……っ」


 リンの声が尖った。


「いや、オレにだけは本当のことを言ってくれ。この前みたいに下手に隠されるとこっちが困る」


 リンが沈黙した。やがて少し震えた声で言う。


「……少しだけ、ほんの少しだけ、怖くないこともない……かもしれない」


 素直じゃない。


「そうか、とりあえず助けを待つか」


 真っ暗のなか行動するのは、得策ではない。

 あねごか、玲か、琴葉か、かれんか、誰かが助けに来てくれるだろう。いや、それとも全員落ちているのか? だが、どっちにしろ鳴海先生がいる。彼女も眞己とリンと同じ仕様のピアスをしているのだ。いまごろリンのピアスから救難信号が送られていることだろう。


「ねえ、なんか喋ってくれない。こんなになにも見えないと、暗いところに一人で閉じ込められてるみたいで、さ……」


「いや、あんまり喋らないほうがいいと思うぞ。寒くなってきたし、無駄に口を開くと体力を消耗するからな──ぐぇっ」


 眞己のわきに肘が入った。リンは機嫌の悪そうな声を出した。


「ボクが喋れって言っているんだ、黙って喋れ」


 どうやって、黙ったまま喋るんだろう。まあ、それは言ってはいけないんだろう、きっと。眞己はため息をひとつ吐くと話し始めた。


「真っ暗でなにも見えないな」


 こんな夜はいつも、かぐやのことを思い出す。


「前にかぐやのことを言ったことがあると思うが」


「ああ、血のつながらない妹だろう」


「そうだ。あいつがな、いやに霊感が強い性質でな」


「うん?」


「こんな夜になると、よく虚空を見上げて固まっているんだよ。目を見開いて寝てるのか、器用なやつだなって、初めは思ってたんだけどな。違ったんだ。──あいつは見えるらしくてさ」


「え……っ、ちょっと」


「後で訊くと金縛りにあってたらしんだよな、それでよくオレの──」


「やめろバカ!」


 頭を引っ叩ひっぱたかれた。


「余計に怖くなったじゃないかァ!」


 微妙に涙声だ。いや、たいして怖くないだろこんな話。


「お前が喋れと──」


「誰が怖い話をしろと言ったんだい! ああ、もうっ、今夜は眠れないかもしれないじゃないか!」


「いや、あのな──」


「ああ、もうキミは喋るな!」


「…………」


「黙るなよ! 怖いじゃないか!」


「どうしろっていうんだよ……」


「怖くないようにしてくれ!」


 それこそ、どうしろっていうんだよ。眞己は途方にくれたような心境になった。

 とりあえず、怖くないようにしてと言われると、自分の経験則からこれしか思いつかない。


 眞己は右手を動かし、隣にいるリンの手をとった。


「──なっ?」


 リンの動揺した気配が伝わってきた。


「お姫様。良かったらお貸ししますよ」


「うぇ、うぅ……」


 リンは何かを逡巡するように手を震わせ、結局は重ねた手を握り返してきた。


「こうすると怖くないだろ」


 眞己は笑みを浮かべながら言った。


「かぐやがさ、こうすると安心できるらしくてな。こんな夜はよくあいつが寝付くまで手を握ってた」


「……うん、わかる気がするよ」


 その言葉を最後に、沈黙が降りた。でもそれは怖いと思うような静かさではなく、気まずくなるようなものでもなかった。


 眞己とリンが助け出されたのは、それから五分後のことだった。



●△◽️



「結局あれは何だったんだろうな?」


 次の日、眞己たちはいつもの面子で昼ごはんを食べながら、昨日の出来事について話していた。


「さあね、僕にもわからないよ」


 玲が肩をすくめ、琴葉が笑いながら口を開く。


「女の子の幽霊でないことは確かですね」


「彷徨う人魂でないこともね」


 まだ互いに根に持っているのか。


「にしても酷いよな。オレとリンを置いて帰ったなんてよ」


 玲が再び肩をすくめた。


「それはしょうがないよ。いきなり目の前が真っ白に染まって、目がなれた頃になると、志藤眞己くんと姫宮燐くんが消えているんだからさ」


「怪奇現象と思われても仕方ないです」


「まあ、散々学校の怪談について調べまわった後だったからね。まさか床が抜けて、落ちてるなんて思わなかったよ」


「気付けよ。今までなかったところに穴ができてるんだから」


「暗くてまったく気付きませんでした」


「それでも、志藤眞己くんたちを探して旧校舎中、探してみたんだよ」


「かれんさんなんて、ずっと泣いてたんですよ」


「そしたらさ、鬼道鳴海先生が見回りに来て、こんな夜中に何をしている、早く帰れ、って叱られてね」


「眞己さんと燐さんは鳴海先生が請け負ってくれましたから」


 そして、オレたちを助け出したと。


「ねえ、眞己。鳴海姉──いや、鳴海先生が仕事を手伝ってくれって」


 いや、オレって保健委員じゃないんだけど。そう思いつつ、入り口のほうに目をやると、鳴海が人差し指でこっちへ来い、と手招きしていた。

 ため息をひとつ吐くと、眞己は席を立った。


「なんの用ですか。鳴海先生」


「昨日のことで言っておくことがある。顔をかせ」


 そう言って、保健室へと連れて行かれる。眞己はかって知ったるなんとやらで急須にお湯を入れお茶を用意した。もちろん二人分だ。自分のだけを用意した日には殺されかねない。ひとつを鳴海の席に置くと、自分の分はそのまま手に持って、手近にあるベットに腰掛けた。


「で、昨日のことっていうと、肝だめしのときのことですか?」


 あの激しい発光のとき、殺気の塊がリンのいた場所を貫いたことだ。


「ああ、あの光は、特殊閃光弾のものだったし、その後に起こったことは、リンを標的にした狙撃だった」


 やっぱり、と眞己は深々とため息を吐いた。


「あの感覚は、そうじゃないかと思ってました」


「ああ、うまくやったじゃないか。これも私の訓練の成果だな」


 眞己はその言葉に、これ以上ないほど顔を顰めてしまった。

 訓練とは名ばかりの、拷問を思い出してしまったからだ。


 あれはまさに地獄だった。モノを避ける訓練をさせられたのだが、最初はカラーボールを鳴海が投げて、それを避けることだった。ボールが避けられるようになったくると、そのそれが、軟球、硬球、ゴルフボールとなっていった。ここら辺でもう洒落にならんだろうと思うが、まだまだ自分も考えが甘かった。洒落にならなかったのは、この先だったのである。それから訓練はさらに過酷さを増し、球は、ダーツ、パチンコ、投げナイフ、弓矢となった。


 そして、なんと最終的にはサイレンサーつきの拳銃となったのだ。


 はっきりと、死ぬ。というか死にたくなければ避けるしかない。命がけのだった。生傷の耐えない日々が続いた。枕の濡れない夜などなかった。


 しかも最終試験とかいうものが、これまた常軌を逸していたのだ。

 鳴海はその時こう言った。


「よし、そろそろ動体視力と反射神経、瞬発力は鍛えられたな。じゃあ最後に鍛えるのは──第六感だな」


 そう言って笑みを浮かべた鳴海の顔は魔女の笑みでもまだ大人しいと呼べるほど邪悪なものだった。

 その時、眞己の生存本能が全力で警鐘を鳴らしていた。


「おい眞己。これをつけて避けてみろ」


 差し出されたのはアイマスク──目隠しだった。

 その時点で眞己はキレた。


「できるかぁぁぁぁっっ! 殺す気か! 殺す気なんだろうっ! なあァっ!」


「いや、お前ならできる。私はそう信じているぞ」


 そう言う鳴海の顔は、これでもかというほど緩みまくっていた。


「うあわぁぁ、ぜってぇー嘘だぁぁぁぁぁっっ!」


 だが、どんなに抵抗しようとも、悪魔の手から逃げられるわけはなかった。


「眞己。やれ」


 その一言で、全ての行動は封じられた。

 こうなれば生き残る方法は目隠しをして、全てを避けるしかない。


「あァ、クソったれっ。わかったよ! やればいいんだろ! やればっ!」


 眞己は覚悟を決めた。眼鏡を外し、アイマスクをつける。視界が闇に包まれた。


 人間は感覚の大半を視覚に頼っている。視界がきかないだけで、人間はバランスすらとり辛くなるのだ。なにより、不安になるのだ。目の見えない世界で狙われる。それだけで精神は急速に消耗する。息が荒くなるのを必死で押さえる。視覚に次ぐ感覚──聴覚がきかなくなったらお終いだからだ。


 そして、眞己は待った。

 どれだけの時間が経過したのかはわからない。五分かもしれないし、まだ十秒も経っていないのかもしれない。それでも眞己はだたひたすらその瞬間を待ち続けた。

 そして──


 それは訪れた。


 一瞬にして、背筋に悪寒が駆け抜けた。毛という毛が逆立ち、額が信じられないほど熱くなった。

 眞己はその感覚に従い、全力で頭を横に動かす。


 半瞬後、耳元で空気が破裂する音を聞いた。頬が衝撃に弾ける。


 だが、眞己は動きを止めなかった。

 身体の中心が酷く熱い、それに耐え切れなくなる前に身体を反らす。


 そこを、ぎゅお、と灼熱した塊が空気を圧縮して通り過ぎた。

 そこでやっと動きを止めた。


「ふん、合格だ」


 その言葉を耳にした瞬間──、緊張の糸が切れた眞己はその場で倒れて気を失った。


 そのことを鮮明に思い出してしまい、眞己は鳴海の顔から目をそらした。


「まあ、お前が燐を護ってくれたおかげで、私はその燐を襲った生きる価値もない愚か者を成敗することができたからな。ほめてやる」


「そいつはどうも。で、犯人は誰だったんですか」


 鳴海はその優美な鼻を鳴らした。


「わからん。逃げた狙撃手その他三人の工作員は、捕えた時点で自害した」


 マジかよ。


「何もわからないってことですか」


「狙撃に使われた銃の名称とかはわかるぞ」


「そんなんわかってもなぁ」


「冗談だ。背後に誰がいるかは、だいたい見当はついている。姫宮家の親族の一人だろう。証拠さえつかめれば、速攻で始末してやる」


 そう言って、鳴海は朱色の唇を吊り上げるように笑った。それを見て眞己は、獰猛な肉食獣が爪とぎをしているところを連想してしまった。

 それにしても、同じ親族内で命を狙うとか、マジでやっていることに頭が痛くなる。


「だが、誰がこの学校に狙撃手たちを手引きしたのかは、わかっていない」


 眞己はその言葉に、冬美先生に仕掛けられたことを思い出す。そのバックには伊集院がいるはずだ。この二人が断然怪しい。今度あったら牽制しておこう。

 そんなことを考えている間にも話は続いていた。


「だから、これからは、より厳重に燐のことを護れよ」


 眞己はそれに対して答えを返さなかった。


「ん、どうした? 断る気か?」


 鳴海がその反応に獰猛な笑みを浮かべる。


「オレの選択肢に、否はない」


 わかりきっていることでしょう、という目で眞己は鳴海を見た。


「じゃあ、どうしたんだ。いきなり黙り込んで?」


「どうしてオレだったんだと思っただけですよ」


「どういうことだ?」


「べつに一般人のオレでなくても、生徒の中に隠れているプロの護衛をリンの傍においておけばいい。そのほうがリンの安全度は増すし、わざわざシロートを鍛える必要もないでしょう」


 一瞬の沈黙の後──


「ほう、いつ気付いた」


 鳴海の面白がるような声に、眞己は鼻を鳴らした。


「ずっと気になってはいたんですよ。あのリンの護衛がオレと貴女だけっていうのはありえない。万が一のことがあったとき、二人だけでは対応できる選択肢が限られてしまいますからね。そう考えたときからリンを取り巻く視線に気がつきました。少なくとも教員に三人、生徒に十人は隠れた護衛がいる。オレは他の護衛を隠す、囮としての護衛役でしょう」


 これは驚いたという風に、鳴海が笑った。


「ほぼ正解だ」


「だいたい、おかしいと思ったんだ。これだけ厳重に警備されたアイツに、オレみたいのが近づけるわけがない。そうなるとオレとリンを同室にしたのは、わざとだということになる」


「それもほぼ正解。燐にも知らせてないことなのに、よく気付いたな。褒めてやる」


「別にうれしくないですよ。いま気付いたところで、過去が変えられるわけでもないですし、貴女の命令には逆らえないですし、リンを護ることには変わりないですし。ただ気になっただけです」


「そうだな、特別に教えてやってもいいか」


 そう言うと、鳴海はお茶を机に置き、足を組み替えた。その太ももの艶かしさに見惚れそうになるが、あれは凶器である。迂闊に見ると、洒落にならない威力の蹴りが飛んでくる。眞己は視線を少しずらすと話の続きを聞くことにした。


「ほとんどお前の言うとおりだ、当初の予定では、私の子飼いの者を燐とルームメイトにするつもりだった」


「それがどうしてオレに?」


「お前が有能だと思ったからだよ」


「オレが? どうしてそう思ったんですか?」


 鳴海が立ち上がり、眞己を見下ろした。


「お前のその目だよ」


 鳴海が眞己の眼鏡を外し、前髪をかきあげてきた。普段隠している素顔があらわになる。


「一目見てわかった。私と同種の人間だと。目的のためなら手段を選ばず最短でいく。それでどれだけ傷を広げ血を流すことになっても一切の躊躇いもみせずそれを行うことができる。そんな冷徹な面があるのに、ひとたび情をうつしてしまうと、そいつを見捨てることができなくなる。そうだろ? 可哀想だと思うだろ、燐のことを。腹違いの弟のために、自らの可能性も、女であることも、すでに色々なことを諦めている彼女を。同情するだろう? 周囲が敵ばかりの中、──弱みを見せることは命取りになると、全ての感情を自らの内に隠して、生きる燐のことを。あいつのお前に対する傲慢な態度も、他に対する人当たりのよさも、その笑みさえ全て自分と周囲を偽る──仮面にすぎないんだぞ」


 こちらの瞳を覗き込んで鳴海が言う。

 そして眞己は思い出す。

 具合を悪くても、平気なふりをしていたアイツのことを。

 怖いものが苦手のくせに、何も言わなかったアイツのことを。


 看病をされてことがないと言っていたアイツを思い出す。それを淡々と話していたアイツの瞳を。

 手を握ってやったら、子供みたいに無邪気に笑ったアイツのことを。


「そんな燐を見捨てることができるのか? お前に」


 前髪をかきあげた手がいつの間にか頬に添えられている。傍からみると恋人同士が愛を囁くような格好だが、実態は気を抜いたら食われる獲物と捕食者の関係に過ぎない。そのことに眞己は顔を顰めた。


「わかってるでしょう。オレに選択肢に、否はないって」


「ああ、もちろんだ」


 眞己はため息を吐いた。



●△◽️



 鳴海との対談で気疲れして教室に帰ると、待ち受けていたのは、なぜか浮ついた視線と、ざわついた空気だった。

 眞己はため息をひとつ吐くと、隣の情報屋に声をかけた。


「で、今度はなにがあったんだ、玲?」


 すると、彼はノートパソコンから顔を上げ、人好きのする笑みを浮かべた。


「うん、たいした事じゃないよ。ただ、志藤眞己くんが鳴海先生と保健室でいちゃついてたって、琴葉が言ってるだけ」


 眞己は一瞬目の前が真っ暗になったような気がした。

 よりによって、あの馬鹿。まさかかれんちゃんの耳には入っていないだろうな。


 行動は迅速だった。こそこそと逃げ出そうとしている琴葉の頭を片手でがっちりと掴むとそのまま力を込めた。


「痛いですもげます痛いですもげます!」


「なにをどういう風に言った。──いや、どれくらい広めた?」


 少し力を緩めてやると、琴葉は涙目で指を一本立てた。


「どういう意味だ。まさか一クラスか?」


 首を振られる。


「一学年?」


 またまた首を横に。


「まさか学校中に?」


 琴葉は三度首を横に振ると、一つの携帯電話スマホを取り出した。


「とりあえず、このアドレス帳に入っている全員にグループを作成一斉にお知らせを……」


 間違いなくかれんちゃんにも届いてる。

 こいつを殺そう。半ば本気でそう思った。

 だが、それが実行されることはなかった。


 背後から冷たい視線を感じて振り向くと、そこには携帯電話を持ったリンが笑顔で立っていた。


「眞己……。ひとの姉さんに手を出すとはいい度胸だね。褒めてあげる」


「い、いえ……」


 美人が起こると怖い。それが本当だと身をもって知った気分だった。


「ちょっと話があるからこっちへおいで」


 絶対に嫌だったが、断れるはずもなかった。


 そして、眞己は護衛対象から、殺されそうになるという奇特な体験をした。

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