書いて、伝えたいこと。


 ご覧いただきましてありがとうございます。はじめましての方はどうも、はじめまして。逸見へんみマオと申します。

 此の度は、こちらのエッセイに沢山の星評価やレビュー、応援やコメントをいただきまして、本当にありがとうございました。読んでくださっている皆様、温かい反応をくださる皆様に、いつもいつも感謝しております。いやもう本当に……嬉し過ぎて泣けてきちゃいますよ。今回もまたこちらの方を閲覧していただきまして、本当にありがとうございます。


 早速ではございますが、今この文章を読んでくださっている皆様は、各小説投稿サイトでネット小説を書いたり読んだりといった活動をストレス無く、楽しくできておりますでしょうか。


 ちなみに私はこの一週間、仕事がやたら忙しく、書くこと読むことをなかなか思う存分堪能できておりませんでした。早朝や休憩時間、夜の合間に少しずつでも書いたり読んだりといった活動をちょこちょことはしておりましたが、書きたいと思ったときに全然書けず、読みたいときに全く読めないといったもどかしさを抱えながら、日々を過ごしておりました。三連休に入りまして、ようやく落ち着いて趣味に集中できるな~といったところです。


 いやしかし正直、自分でもびっくりするほど、カクヨムを全力で楽しんでおります。書くのは自分の納得のいくものが楽しく書けているし、読むのはもう本当に、本屋や図書館に行かなくてもカクヨムで充分質の良い小説をたっぷりと読むことができていますので、大変充実しております。普段から小説をそんなに読んでこなかったこの私が、まさかといった状況でございます。カクヨム内でも、レベルの高い作品がかなり増えている気がしますね。カクヨムなら読んだら直接感想を送れるし、ファンになったらギフトまで贈れます。すごい……すごいぞカクヨム!


 書き手の皆様には肩の力を抜いて、リラックスして、楽しくストレス無く小説を投稿していただきたいなあとつくづく思います。なかなか自分の思い通りにいかず、もどかしかったりつまらないと感じたり、もやもやしたりする時もあるかもしれませんが、逆に言うと簡単にいかないからこそ、燃えますよ。思い通りにならないからこそ、のめり込むことができます。「この目標を超えてやる!」って熱くなれます。簡単に自分の思い通りになったらむしろ全然つまらないし、面白く無い! どんどん書いて更新して、外野の変な声は無視して、書いたり読んだりといった活動や交流を、とにかく純粋な気持ちで楽しんでいってほしいなって思いますね。


 てな感じで、今回もまた私が小説を書くことについて思うことを徒然なるまま、いろいろと書いていこうかなと思います。



 今回どうしてもエッセイに書きたいと思ったことがありまして、また少しつらつらと書いていこうと思います。ちょっと内容が重いので、この先は流し読み程度で軽い気持ちで読んでいただくことを推奨します! 





【書いて、伝えたいこと】




 昨今のニュースは本当に心を痛めるものばかりで、私は典型的なHSP気質の持ち主なもんですから、痛ましいニュースや事件にどうしても激しく心が揺さぶられてしまうんですよね。(HSPというのは、生まれつき感受性が強く繊細な気質を持った方のことを言います)

 ある日突然、愛する人や家族を奪われてしまったら……ということを、近頃よく考えるようになってしまいました。平和で幸せで、衣食住が充実してこんなに豊かな素晴らしい生活が、突如一変してしまったら。おいしいごはんが食べられなくなって、トイレもまともにいけなくなってしまうようなことが起こってしまったら?

 北朝鮮のミサイル発射、タイの銃乱射事件、ロシアとウクライナの終わりのみえない戦争……。

 この一週間も、悲惨な事件が新聞やニュースでたくさん流れました。



 いやもう、痛い。心臓をぎゅっと握り締められたかのように、心が、痛い。



 いつか自分の身にこのような痛ましい出来事が起こってしまったらと思うと、つらい。正直つらすぎて、絶対に耐えられません。

 未来ある子どもたちも、世界中のあらゆる国でたくさん犠牲になっている。

 本当に、何をやっているんだろう、あの大人たち。バカな! 何してるんだろう。


……って、こうやって書くことしかできない、何もできない自分が一番、みじめで、情けないわけなんですが。どうすることもできない。どうしたらいいんだろう。どう行動したらいいんだろう……と、結局考えるだけ考えて、調べても何もできずに、ただ1日が終わるだけ。本当に無力で、愚かです。


 今はとりあえず平和なこの日本も、果たしてこの先どうなるかわからない。とは思いつつも仕事をしないと生活ができないですから、限られた日々を淡々と仕事に向かって過ごす毎日。

 でも、もしもこの世界で生きるか死ぬかといった状況になったとき。明日死ぬかもしれないってなったとき。


 そんな状況になってしまったら、もう仕事どころじゃない。


 もしそうなってしまったとき、仕事をやめたとして、じゃあ、人生最後に一番やりたいことって。



……っていう思いをぐるぐると考えた時、私は死ぬ前にこれだけはしたいと強く思ったことが、大きく分けて4つありました。結構恥ずかしいんですけど、以下にちょっと書きます。




①大好きな人たちに、ありがとうって伝えること。


 今まで、私みたいなどうしようもない人間に元気や勇気、希望をくれた、関わってくれたすべての人たちに、それぞれ死ぬ前にきちんと感謝を伝える。



②おいしいごはんを食べたい。


 自分がその時食べたいと思った最高においしいごはんを、おなかいっぱい食べたい。



③書きたい。


 死ぬ間際になっても、書きたい。書いて、遺して、未来に伝えたい。



④寝る。


 最期は、ふかふかのベッドでぐっすり眠りたい。




 いろいろ感傷に耽ってぐるぐると考えた結果、死ぬ寸前にこの地球上で最後にやっておきたいと思ったのが、上記の4つでした。


 そして、「あ、私やっぱ書きたいのか」と、間抜けながら改めて気づかされてしまったわけです。ニュースを見て自分がいつ死ぬかもわからないって思ったとき、死ぬ寸前にやっておきたいと本気で思ったことの4つの内のひとつが、私の場合は『書く』という行為だと、改めて思い知らされたわけです。


 なんか、こんな話をなんで書いてるのかわかりませんけども……。


 私は気の置けない仲間とか家族同士なら本心をすぱんすぱんと言えるのですが、気を許していない方にはどうも、うまく思いを言葉で伝えることができないんですよね。(許してないからと言えばそれまでなんですが)

 口から出す言葉で失敗したこと、何度もあります。そういうつもりで言ったんじゃなかったのに、なんでそう言ってしまったんだろうっていう後悔を、何度も経験しました。そのせいもあって、仕事の時とか電話応対とか、毎回人と話すときはかなり神経を使ってしまって、いつもかなり疲れてしまいます。


 でも文章なら、じっくり考えて自分の伝えたいことを文字で書いて視覚化できる。それを何度も読み返して、自分の伝えたい思いを限りなくベストに近い状態で伝えることができます。言葉は口に出してしまったら取返しがつきませんが、文章は世に晒す前に何度も熟考を重ねて、これで良いと思ってから出すことができます。だから、言いたいことがその時うまく言えなくても、文章として書いて精査してから出すことによって、口ではうまく伝えられなかったもどかしい思いを、あとできちんとベストな形で伝えることができます。そうすることで、抱えている様々な思いを溜め込まずに済みます。 


 HSP気質な私は適応障害も経験し、非常につらい時期が続いた時がありました。11年勤めた会社をとうとう辞めて、有給休暇を消化中のことでした。仕事に追われていた日々から解放され、少しだけ自由な時間を手に入れることができたときに、私は小説を書き始めました。それで、書くこと自体が最高に楽しいことに気づいて、人生が変わりました。


 思い返せば小さいとき、ひらがなを書けるようになる前に、私は正方形の絵本の文章と文章の隙間の空白にミミズみたいな文字を書いて、「ぅにょうにゃぅにょ」と宇宙語を話しながら、頭の中にある何かの物語をよく書いていました。

 小学校に上がってから、国語の成績だけは毎年他の教科に比べてなぜか良かったのを覚えています。中学の時も、国語の成績はとにかく良かった。印象的だったのは中学3年のとき、国語のテストの中に『この文章を要約しろ』っていう問題がありまして、私の書いた要約が丸になっていました。が、テストの答え合わせのときに先生が説明してくれたその要約の答えが、私の答えとどうも違っている気がしたので、答え合わせ後に設けられた質問タイムのときに、国語の先生に「これ、丸なんでしょうか」って聞きに行ったことがありました。

 本当はこれ、きっとバツだ、と思って正直に聞きに行くと、先生は一言。



「うん、逸見さんのこの文章は、丸だよ」



 そう言って、優しく突き返されました。 

 この言葉を、私は今でもはっきりと、鮮明に覚えています。


 高校一年生の時、現代文、古文、漢文の授業があり、全て合わせた国語のトータルの成績が学年6位になったことがあります。

 さらに、社会人になりたての時も、あるテーマに沿った400字程度の短い文章を会社の新人全員が書かされることがあり、当時新人は全部で10人ほどおりましたが、その中で私の文章が唯一選ばれて、広報に載ったことがありました。



 実はこれらのことは決して自慢したくて綴ったわけでは無くて、私は本当に何一つ取柄の無い人間でしたから、基本的に自信の無い人生を歩んでおりました。でも今改めて思い返せば、国語とか文章のことだけは、毎回何かしらで褒めてもらえたり、上記のように認められたりしてもらっていたわけです。不得意なことばかりやらされ翻弄され、できない自分ばかりがフォーカスされて、たくさん悲しい思いをしてきた私は、そんな風に認められ評価されていた貴重な体験の数々を、今現在ネット小説を書くようになるまで、すっかり忘れてしまっていたわけです。


 そして、忙しくて小説を書くどころか読む余裕すら無かっためんどくさがりの私が、自分の時間を自由に持てるようになったとき、そして死ぬ間際にやりたいと本心から思ったことが、結局は書いて、伝えることだったのです。


 だから、もっと文章を書けばよかった。小説を書けばよかった。もっとたくさんの本を読めばよかった。なんて思って後悔しないよう、たくさん書き続けて、いろんな文章を読みたい。とにかく、そう思うようになりました。

 


 今、新たな仕事に就いて自分のペースで仕事ができるようになってから1年が経ち、毎日幸せを噛みしめながら日々を過ごしています。書く時間も前の仕事より断然確保できるようになっています。もちろん、忙しかったり仕事上で嫌な人と関わったりうまくいかない時もありますが、そんなときは気持ちを切り替えて、「これは小説のネタにできる!」と、逆にプラスに考えるようにしています。 



……と、ここまできて、気づけばなかなかに支離滅裂な文章になってしまいました。

 結局何が言いたいのか。書くことで、伝えたいことがある。そして皆様の中にも、同じ気持ちでいらっしゃる方が多いんじゃないかなあ。その思いは、書いて発信していれば必ず誰かに届きます。届くと確信しています。



 きっと小説を書きたいという気持ちを持ったということは、心の中に消化できないいろんな思いを抱えている。その思いを小説にのせて文章で綴ることで、自身の不安定だった心の中が浄化されていくのではないかなあと思います。

 

 ま~とにかく、書くことをやめないでどんどん発信してほしい。

 読まれたいけど読まれない、なんて思わないでほしい。誰かの目に必ず留まりますから、絶対大丈夫!


 自信が無くなったときは、魔法の言葉があります。この言葉を常に目に見える位置に貼ってもらってもいいかもしれません。や、私は貼りませんけども笑

 でも、こちらのエッセイを読んでくれた全ての方に届けたいです。




『あなたの文章は、丸だよ』




 

 ここまで読んでいただいてありがとうございました。

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