演技だとしても


「なんだ、この空気は? まあいい、HRを始めるぞ」


 程なくして鬼龍院竜也きりゅういんたつや先生がやって来て、HRが始まった。

 怖がられている鬼龍院先生の話を、俺たち生徒は大人しく聞く。

 簡潔なHRが終わり、次の授業が始まるまでの合間の時間が出来る。


 教室は先程の重い空気を壊すかのように騒がしくなる。

 水戸部さんを見ると、涙も拭いて本を読み始めていた。……意外と強い子だ。


 そして、俺に話しかけてくる生徒はいなくなっていた。

 小学校高学年以来の事だ。


 生徒たちの声が俺の耳に聞こえてくる――


 身体を震わせている京子の声が聞こえてきた。


「……マジで治ってなかったなんて、やば……。私、今まで超わがまま言って……」


 哲也のうわずった声も聞こえてきた。


「あいつなんなの? 豹変しやがって、マジむかつくんだけど? 京子、シメていいか?」


「駄目!! 絶対関わらないで!! 死にたいの? 治ってなかったら本当にやばいんだって……、子供の時とは違う体格なんだよ――」


「へ? きょ、京子?」


「いい、昔のあいつは人の痛みや喜びを共感できないの。だから……私達とは違う――普通じゃ――」




 普通じゃないと言われても何も感じない――

 だが、何か大切なものが抜け落ちていく気分であった。



 このクラスで俺の過去を知っているのは京子だけだ。

 俺は京子の方へ意識を向けるのをやめた。


 俺だって漫画で感情を必死で勉強したんだ。じゃないと、とんでもない取り返しのつかない事を起こすと思った。お母さんがまた泣いてしまうと思った。

 善悪の区別はつく。それに暴力が悪いことだって理解している……。それが社会だ。



 水戸部さんの方を見ると、目があった。

 真っ赤な顔をして慌てて視線を切る。


 ……俺が初めて関心を寄せた女の子。


 自分には共感性が無いと思っていた。絵を書いている時だけは違った。

 ……水戸部さんと夜の公園で喋っている時は楽しいという気分が少しだけ分かった。


 漫画の内容の面白さがわからない俺に丁寧に説明してくれた。

 俺の感覚ではわからない何かが掴めそうであった。


 ――水戸部さんは俺にとって鍵になる人だ。今度はフリじゃない。壊れている俺を……治すためにも――お母さんを泣かせないためにも――


 それにしても友達って何をしたらいいんだろうか? 俺はあまり詳しくない。一緒に絵を描いてくれるかな? 俺が見たことない作品を見せてくれるかな?






 ということで小休憩の時に本を読んでいる水戸部さんに話しかけた。

 クラスメイトは俺が動いただけでざわついたが、興味が無い。

 そういえばフリをやめた時から、心の中にあった重い何かが軽くなっているような気がした。

 気の所為かもしれないが、きっと良い事なんだろう。


 水戸部さんは本で自分の顔を隠しながら唸っていたけど、ちゃんと返事をしてくれた。


「うぅ……、あ、あのね、ちょっと昼休みまでちゃんと話すのを待っててほしいな。こ、心の準備がね……、お、お昼休みにね」


 俺は頷いて自分の席に戻った。

 色々説明しなくては、な……。じゃないと、水戸部さんに迷惑がかかるかも知れない。


 ――水戸部さんを睨みつける京子、眉間にシワを寄せている美鈴、虚勢を張る哲也、面白がっているクラスメイト――

 教室に渦巻く感情が理解できないからであった。





 **********




 水戸部さんの提案で俺たちは体育館の裏へと向かった。

 体育館の裏は誰も来ない。そして、案外スペースがある。……何故ここにベンチがあるんだ?

 水戸部さんはベンチの上にタオルを敷いてそこに座った。


 ここに来るまでの間、俺たちは何も喋らなかった。

 水戸部さんから緊張してる雰囲気を感じる。

 ――そうだ、水戸部さんの雰囲気は少しわかるんだ。なぜだ? 他の人は興味ないのに?


 水戸部さんは少しどもりながらも喋り始めた。


「え、え、えっと、ま、まずはご飯食べよう? あ……、わ、私、量が多くて恥ずかしくて……、よくここで一人で食べているの」


 水戸部さんのお弁当は確かに量が多かった。だが、彩りもよくとても美味しそうに見える。

 こんなお弁当を毎日作ってくれるという事は、水戸部さんが家族から愛されていると推測できる。


「素敵なお弁当だ。とても美味しそうに見える……」


「あ、あははっ、す、少し痩せたいのに、お母さんがいつも一杯作って……」


「痩せる? そんな必要は無いだろ? うちのクラスで一番健康的な肌ツヤだ。化粧もしてないから肌を痛めていない。綺麗な肌だ」


「うぅぅ……、は、恥かしいから……」


「なるほど、ならこれ以上言わない。さあ、食べよう」


 俺たちは漫画の話やネット小説の話をしながらご飯を食べる。

 今朝の事には何も触れない。


 不思議な事を感じた。いつもよりもご飯が美味しいと感じる。

 なぜだ?


 水戸部さんの食べっぷりは見事であった。

 キレイに箸を使い、もぐもぐと食べる姿は――


「やはり、俺には水戸部さんが必要だ」


「ほえ!? な、な、なにを言ってるの!?」


 俺たちは程なくして、弁当を食べ終わっって箸を置いた。

 そして、水戸部さんが口を開いた。






「ねえ、やっぱり私と一緒にいると神楽坂君までいじめられちゃうよ。まだ間に合うと思うから、猪俣さんに――」


「いじめられる? ああ、馬鹿にされたりおもちゃ扱いにされることか。上履きも隠されたな。それは中学の時に体験した。漫画から得た情報を実践し始めた時だからな、失敗ばかりしていた」


 あの時は、いじめと仲良しの境界線がよくわからなかった。

 だから俺は自分が普通だと思っていた。

 最近、あの時はいじめられていたのだと気がついた。


「――神楽坂君? え、っと」


「友達になりたいと思ったのは水戸部さんが初めてだ。……だが、初めに言わなければならないことがある」


 水戸部さんは真剣に聞いてくれた。



「――俺は、壊れている。他人への共感性が全く無い人間だ。昔から不思議だった。なんで喜んでいるかわからなかった。なんで悲しんでいるかわからなかった。そんな時、漫画に出会えて――」




 俺は今まであった事を水戸部さんに伝えた。

 漫画の通りに行動して、普通の人を装っていた事。

 絵以外の事に興味が持てず、他人に無関心だった事。

 泣いている親を悲しませないように嘘をついている事。

 水戸部さんと公園で喋った時、初めて楽しいと思えそうだった事。


 俺は理路整然と説明をした。


 水戸部さんは……何故か泣いていた。

 俺はどのように行動していいかわからなかった――


「ひぐ……、神楽坂君……、わ、私よりも全然苦しかったんだよ」


「いや、苦しみがよくわからない」


 水戸部さんが自分のほっぺたを強く叩いた。軽快な音が鳴った。

 俺はそれを見てほっぺたを少し触ってみたいと思ってしまった。


「うぅんっ――でもね、一つだけわかる事があるよ。……ねえ、泣いているお母さんを見たくなかったから嘘を付き始めたんだよね? ……なら……神楽坂君がわからなくても……どこか心の奥で、悲しむお母さんを見たくない気持ちがあったんだよ」


 頭の中で思考が高速回転する。

 ――俺が、お母さんを悲しませたくない? そんな感情があったのか? わからない。だが、客観的に見て正解の一つでもあるのか?


「な、るほど、一理ある。…………唐突で申し訳ないが、今日、うちへ来てくれないか? 俺が描いた水戸部さんの小説の絵を見てほしいし……」


「お、おうち!? え、あ、う、うん……、べ、別にいいけど……、迷惑じゃない?」


「大丈夫だ、俺が友達を家につれてくる事は初めての事だ」


「ひえ!?」


「ところで、水戸部さん、あの小説の第三十話の十八行目のセリフについてだが――」


「ちょ、まって!? なんで記憶してるの!? あわわ、ちょっとチェックするね!」


 慌ててスマホを取り出す水戸部さん。

 そんな姿を見ていると、何故か普段よりも俺の血圧が安定していた。

 ……通常よりもリラックスしているのか? よくわからないが、きっといいことだろう。







 **************






 何事もなく一日を過ごせた俺たちが、一緒に帰るときにそれが起こった――



「はぁはあ、すげえ探したよ。まさか引っ越していたなんて思わなかった。やあ、久しぶり、楓――」



 見たことのない男子生徒が校門の前で俺たちを待ち構えていた。

 水戸部さんの顔が引きつっている。


 通りかかる女子生徒たちが彼を見て騒いでいた。


「うわーっ、超イケメンじゃん」

「そう? なんか鼻につくよね」

「かっこいいよ! チャラそうだけど!」

「違う高校の人だよね。誰か待っていたのかな?」

「あれって……、隼人と水戸部じゃん」


 水戸部さんはカバンで自分の顔を隠していた。


「な、なんでカケル君がここにいるの……、絶対会いたくなかったのに……」


「はぁ、楓は照れ屋さんだな。楓に会えなくてすごく寂しかったよ。……中学の時は俺も馬鹿だった。小説を馬鹿にしてごめんな」


 俺は二人を見比べた。

 ……話に加わらない方がいいのだろうか?


 水戸部さんが嫌そうな顔をしていた。何が嫌なんだ? 見たところ旧友が会いに来てくれたような感じだが――


「……冗談はやめてよ。カケル君が私に構うから……いえ、あれは私がコミュ障だったから、クラスと馴染めなかっただけ。ねえ、カケル君、私はあなたに二度と会いたくないっていったよね?」


「ん? ああ、まだ拗ねているんだ。もう許してくれよ。俺と楓の仲だろ?」


「……か、勘違いもここまで来ると……、ど、どうしよう……、嫌だよ。もう中学のときの事なんて思い出したくもないのに……」


 カケルと呼ばれる男が一歩近づいた。

 俺は反射的に水戸部さんの前に出た。


「なんだよ、お前、ああ、楓がプロの小説家だから近づく男か? はぁ、俺は子供の頃から楓を知ってるんだよ。頑張って毎日小説を書いて……、うん、俺がプロットをダメ出ししたから良くなったんだぞ? ははっ、知らないだろ!」


 俺はちらりと水戸部さんを見た。

 水戸部さんは困り果てた顔をして力なく首を振った。


 ――なぜだろう? 今、水戸部さんの感情が共感出来た。

 水戸部さんは今、すごく嫌がっている。


「なんであんたがそんな事を言うのよ! 小説書いてるのを馬鹿にしてたでしょ! わ、私は……」


「ああ、そんな事もあったけど、考え方を変えたんだよ、楓のためにね!」


 俺は胸のもやもやが何かわからなかった。

 この男を見ると湧いてくる何か――黒い気持ちが湧いてくる。


 カケルが更に一歩前に出る。

 水戸部さんは後ろに下がって俺の背中にしがみついた。


 温かい感触が背中に伝わる。小刻みに身体を震わせている。

 水戸部さんの気持ちが――わかる気がした――


 俺は頭の中の本棚を選択する。

 状況に適切なシーンを選び、心の中で読み返す――


 俺は後ろを振り返って、水戸部さんの腕を掴んだ。

 そして、手を握りしめた――


「……演技をする」

「ふえ……!?」


 水戸部さんを安心させるんだ。壊れた笑顔じゃない、偽物の笑顔じゃない――

 水戸部さんと一緒にいる時の気持ちを表情に出すんだ。


「あ――、ちょ、は、反則だ、よ……」


 俺はカケルに聞こえるように言った。


「安心してくれ。――ほら、楓、俺の家に行こう。お母さんに紹介するんだから――」


 俺は水戸部さんからほんわかした気持ちを感じられた。これは一体なんだろう?

 すごく優しくなれる気持ちだ。





「おい、待てよ! 俺の楓に何してんだよ!! ちょっとカッコいいからって、こっちはわざわざ他県から来てやったのに――」


 俺の胸ぐらを掴もうとするカケルを鋭く射抜く――


「うっ……」


 動きを止めたカケルに向かって言い放った――





「――楓は俺の恋人だ。関係ない男は引っ込んでろ」





 カケルの目が見開いた。

 狼狽しながらカケルが涙目で言い放つ。


「う、嘘だろ、こ、こんな男と――、楓は――」


 鼻息が荒い水戸部さんがトコトコとカケルの元まで歩く。

 そして大きな声で言い放った――



「私はあなたの事が大嫌いよ!!! 照れでも嘘でもないから勘違いしないで!! 次あなたを見かけたら警察呼ぶわ! 昔だってストーカーで警察のお世話になったでしょ! バカッ!」


「――か、楓……」


「あ、それに……、か、か、神楽……、は、隼人君の方が断然素敵な男性なんだからね!」


「あ……、お、俺は……」


 カケルは地面にへたり込んで泣き出してしまった。





 水戸部さんはカケルを放置して、俺の手をひいて校門を出た。

 しばらく二人で手を繋いで歩いていると、水戸部さんは俺と繋いでいる手を見て、慌てて手を離した。


「ご、ごめん、き、キモい女がずっと手を繋いじゃって……」


「うん? キモい女なんてどこにもいないぞ。……俺は少しだけわかった。水戸部さんはあの男が大嫌いだったということを」


「あ、ははっ、神楽坂君……、すごく助かったよ」


「お安いご用だ。ほら、早く行こう。俺の絵を見てほしい」


「うんっ!」


 手に残っている水戸部さんの体温が温かかった。

 徐々に冷たくなっていく俺の手を見つめる。


 俺はまだ手をつなぎたかったのか?

 この感情は何言うんだ? わからない、だけど――胸にポッカリと穴が空いた気分であった。


「ふふ、恥ずかしかったけど……、ありがと……」


 水戸部さんが俺に微笑みかけてくれた。

 ――それだけで何故か胸の穴がふさがった気分になってしまった。



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