鈴木君

「あれ、なんだべ」

 秀真くんは、仙台駅前から乗り込んできた顔に驚いた。

「なんだ、菅原くんでねえの」

 今日から休みに入ったはずの車掌仲間、鈴木くんであった。

「なんだや」

 とぼけたことになっている。鈴木くんよ。君はそうして、なんだ、と、のんびりしたことを申している場合なのか。

「昼の汽車さ乗っているはずでなかったの」

「それがよ、」

 電車は鐘を鳴らし、発車する。

「兄貴、朝から急に腹が痛てえだのかたってよ。今日は取りやめて明日の汽車に変えたのや。あちこちさ電報打つの、骨だったど。

 そして、医者だのなんだの一日中煩わせて、挙句たった今、一本前の電車で逃げたのや。あわてて俺も次の電車さ乗った訳だ」

「なんだべ」

 やっぱりそうか、と言い出すところを秀真くんのみ込んだ。

 鈴木くんの兄という人物は、じつに逸話が多く、休憩時間に何度も笑い話として職員一同は聞かされていたのである。それが先日神妙に伝えられた内容で、みな笑うのをためらうようになった。

「思い出したんだけっとも、兄貴、実家さいるときはいつもその手だった。尋常の時から、都合が悪くなるとそうして家からいなくなってたど」

 まさか、成人してからも同じ手を使うとは思うまい。

「せっかく休み交換してもらったのによ、こんな時まで迷惑ばりかけるんだ、あの兄貴は」

 辻氏は黙って目を閉じている。目を閉じて、電車の窓枠に頭をあずけて居る。

「鈴木くんのお兄さん。あの一旗あげる、って大陸へ渡ったひとかい」

 まさか辻氏にまで、その名が知られていたとは。

「んだ」

 志は高かったのだが、日本を発ってのち、華々しく送り出したはずの親戚一同は届く報せごとに頭を抱えたという。

 一旗あげるどころか、やれ上海でとある文士を殴り飛ばしたとか、台湾で人形遣いの爺さんの用心棒を買って出たとか、各地のならず者たちを相手に悶着を起こした話ばかりが伝わるのである。

 連れ戻されて心を入れ替えろと預けられたとある東京の大店では、そこの令嬢と駆け落ち、一子を儲けた。

 そこで落ち着いたというのならばまだ話はわかるが、その妻子を置いて、またあちらこちら一攫千金の話に飛びついては姿をくらましている。

「その子が、テルオちゃんだと聞けばよ」

 秀真くんが思わず口にして、これはさすがに口が滑り過ぎだと黙り込んだ。

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