補稿

悪魔の誘惑(時系列:蜜月の行進~開花の到来の間)(※ショッキングな描写が含まれます)

(目覚めぬ吹雪の丘にて)

輝く雪が丘を埋める。吹く風は白く、吐く息も同様だ。踏み固めて歩く道の先に、陽光のつくる黒い影が一つ。待ち受けるのは抱えた憂いそのものだ。


新しい娘か、と向かい合う男が言う。もう記憶も残っていないだろうに物好きな。男の出現に、帽子の下の眼差しは陰る。拒絶と不審がそこにあった。

聖女はみなこの男に捧げられた。流れた血は膨大だ。丘の悪魔は星を落とす。聖女はそれを妨げる。過去に何度も繰り返され、永きに渡って見届けた。

朝焼けを目に宿し、焼けない夜明けを練り固めた姿。男と自分は当事者だ。聖女の奇跡を見届けた。見送った十人に言及すれば、男は驚きを口にする。

十六だ、と男は言った。風が鳴り、呻きを攫う。罪悪感から漏れ出る懺悔へ、男は踏み込み口づけをした。合わせられた唇は燃える夕焼けを思わせた。


流れた星は戻らない。縁者の血によってのみ足を止める男が、次いつ気まぐれを起こすのか誰も知らない。害そうか。殺そうか。惨い要求。次は誰だ。

悪魔が言うのはそればかり。だが、このときばかりは様子が違った。男は自分を抱き寄せる。蜜月は楽しいか、と声は飛ぶ。意地悪い声は嘲笑に似た。

俺に取られたくなかったのか。続く言葉に違うと言えば、目は細く、半月じみて歪む。そうかい。そうだ。次はいつ俺の元にくる。問い掛けは残酷だ。

あの子は渡せない。なぜ。なぜでも。男は首へ腕を回した。そんなにあれが可愛いか、と楽しげな声は問う。聖女を殺す甘い目は彼を僅かに射竦めた。


損なおうか。言葉は簡単だった。邪魔なら殺し、不要なら壊す。男は普段からそのようにし、必ず成った。苦悶が声になる。やめてくれ、と絞り出す。

男は機嫌良く目を細め、まだしないさ、と応じた。心一つで簡単に覆される言葉、不穏な物言いは薄氷を思わせる。仮初めの平穏に胸が痛み脈打った。

雪がぼうっと光り出す。傾く日に男は立ち上がる。腕は放された。ワイスの元へ帰らねば、と思う。左半身を赤く染めた男は笑み、とんと胸をついた。

あんな子供がお気に召すとは。指は去り、湿った響きが身体をなぞる。随分楽しいご様子だ。悪魔は返る答えを待たず、触れた唇を別れの挨拶とした。

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