幼馴染


 子爵の大声は有名だ。

 邸内の東にある書斎の声が、はるか西の離れにいても聞こえてくると使用人たちのもっぱらの噂、話のネタになるほどだ。

 それだけ彼の小心具合というか、苦労というか、自信のなさが表れてるのだろうなと、サラは思っていた。

 サラから見れば曾祖父の代に我が家は没落した。

 その頃は爵位も高かったらしい。その他にいくつかもっていた爵位と得ていた領地のほとんどを失い、唯一残ったのがこの屋敷と子爵位だったという。

 そこからは無官でどこの家にも仕官できず、祖父の代には血のつながった元臣下の伯爵家から金を借りたりすることも多かったらしい。

 そんな経緯もあり、世間からは伯爵家の分家筋のくせにとせせら笑われる。

 世間から見れば、子爵家は伯爵家の分家。伯爵家は子爵家の本家だからだ。実際はその逆に近いのだが……。


「時間が経てば世間様の見方も代わるものね。正しいことなんて幾らでもねじ曲がってしまう」


 父親の代でようやく公職を得れたのだから、その意味では父親の努力は尊敬するのだけど……。


「また、良く響き渡っていましたな」

「じいや。そんなに?」


 サラがパーティー会場となる大広間に顔を出すと、差配をしている執事の老人がふとやってきてそんなことを言い出した。

 彼は数代に渡り、この子爵家に仕える執事の一族の一人だった。


「ええ、そんなにですよな、嬢様。相変わらずというか、御役目に心を砕かれているようですな」

「娘には心を砕かない父親なんて必要なのかしら!?」

「では、またどちらかに……?」

「ええ、戻らないかもしれないそうよ」


 困りましたな。サラがじいやと呼ぶ執事はそう言い、用意は万全ですのに、と辺りを案内するかのように手を広げて示して見せた。

 宮廷で振る舞われるような豪勢な料理と珍味の数々。

 座卓の数も多く、用意しているお酒も、給仕する人員も子爵家には相応しいものではない。


「ここまでやっても――ですか」

「殿下は来られませんから、そういうことよ、じいや」

「何か問題でも? 旦那様まで出ていかれるとは、国難でも起きましたか??」

「あ、それだわ」

「は?」


 王族に王国の要職――今の国王陛下の側近を務めている父親までいないとなれば、何か突発的な問題が起きたからという言い訳も成り立つじゃない。

 サラは天啓を得た気分だった。


「いいえ、何でもないの。それよりも、きちんとね? 殿下が来られない理由は明らかにしなくてもいいわ。どうせ、皆様で適当に想像するでしょう」

「左様ですか、ではそういたしましょう。玄関前に来客の方々の馬車が並ぶ時間ですから、子爵様は裏口から出ておいでになられたようですな」

「そう。どうでもいいわ。招待している客以外は、いいわね、じいや?」

「かしこまりましてございます」


 そう執事に申し付けると、サラは不備がないか他の侍女たちとともに会場を見回るのだった。



 +           +        +



 これで良かったんだわ、多分。

 サラはそう思うと、会場の片隅で椅子に座り込みにぎやかな大広間の天井に目をやった。


「中止にしたらしたで、どうやら娘が王太子妃補になったあの子爵家には何かあったらしいぞ、と世間からは後ろ指を指されるだろうし。それなら、パーティーを予定通りに開いた方が無難だわ……」

「当主と殿下は何か分からない緊急事態が起きて王宮に呼ばれてここにはいない、か。よく考えたものだね」

「え……? あ、うん。それが一番賢い言い訳かなって」


 椅子の背後から声がして、背もたれ越しに後ろを見たら顔なじみの青年がいた。

 同じ学院に通うアルナルドだ。

 この国の人間には珍しい赤毛に黒目の彼は、お疲れ様と言い両手にワインが入ったグラスの片方を差し出してきた。


「そうだね、それが良かったと思うよ。賢い選択だ。後から問題はないと分かったが機密だから言えないと伝えればそれで済むからね」

「……また無能と蔑まれるのは私なんだけどね……」

「サラは無能じゃないよ。それはこの十年の間、学院で共に学んできた僕が保証する」

「そう? アルナルド、ありがとうね。気休めでも嬉しいわ……男どもって本当に無能っていうか、はあ……なんでも押し付けておけばそれで回るって思ってるんだから」

「僕も男なんだけどね? それにロイズだって同じだけの期間、君を見て来たから婚約を申し込んだんじゃないかな? あいつは使えない人間は嫌いだからさ」

「……」


(まったく使えない上に、氷のような冷たい心の持ち主だな、君は)


 別れ際にロイズから叩きつけられたあの暴言がサラの脳裏によみがえる。

 本当に使えると思ってたら、あんなこと言わないよね。本当に大事な女性には――言わない……。

 彼の幼馴染である侯爵令嬢レイニーは、王太子が思うほど病弱でもないし、気弱でもない。

 男女が交わる学院でも派閥というものがある。

 レイニーは、呆れるほどにずるがしこくて立ち回りがうまかった。

 身体の弱い深窓の令嬢を演じて男子の目を集め、お気に入りの男子生徒と裏で遊び歩いたりしていることは女生徒の間では周知の事実だった。


「どうしたのさ、サラ?」

「もう嫌になったの。殿下の気まぐれにお付き合いするのは。いいえ、違うかな……」

「レイニーの気まぐれだろ、それ」

「うん。多分、私がロイズの婚約者になったことが気に入らないのよ、彼女」

「婚約者を独占されて君は嫉妬でもしてるのかい?」

「……。いいえ、最初はそれもあったけど。今はないわ。むしろさっさとプレゼントできるものなら、贈答したいくらいよ、殿下との婚約も差し上げたいわ」


 そんなこと、お父様が絶対に許すはずないけど。

 サラは悲し気に、どこか諦めた顔でそう呟いた。

 自分の人生、もう最悪だわ、と……。

 

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