第1話 謎の洞窟

「……洞窟じゃん」


 掛けられていた縄梯子を降りて、最初に口を出たのはそんな一言だった。

 縦穴で執務室と繋がっているだけで、完全な地下洞窟である。どこかに水路でもあるのか、ぴちゃん、ぴちゃん、と水滴のしたたる音も聞こえてきた。

 当然ながら真っ暗で、光源は何もない。


光明ライト


 掌の中で魔力を編んで、光を作り出す。

 生活魔術、と呼ばれるものの一つで、任意の場所に光源を作り出すものである。


 基本的に魔術は四つに分けることができ、生活魔術、攻撃魔術、防御魔術、特異魔術の四つである。

 生活魔術はその通りの名前で、このように光を生み出したり虫除けの結界を張ったり、あとは食べ物を切ったり部屋の掃除をしたり、という生活に密接する魔術のことだ。この魔術は帝国における基礎習得学習の一つであり、平民にも教えられるものである。

 そして攻撃魔術、防御魔術も言葉通り、主に敵を攻撃したり敵からの魔術を防ぐためのものだ。このあたりは基本の『火炎ファイア』や『氷結アイス』などの一般的なものと、それに相対する『耐火レジストファイア』、『耐氷レジストアイス』などである。

 そして最後に、特異魔術。この説明については、割と長くなる。


 元々、この大陸には様々な種族が入り乱れて暮らしていたらしい。

 その中の一つであり、既に絶滅したアールヴと呼ばれる種族が、人間よりもはるかに高度な魔術を使いこなしていたとされる。伝説に残るものの中には時間を止めたり過去に遡ったり、島ひとつを消滅させるような恐ろしいものもあったらしい。他にも屍を動かすことができたり、一瞬で他の場所に転移したりと、現在の常識では考えられない魔術を使っていたらしいのだ。

 それを総じて、特異魔術と呼ぶ。

 だが、この特異魔術を身につけるためには、そのハードルがかなり高い。

 まず、『アールヴの魔術書』を手に入れる必要があるのだ。その上で、古代アールヴ語で書かれたそれを読んで紐解き、その魔術の発動する原理を理解しなければならない。

 そして奇跡を発動させるその魔術は、一度に必要な魔力もまた桁違いなのだという。


 だが、それでもアールヴの遺した神秘を実現したい、と思っている魔術師も多い。

 俺だって、いつかはアールヴの遺した魔術を使いこなしてみせようと思っていたのだ。皇帝に仕える大賢者はアールヴの遺した魔術書を何冊か持っているらしいが、それは完全に部外秘であり、弟子以外は見ることができないという。

 いつかは俺も、大賢者に認められるような大魔術師になって、見せてもらいたいと思っていたものだ。


「……そういえば、昔ここはアールヴの土地だった、って聞いたことがあるな」


 かつて――とはいえ、もう百年以上前のことだが。

 美しい女性ばかりのアールヴを、奴隷商人が狙ったのが最初らしい。人間よりも遥かに長く生き、誰もが美しく生まれるというアールヴの女を、当時の貴族階級が高値を出して買い占めたのだという。そうしていくうちにアールヴの個体数は激減し、元々長い寿命を持っていたために生殖力の弱かったアールヴは絶滅してしまったのだと聞く。

 どれほど人間とは罪深いものか――そうは思うけれど。

 もしかすると、この洞窟もアールヴのものだったのかもしれない。


「ま、一応……魔視サーチ


 一応、と目に魔力を込める。

 生活魔術の一つで、周囲の魔力を視覚的に把握する魔術だ。古代の遺跡などに備えられている魔力の罠を探ることができたり、生命体の放つ微量の魔力を把握して生物の居場所を探ることができる。

 ちなみに、子供たちのかくれんぼにおいて最強に役立つ魔術でもあるのは余談だ。子供の頃、俺がこれでかくれんぼ無双をしたのも懐かしい思い出である。


 だけれど――そんな俺の目が、恐ろしいものを捉えた。


「……嘘、だろ」


 俺がこれから行こうとしていた洞窟の先。

 その先々に、魔力の込められた罠が仕掛けられているのだ。

 視界の中で、ぼうっと光って浮かぶそれは、間違いなく罠だ。魔力の元を探るととんでもない代物が多く、触れた瞬間に致死量の電気が走ったり、触れた瞬間に猛毒の霧が噴き出したり、中には触れた瞬間死ぬ、みたいな恐ろしいものまである。

 そして、魔力を形にして罠として設置することができる――そんな技術を持つのは、古今東西を探したところでアールヴだけである。

 つまり、この洞窟はアールヴの――。


「……だから、書いてあったのか」


 地下室の扉に書いてあった、『決して入ってはならぬ』という文字――それを思い出して、ぞっとする。

 随分と古かった文字は、親父のものではない。恐らく、この地に屋敷を建設してから今まで、ずっと封じられていたのだ。

 下手に歩けば致死の罠がある――そんな場所に、好んで入りたい者などいない。

 恐らく俺の祖先が最初にここを探索し、あまりにも罠が多すぎて数多の死者を出し、諦めて封印をしたということだろう。


「……もしかすると、アールヴの魔術書が」


 ごくりと、唾を飲み込む。

 そして俺は、目にかけている魔力をさらに増やした。

 俺だって死にたくない。だが、奥へは進みたい。

 もしかするとこの奥には、誰もが触れたことのないアールヴの魔術書があるかもしれないのだから――。


 魔術を志した者にとっての憧れであり、到達点――それが、アールヴの魔術書だ。

 絶対に見つけたい。そして、絶対に俺のものにしたい。

 そんな逸る想いを抱きながら、慎重に奥へと進んでゆく。決して罠に触れないように、決して罠を踏まないように。


 暫く、歩く。

 慎重に慎重を重ねて、いつぶりに発揮したのだろうと思えるほどの集中力で。

 中には本当に、一定の場所を歩かなければ到達できない、とさえ思える密度で設置されている部分もあった。だが、間違いなく奥に続いていることが分かる。

 罠を設置したのもアールヴならば、この奥に用事があるのもまたアールヴだ。ゆえに、必ず通ることのできるルートが用意されているのも当然である。


 どのくらい歩いただろう。

 それこそ俺の屋敷などものともしない、広大な洞窟――その最奥へ、ようやく到達した。


「行き止まり……」


 そこにあるのは、小さな神殿だった。

 森の神メルトルージュの木像が置かれただけの、簡易な神殿である。そして、そんな木像の足元にあるのは、ただ一冊だけの本。

 かつてアールヴが信奉していたとされる、森の神メルトルージュ。

 そして何よりも、目を惹くのはその背後にあるものだ。


 膝を抱いた女性が透き通って見える、氷の塊。

 まるで生きているように血色の良い女性が、氷の中に閉じ込められたかのように、そこにいた。

 光源が手元の光明ライトしかないため、その全容は知れない。だけれど、間違いなくそこにいるのは女性だ。

 そして何より、人間と異なる部分が一つ。

 それは――その耳が、明らかに尖っていることだ。

 人間と変わらぬ姿で、されど耳が尖っている。そんな存在は、一つしか聞いたことがない。


 それは、アールヴ。

 つまり、ここにあるのは。

 アールヴの魔術書――!


 本の周囲に罠がないか、徹底的に確認をしながら本を手に取る。

 何年、ここにあったのかは分からない。だが皮でできた装丁に、動物の皮を用いて作られたと思われる魔術書――そこに書かれているのは、間違いなく古代アールヴ語。

 学院で僅かに単語だけ学んだ俺でも、それが分かる――それだけの神秘の塊が、ここにある。


「これは……」


 古代アールヴ語で書かれたそれの、途中に挟まれている絵。

 漆黒の魔力を放つ人型の何かが手を振り上げ、その目の前で骸骨が、腐体が、首を亡くした死体が動き出している。

 その絵を見ただけで分かった。それだけで、体が震えた。


 これは。

 この魔術書に書いてある、それは。

 かつて、アールヴだけが扱うことができたという特異魔術。

 死者を蘇らせ、骸骨の兵隊を操り、不死者だけで一つの兵団を作り上げたとされる、現在は失した魔術。


 死霊魔術ネクロマンシーの、書――。

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