1-7話


(仕事……! しかも、『不苦の良薬』に関わる仕事!)

 これはまたとない好機だ。こんな機会が、後宮に勤めてこんなに早くに訪れるだなんて。

(ここでしっかり成功できれば、お父様とお母様も喜ぶはず。それに、私の夢をかなえるきっかけにもなるかも!)

 そう──人の命を救うきっかけになるかもしれない。

(大丈夫。実家にいる時から、『不苦の良薬』の案はずっと考えてきた。今までは時間と材料がなくて、ほとんど試せなかったけど……でも理論は整ってる。あとは実践あるのみ!)

 後宮に戻ったら、空き時間を使って、さっそく研究に励まなければ。

 希望とやる気を胸に抱き、英鈴は勢い込んで自分の持ち場へと帰っていった。


 それからほどなくして──後宮にある宮女たちの部屋に、英鈴あての荷物がいくつか届いた。一つはくだんの薬、『暑中益気散』。もう一つは、大きなかめだった。

「ねえ英鈴、これって一体なんなの?」

 同じ白充媛に仕える、とりわけ仲のよい宮女・せつが尋ねてきた。

「女官様から、あなたが何か薬の研究をしないといけなくなったっていうのは聞いてるけど……この甕の中に入ってるもの、何? 甘い匂いがするけど、お菓子?」

「お菓子じゃないわよ、雪花。それは膠飴こうい

 暑中益気散に水と米粉を混ぜ、乳鉢で練っていた手を止めて、英鈴は応える。

「もち米の粉に麦芽を混ぜて煮詰めたもので……とにかく、それも薬の材料の一種なの。場所を取って悪いけれど、少し我慢していて。何日も時間はかけないつもりだから」

「わかってるって。ねえ、それより英鈴、例の声のよくなるお茶、あたしも飲んでいい?」

「駄目!」

 ぴしゃりと言い放ち、友人のほうを向く。

「あなた、前にだかかにだかを食べて、身体にブツブツができたって言ってたわよね?」

「ええ、あるけど。それがお茶となんの関係があるの?」

 きょとんとした様子の雪花に、強く言い含めるように、英鈴は応える。

「関係あるの。詳しい話をしたら長くなるけど……ともかくそういう体質の人にとって、あのお茶は害になるから。自分の肌が大事なら、あなたはあれを飲んじゃ駄目よ」

「そんなー! あたしだって、れいな声になりたいのに。ねえ英鈴お願い、友達でしょ?」

「友達だけど、駄目なものは駄目!」

 だいたいあの薬茶を飲んでも、声が綺麗になるわけじゃ──などと、語る時間も含めつつ。

 昼夜を問わず、仕事の合間を縫うようにして進められた英鈴の試みは、ほどなくして実を結ぼうとしていた。やはり元から案があるだけのこと、何度か実験をして調整を行えば、問題はすぐに解決できるのである。それから、二日ほど経った日のこと──

「……できたっ!」

 小皿の上に載っているのは、茶色い小さな丸薬──というより、茶色いあめだまといったほうが正しい。それを同じような玉が詰まった、手のひらに載る大きさの麻袋に入れると、おもむろに立ち上がる。

 部屋を出たところで立っていたのは、あの日英鈴を呼びに来たのと同じ、かんがんの燕志だ。

「こんにちは、英鈴殿」

 彼は先日と変わらぬ、羊のように穏やかな表情である。

「どうやら、主上にお目通りの必要があるようですね?」

「は、はい」

 一体どうやって知ったんだろう──もしかして、ずっと監視されていたのだろうか? と思いつつ、英鈴はうなずく。

「あの、お願いできますか」

「ええ、もちろん。主上もあなたが来るのを心待ちにしておいでです。では、参りましょう」

 燕志に連れられ、長い廊下を歩く。麻袋を握る手に、自然と力がこもってしまう。

(いよいよだ……! 大丈夫、きっと気に入っていただける……はず!)

 期待と不安が入り混じる思いで歩む英鈴は、しかし、気づいていなかった。

 後宮のそこかしこから、自分に視線が向けられていると────

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