1-5話
「そなたの顔が見たい。面を上げよ」
「は、はい……」
彼我の距離は、約五丈ほどだろうか。
これまでに入ったことのない、禁城の広間にまでやって来た英鈴は、その
そして
しかし周囲には文武百官、とはいかないが、それなりの人数の士大夫と衛兵たちとが控えている。何か不手際があれば即死罪である。旺華国において、皇帝とはそういう存在なのだ。
英鈴はまるでまな板の上に載せられた川魚のような気持ちで、ゆっくりと、命じられた通りに、その顔を上げた。すると──
「きゃっ……!?」
「おお、すまんな」
(そんな。いつの間に……!?)
皇帝ともなると、歩き方すらも常人とは異なるのだろうか。まったく気配を感じなかった。
こちらが頭を上げるまでの
一方で朱心はというと、いかにも愉快そうに朗らかな笑みを浮かべている。その笑みは、状況も忘れてつい見入ってしまいそうなほど、美しいものだった。
(と……遠くから見た時も、美しい方だとは思っていたけど……)
こんなに間近でその
半ばうっとりとしかけてしまいつつも、あまりまじまじと見ていては無礼かと思い、英鈴は少し相手から視線を外す。話しかけたりはしない。むしろできない。不敬にあたるからだ。
一方で朱心は「ふむふむ」と興味深そうにこちらの顔を見てから、数歩下がる。
「なるほど。噂通り、利発で
「恐れながら、陛下」
と、玉座の隣に控えている燕志が、礼と共に言う。
「御身がそう近くては、英鈴殿も落ち着かぬことでしょう。あと数歩ほど、お下がりくださいませ」
「それもそうだな、燕志」
朱心は
(ふう……よ、よかった)
緊張の極限からようやく解放されて、英鈴は、再び朱心のほうを向いた。彼が
龍神はこの大陸を太古の昔に創り出した存在であり、皇帝はその代理としてこの地を治めている──それがこの旺華国に広く伝わる信仰である。
たとえさほど信仰深いわけでもない者であっても、この玉座の煌びやかさと、皇帝の姿を目の当たりにすれば、きっと自然と心を改めてしまうことだろう。
(いいえ、それよりも……)
燕志の言葉通り、皇帝陛下はこちらを咎めるために呼び出したのではないようだ。
ではなぜ──と、何度目かになる自問を繰り返すより先に、朱心が口を開いた。
「そなたが、白充媛に仕える宮女の董英鈴だな。華州は
「はっ……はい。仰せの通りでございます……」
「はは、そう
朱心は朗らかに笑い、続きを口にした。
「そなたは後宮の妃嬪や、城の衛兵たちに薬茶を売っていると聞く。なんでも、薬の効き目は保っているというのにたいそう飲みやすいそうだな?」
「はい。皆さまのお口に合うように……その、工夫いたしましたので」
「なるほど」
答えに満足そうにすると、朱心は僅かにその
「そんなそなたに、頼みがある」
(頼み……!?)
「余、自らのための頼みだ」
我知らず見開いた瞳の視線が、まっすぐに朱心の視線と合わさる。
しかしそれを不敬かと
「余のために──飲みやすい薬を作ってくれぬか?」
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