迷子
夏の終わりで、風鈴が半額になっている。こういうの、誰が買うのかなと思っていたら、小学三年生くらいの女の子が、真剣な顔で風鈴をにらんでいた。
「風鈴、好き?」と聞いてみたら、女の子はこちらを向いた。メガネをかけた、利発そうな顔が「あんた誰?」と聞いているように見える。しまった。自分の息子と同じくらいだから、知らないお子さんなのに、つい声をかけてしまった。
知らない人から声をかけられて、怖かったかもしれない。「ごめんなさい」と謝ろうとしたとき、その子はキリッとした顔で「いいえ」と言った。
「風鈴は、人並みにきれいだと思いますが、特に好きなわけではないです。家の風鈴が割れてしまったので、この際、季節外れですが、半額のものを買おうかどうか、吟味していたんです」
「はあ……」女の子の口から、中年のニュースキャスターみたいな言い回しがツラツラと出てきたので、私はおどろいて間抜けな声を出してしまった。
いまだに友達とプロレスごっこをやってる息子とは、大違いだ。息子は今日はお友だちの家にお泊まりで、私はつかの間の自由を満喫して、デパートの雑貨屋さんをブラブラしていたのだ。
デパートの雑貨売り場に、小学生の女の子が一人。
「親御さんは?」と念のために聞いてみると、女の子はあたりをキョロキョロと見回してから「あ」と口を大きく開けた。
「おじいちゃんったら、ちょっと目をはなしたスキに……」
女の子は「すみません」と言ってから、ポケットから携帯を出して、どこかに電話をかけた。何回かコールがなっているようだけど、誰も取らないみたいだ。そのうち、女の子が「はあ」とため息をついて、携帯を耳からおろした。
「おじいちゃん、携帯はかける専用だと思ってるみたいで、こういうとき、全然役に立たないんです」
「まあ」
「おじいちゃん、よく迷子になるんですよ」
「あら……」
「いえ、頭はしっかりしています。いや、そうとも言えないか。でも、認知症ではないです」
「……そ、そう」
「こんな広いデパートで、むやみに探し歩いても、すれ違いそうですし」
「そうね。ここで待ってたら、また戻っていらっしゃるんじゃない?」
「うーん……。おじいちゃん、私のこと忘れて、家に帰っちゃったことあるんですよね」
「え!? そうなったら大変じゃない」
「あ、一人で帰れるんで、大丈夫なんですけど。お金持ってないんで、風鈴が買えないのが残念です」
「いやいや、ダメよ。おじいちゃん見つけましょう。そうだ、迷子のお知らせの店内アナウンスをかけてもらえばいいじゃない」
私がそう言うと、女の子がちょっとだけムッとしたのがわかった。
「迷子って、あなたじゃないわよ。おじいちゃんのほうよ」と私が付け加えると、女の子の顔が、電球がともったように、パッと明るくなった。
迷子センターに行き、事情を説明すると、すぐに店内アナウンスをかけてくれた。
「お連れ様のお呼び出しを申し上げます。○○よりおこしの竹内誠さま、○○よりおこしの竹内誠さま。お連れ様がお待ちでいらっしゃいますので、当店三階の迷子センターまでおこしください」
アナウンスの後、十分もしないうちに、短いドレッドヘアにバナナ柄のシャツを着た男性が走ってやってきた。あら、この方も迷子をお探しかしら、と思っていたら、女の子が「おじいちゃん!」と言ったので、私はびっくり仰天してしまった。
「えっちゃん!」ドレッドヘアの男性は、女の子をぎゅーっと抱きしめる。女の子のほうは「おじいちゃん、こんなとこで恥ずかしいから」と冷静に体を引き離していた。
「ごめんねー。すんごいもの見つけちゃってさぁ。このくつ、かかとにね、なんとローラーがついててね、こうやって、つるーって滑れるんだよ!」
そう言って、男性はデパートの床をすべってみせた。
「おじいちゃん、それって、子どものおもちゃじゃないの?」
「そ・れ・が! 大人用が売ってあったんだよ! オレ、つい興奮して買っちゃった。」
「すべるときは、人の迷惑にならないように気をつけてね」
「えっちゃんのぶんもおそろいで買ったから」
「はあ?! ダサい。恥ずかしい。返品してきて」
「え〜……。そんなぁ」
男性は、大げさにしょんぼりしてみせた。
「この人が、おじいちゃんを探すの、手伝ってくれたんだよ」
一部始終を見ながら、唖然としていた私を、女の子が紹介してくれた。
「あ、初めまして。坂田と申します」私がペコリとお辞儀をすると、
「あー! ありがとうございます!」と男性がくしゃくしゃの笑顔になった。直視したら目がやられそうなくらい、すんごいエネルギーを放出している。太陽みたいな人って、こんな人のことをいうんじゃないかしら。あら、しかも、けっこうイケメンじゃない。おじいちゃんだなんて……いったいいくつなんだろう。
「お礼に、お茶でもいかがですか?」とさらりと言われて「え?」ととまどってると、女の子がため息をついた。
「おじいちゃん、孫の目の前でナンパすんのやめて」
「なーに言ってんの! 助けてもらって、お礼の一つもしないなんてダメだろ? お茶がアレでしたら……デパ地下でチョコレートでも」
「いや、あの、おかまいなく……」と私がとまどっている間も、「えっちゃん」と「おじいちゃん」の応酬は続く。
「デパ地下行っても、買いすぎないでね。チョコレートは、坂田さん用だよ。自分用じゃないんだよ」
「え〜。せっかくだから、おいしいの、買って帰ろうよ」
「んもう。ちょっとだけだよ。アレもコレも買わないでね。あ、このダサい靴、返品するの忘れないでよ」
「え〜」
「あ、風鈴が半額だから、買ってもらっていい? それから、家の電球切れてるから、スーパーも寄ってってね」
「はーい」
そんな二人を見ていると、なんだか幸せな気持ちになって、つい「あの、よかったらお茶でも……」と言ってしまっていた。
あれから数週間後、彼岸花が満開の河原を、ドレッドヘアの竹内さんと手をつないで歩いているのだから、人生というのは本当にわからない。最愛の夫が他界してから五年が経ち、もう男性とは一生縁のない人生を送るんだろうと思っていた。
近い将来、私の息子とえっちゃんが、恋人になったりしないかしら……なんて、幸せな妄想にふけるのが、私と竹内さんの密やかな楽しみだ。
<了>
***
お題は「迷子」プラス「風鈴」「電球」「彼岸花」でした。全部入りました!
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