第52話 侵略せよ、我が翅と夢・4


 生き物のようにうねるトランプの嵐が町中を席巻し、かろうじて生きていたビルや施設が次々と倒壊していく。セセリの侵攻は止まらない。

「一人で生き残るって、どんな気分です?」

 トランプ対策にまき散らした炎が風で舞い上がり、街中の瓦礫や可燃物に火が付いた。じわじわとドームの中が炎に包まれていっている。

 風で炎があおられれば更に火力が増して超空洞の侵攻を止められるが、今度は炎で人が焼ける心配が増していく。レムレス・ヴォイドと大火災はどちらも等しく脅威ではある。どちらで死ぬのががましかは人によるところが大きい。

 セセリは煙を吸って、人間のように少しせき込んだ。


「……よくあることだ」

 未だ取り込まれていない見えざる死体や、切断され飲まれていないだけの肉片を燃やしながら戦う彼は、傍から見れば効率の良い、情に欠けた戦い方をしていた。

「そうですか、見当もつきませんが、お兄さんがここまで苦しんでくれるなら万々歳!ですね」

 セセリは楽しそうに話しながら手をかざし、壁に隠れていた執行官をトランプに襲わせて飲み込む。そしてクレイドを見て愉快そうに口の端を歪めた。


「知ってました?お兄さん、鉄面皮のくせにすっごく顔に出ますよ。顔も名前も知らない人のせいでそこまで傷ついてあげるのって被虐趣味か何かですか?」

 しゃべっている最中に斬り込んできた大剣を零洛れいらくでガードする。超空洞が馴染んできたのか、段々と零洛れいらくの使い方や翅の動かし方に遊びが出てきたようで、会話しながらも戯れに街や人を傷つけてみている。

 クレイドは、彼女の言う通り分かりやすく、しかし彼に関心がないと読み取れないくらい静かに怒りを湛えた視線を向けた。


「トランプだと燃やされちゃう、この黒いやつは媒介がないと遠くへ飛ばせない。化け物にもルールがあるんですね」

「お前に限界があるだけだ。成長は人間の特権だからな」

「……嫌な人」

 クレイドの煽りに、セセリは露骨に嫌な顔を浮かべた。触れられたくない部分だったのか、彼女の目つきが鋭く変化した。そしてセセリが腕を上げた瞬間彼女の背後から、津波のような黒い星空が沸き上がる。


 それはそのままクレイドに襲い掛かり、圧倒的な質量で彼を飲み込んだ。


 津波は前線基地まで届いていた。多少高台にあるとはいえ、分析官や救医官は慌てて支部局内に避難する。局の電磁結界は生きていて零洛れいらくを弾いてくれており、もう少しもってくれそうだった。

「おい、あいつの弱点ってなんだ?早くなんか思いついてくださいよ!」

 息をつく余裕もなく、ストライの叫びが聞こえてきた。未だ前線基地で黒い液体に浸かっていない機材を回収していた眞紅は慌てて声のする方へ向かった。入口でストライがシェイスに食って掛かっている。

「わ、私に言われましても」

「あんた母親なんだろ!」

 掴みかかるストライを、屋上から降りてきていたムルナが止めた。


「お前は引っ込んでろ!」

 突き飛ばされて音叉が崩れ、超音波が止んだ。

 一同に「あ」と声が出て、転がった音叉を目で追った。支部局横の階段を大きな音を立てて落ちていったそれは、誰かの足元の黒い星空の中に落ちて飲み込まれる。

 沈むグレーダーを静かに見ていたセセリが顔を上げて、真っすぐストライを見た。

 彼女の黒目は空洞だった。そこら中に垂れ流されている零洛れいらくとは違う、輝きのないブラックホールの瞳はどこを見ているか分からないはずなのに、誰もがストライを見ている、と理解させられた。


 ストライは震えあがり、その場に尻餅をついた。そしてドームの天井の割れ目から除く電波塔を睨み付けた。

「た、助けてくれペーレイラ!俺はずっとお前の言う通りにしてきただろ!ちゃんと毒だって盛ったぞ!?」

 ペーレイラタワーは相変わらず沈黙を続けていた。彼は自身のQUQにも何度も何度も何度も何度も叫び手首が取れそうなほど振りかぶるが、一切のアクションはなかった。

「あんたが毒を……?ペーレイラの指示って」

「やはり、データと実数が合わないことが多々あったのは……!」

 眞紅の問いを遮るようにカイラが叫んだ。

「俺が知るか!俺はなんにも知らん!俺は……!」


 突然ストライが黙った。何事かと注目していた眞紅だが、すぐに理由が判明する。ストライの首につう、と赤い線が走り、そこからずれるように彼の首が落ちた。そしてそれはシェイスの足元に転がった。近くの壁には赤い液体にまみれた一枚のトランプが刺さっている。

 そこから黒い染みが壁にじわじわと広がっていく様を見て、バーダは思わず支部局から飛び出して橋の方へと逃げ出そうとしたが、彼の足元にもその零洛れいらくが広がり、身動きが取れなくなってしまった。そしてセセリがそこから湧き出てきた。階段下にはもう誰もいない。


 付近の退魔士達がグレーダーを構えた瞬間、閉じていた巨大な翅を一気に広げ、支部局近辺に突風を起こした。風だけならまだしも、地面に垂れていた零洛れいらくも吹き飛ばし、それに触れた者や箇所がえぐられるように飲み込まれていった。眞紅も一旦壁の後ろに隠れたが、足元にもじわじわと水たまりが広がってきている。

「どうしてお母さんに告白しなかったの?レムレスすら匿うくらいの恋心なんでしょ?」

 セセリはバーダの前に立ち、少女の顔で彼に尋ねた。

「え……あ……それは……」

「……なんだっけ、何かに使えそうだから生かしておいてあげたのに。もういいや」

 バーダの頭だけがさいころステーキのように切れて、地面に散らばった。そしてセセリが戯れに人差し指でツン、と触れた身体が地面に叩きつけられ、そのまま真っ赤な血をまき散らす。そして酸化したかのように血は一瞬で黒く染まり、きらきらと輝く星空に身体が沈んでいった。


 シェイスは恐怖のあまり声も出せず、車いすの上でカタカタと震えていた。

「なんでみんなおかあさんをいじめるんだろう」

 セセリは何も知らない子供のような表情を見せた後、ふと知らない大人の顔に変化した。

「僕のせいだよ」

 言い聞かせるように、彼女は静かに呟いた。まるで誰かとの会話だった。


 風が一瞬止んだ次の瞬間、セセリを中心に大嵐がまき起こり、建物のみならず地面をえぐるトランプとそれに付随する零洛れいらくが燃える街を襲った。飛び散る零洛れいらくは火に触れるとそこで焼けて消えるが、そうでないものはそこから広がった。

 煙と火で見えにくくなっていた青空を、超空洞が覆い隠していく。真昼間にも関わらず満天の星空に包まれていくカジノドーム内で、アミティエとエルデは必死に迫りくる超空洞と津波から逃げていた。


「高いとこ!?高いところに行けば逃げれる!?」

「分からないけど逃げるしかないでしょ!あ、ビョンギ先輩!」

「へいへいこっち!上がって!」

 二人は塀の上から手を振るビョンギを見つけ、一足飛びで彼の隣に登った。いまだ迫りくる高波にビョンギは盾を構え、アミティエとエルデを守るように立った。

 ラテントとローレルは橋の近くまで後退し、バリケードの近くの電磁結界に何とか潜り込む。超空洞の影響で通信は途絶し、誰の安否も確認できない。


 爆心地である支部局の近くにいたパウル、ムルナ、ゴーファー、そして眞紅とクレイドは誰のQUQからも見えなくなっていた。

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