7:一〇メートルのデートコース

「あの。オカルト部の先輩、ですよね」


 食堂を過ぎ、明日の休講情報掲示板にさっと目を通していたとき声をかけてきたのは伊川いかわさんだった。


「おお、そうそう。オカルト部の粕谷かすやです」

「……羽衣ういです。こんばんは、伊川さん」

「あっ、こんばんは。挨拶もなくすみません」


 伊川さんはぺこりと頭を下げた。その隣で、茶髪に派手なメイクをしたギャル系女子と、黒髪に眼鏡の物静か系女子が一緒に会釈する。

 くだんの女性陣か。一瞬次未つぐみに目配せすると、次未もまた同じことを考えたようだった。


「オカルト部……北棟のオカルト愛好研究部……だったっけ?」

「そう、チドリちゃんの彼氏さんが所属してるんだ。このひとたちは一緒に話を聞いてくれたの」

「そうだったんだ。はじめまして、秋坂あきさか万希まきです」

「よ、吉野よしのあゆ、です。朝美あさみちゃんから、話は聞いています」


 茶髪のほうが秋坂さん、黒髪が吉野さん。よし、覚えた。

 三人並ぶと全然違うタイプに見えるが、人間関係というのは意外とわからないものだ。

 ギャルっぽい秋坂さんはバッチリ化粧の決まった見た目に圧されそうだが、言葉遣いは丁寧でやわらかい。大学デビュー組だろうか。さりげなく吉野さんを隠すように立っているのは、人見知りするらしい彼女へのフォローに思える。

 吉野さんは典型的な『異性が苦手』タイプのようだ。きゅっと身を小さくして俺の目を避けようとしている。まあシルエットから男とわかるような影に丸二日ほどつきまとわれているのなら、それも仕方ないんだろう。むしろよく大学に来ているものだ。


「あなたが、吉野あゆさん」


 次未がその大きな目で吉野さんをとらえた。

 宝石みたいな眼は、ジッと見つめられると吸い込まれそうな迫力がある。その強い視線に驚いたのか、吉野さんはびくりととびあがった。


「ひ……は、はい……」

「吉野あゆさん。

「えっ」


 目を開いたのは伊川さんのほうだった。

 青い顔をした秋坂さんの後ろで、吉野さんがぶるぶるとふるえはじめる。見る見るうちに目に涙をいっぱいにためて、息があがっていく。


「何か見えるんですか?」

「いまはいません」

「次未?」

「……そんなに大事ならずっと一緒にいればいいのに」


 ぎゅっと眉にしわをよせて、次未が低い声でつぶやいた。

 そう言いながら、俺の服の裾をそっと掴んでいる。俺は大きな優越感と心配でせめぎあうことになるのだが、向かい合う三人は次未の言葉に怪訝そうな顔を隠さなかった。


「どういうことですか。あなた、何を知ってるんですか? っていうかなんなのよ、突然!」


 俺にとってのかわいい幼馴染みも、他人にとっては受け入れがたい存在として映ることもある。

 とくにこういった案件では。

 秋坂さんはやはり気が強いほうなんだろう。ずんずん前に出てくるものだから、俺も空気を読んで次未の前に出る。

 思い切りにらまれたが、猛禽の菓子野かしのに比べれば秋坂さんはヒヨコ同然だ。あいにく年齢も身長も自分より小さな女の子相手にひるむような繊細さは持ち合わせていない。


「自称霊感ってやつですか。ばかにしないでよ。先輩だからってあゆに難癖付けるのは許さないから」

「まあまあ、秋坂さん落ち着いて」

「あなたも何なの? あゆを脅かすために来たんならもうやめてくれませんか。あなたたちには関係ないんですから!」

「ま、万希ちゃん……私は大丈夫、だから」

「大丈夫じゃない!」


 ひとりヒートアップしていく秋坂さん。

 掴みかかってくるか、と身構えたとき、伊川さんがさっと腕を伸ばして間に入ってくれた。


「万希、落ち着いてよ。私が頼んだの。先輩方に失礼でしょ」


 頭半分ほど背の高い秋坂さんにもひるむことなくまっすぐに顔を見合わせる。


「失礼なのはどっちよ。あゆをばかにされたんだからそりゃむかつくじゃない!」

「絶対そういうつもりないって。羽衣先輩はほんとに霊感あるみたいだから、絶対あゆのこと助けてくれるよ。信じてよ」


 ぐ、と秋坂さんが言葉に詰まる。

 なるほど、グループ内の優劣はそこまでないか、あるいは伊川さんが上か。意外と伊川さんも気の強さは同じくらいのようだ。

 気まずそうに目を泳がせて秋坂さんは口をつぐむ。

 伊川さんはくるりと振り返って、また「すみません」と頭をさげた。


「伊川さん。あとから君平に言われると思うんだけど、明日、チャーリー・ゲームをやった全員で例の教室に集まることって出来そう?」

「それは、はい。できるとおもいます。みんなには私から連絡しておきますね」

「ならよかった。次未この子のいうことも、明日にはちゃんと意味が分かるはずだから。急にごめんな」

「……わかりました。明日ならわかるんですね?」

「そうそう。だからあんま怒らないでやってくれよ」

「朝美がここまで言うから今日のところはやめますけど。アタシ、まだ疑ってますから」


 しぶしぶ、といったように秋坂さんは引き下がった。

 吉野さんはまだふるえている。よほど怖い思いをしているらしい。俺だったら大歓迎なんだが。


「吉野さんも、攻撃されることはないから安心してな。明日までお友達と一緒にいてもいいわけだし」

「…………はい」


 返事は蚊の鳴くような声だった。

 伊川さんが代わりというように挨拶をして、三人は食堂のほうへと去っていった。




      ◇




 朝はすっきり目覚められるタイプだ。

 今日も気持ちのいい目覚めである。枕元においたかわいい次未の日替わり写真でやる気を補充すればまったくわからない内容の講義も怖くない。いまなら単位もとれる気がする。

 いつもどおり羽衣家に迎えに行くと、いつもどおり黒いロングワンピースを着た次未が立っていた。いつもと違ったのはカーディガンの素材が新しくなっていることだ。


「新しいやつじゃん。リネン?」

「最近、暑くなってきたから……」


 照れるとすぐ顔を隠してしまう次未だが、耳はほんのり赤くなっている。

 そんな仕草を見せられて俺の素直な心臓はきゅんっと効果音を鳴らした。いやあ、かわいいわ。いつまでもかわいい。

 きっと生まれてから死ぬまでかわいいんだろう。奇跡的な生命だ。

 そんな尊いものと離れなければならない運命を呪いながら三つの講義を何とか乗り越えることになる。そもそもどうして次未と離れることになったのか足りない頭で哲学的なことを考えようとしたころ、同じ講義だった菓子野にべちんと頭を叩かれてなんとか落ちてくる目蓋を持ち上げることに成功し、やはり持つべきものは友人なんだなあと数日前も考えたようなことをぼうっと思いながら荷物を片付け、天使が待つ美しい窓際へと向かう。

 菓子野からもう一度気持ちのいい音を後頭部にもらえば、その腕に抱えられたむくむくの二歳児がパッと笑って手を振ってくれた。やっぱり子どもっていいな。


「校内にこんな静かな場所あったんだな」


 くだんの三一一講義室は県立大学三号館一階にある空き部屋である。

 もともと今期のカリキュラムでは平時の講義がない特別講義室である。第三号館はこの時間ほかの講義もないようで、廊下ごと静まりかえっていた。


「あんまり来ないから知らなかった。ってか、不法侵入されてもこれじゃわからんよな」

「大事なものは置いていないのかもしれない。人を集めるだけ、みたいな使い方をしてるみたいだから」


 オカルト部は使ったことがないが、大学間インカレイベントではよく使われているそうだ。人が集まれるし、西棟周辺にはアクセスがいい。文化祭のゲスト控室なんかが主な使用目的だとか。


岩隈いわくま先生、風邪だって?」

「季節外れのインフルエンザ。姪御さんから感染したって、大変そう」


 次未が本来受けるべき四限の講義は、講師こうし岩隈先生の急病により休講になっていた。

 それならばと先に現場まで言っておこうと言い出してしまったのは、やはりおとなしくさせていた好奇心が顔を上げたせいである。次未は決して積極的な表情をしていなかったが、あと数十分もすれば全員が集まるのでひとまず良しとしてくれたらしい。

 次未のまるっこい頭は歩いているときもあまり揺れない。姿勢が良い。

 黒い絹のような髪の毛がさらさらと遊ばれている。


「抱きしめていい?」

「だっ」


 目をまんまるにする次未。驚いた子ネコみたいだ。


「だめにきまってるっ」

「あはは、ごめんな、お部屋でしようなー」

「まじめにして!」


 真っ赤になって頬をふくらませれば、普段のおとなびた様子がすこし幼くなる。

 ハリネズミみたいな緊張がゆるんでいく。

 ふ、っと息を吐いた次未は、目の端に浮かんでいた雫にやっと気づいたようだった。指先で拭ってやれば目線を落とし、何か言いたげに口を何度か動かしたが、さくらの花びらみたいなくちびるから漏れてくるのは小さなため息だけである。


「俺はいつもまじめだぜ?」

「……わかってる」


 ぷいと向こうを向いてしまった次未に手を差し出せば、おずおずと握られる白魚の指。貝がらみたいな爪が行儀よく並ぶそれをそっと包み込む。軽く誘導してやると体ごと磁石みたいに引き寄せられてくれる。

 ああ、かわいい次未。

 怖いのに、嫌なのに、大事なところで他人を見捨てることができない、かわいい幼馴染み。

 一〇メートルのデートコースでも、扉を開けるころには、次未はすっかり気分を落ち着けたようだった。

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