第21話 森の異変(二)

 ゴブリンの顔に薄っすら残る、縦じまのひっかき傷を見て、ニャウはそれが以前東の草原で出会ったゴブリンだと気づいた。


「あっ、あなた、もしかしてロタ? いったいどうしてこんなところにいるの? 人に見つかると危いよ」


 ニャウは周囲を気にして思わず小声になる。

 

「ぎゃぎゃう?」


 しかし、ロタの言葉は全く意味をなさなかった。

 

「あっ、そうか! ミャンがいないから言葉が通じないのか。ちょっと待っててね」


 ニャウは駆け足で少し前を行く仲間たちに追いつくと、自分は行きたい店があるから後で会おうと告げ、再びゴブリンの所まで戻ってきた。


「ロタ、こっちへ来て」


 彼女はリンほどしかないロタ少年の小さな手を取ると、人気のない路地裏へと入った。


「うん、ここなら人に見られないよ、きっと。ミャン、お願い。ここに来てちょうだい!」


 小さな声で、はっきりそう口にしたニャウの前に、光の玉が現れる。結ばれた光がほどけると、小さな白猫が現れた。


「ミャン、来てくれてありがとう」


「みゃん!」


 少女が胸に抱いた子猫の頭を優しくなでると、それはとてもかわいい声で鳴いた。

 ただ、かつてミャンに顔を思いきりひっかかれたことがあるロタは、子猫の姿を見たとたん、ぱっと跳びさがった。


「ロタ、大丈夫よ。なにもしなければ、ミャンはとってもいい子だよ」


「あ、言葉がわかるぞ! ニャウのあねさん、そいつをあまりおらに近づけないでおくれ」


「あなたがどうしてもって言うなら……。だけど、どうしてこんな街の中まで来ちゃったのよ? 誰かに見つかったら、きっとただじゃすまないよ」


「門のところは、四つ足の動物に引かれた箱みたいなのに隠れて通ったんだ。おら、どうしてもあねさんに頼みたいことができたんだ」


「荷馬車にひそんで街の中へ入ったのね。それより、頼みたいことってなに?

 だけど、ロタってホント命知らずね。街の人に見つかったら、殺されちゃうかもしれないんだよ」


「おらの命なんかどうでもいいんだい! 頼む、イビーを、母ちゃんを、みんなを助けてくれ!」


 ゴブリンの少年は早口でそうまくし立てると、ニャウの腰にすがりついた。

 つい今しがたまで恐れていた子猫のことも目に入らない様子だ。必死の言葉からだけでなく、その真剣な表情からも、ひどく思いつめているのは明らかだった。


「とにかく落ちついて、ロタ。なにがあったか話してちょうだい。ゆっくりとだよ」


 路地裏に置かれていた箱にゴブリンの少年を座らせ、ニャウ自身はその前にひざまづいた。

 そうすることで、目線の高さがちょうど合った。

 ニャウの目を見つめたロタが話しはじめた。


「二日前、森を歩いてて魔獣の大きな群れを見つけたんだ。たぶん人族だと思うけど、変なやつが魔獣を集めてたみたいだった。そいつが、おらが住んでる村を魔獣に襲わせるって言ってたんだよ。そのことをジル爺に話したんだけど――」


「ちょ、ちょっと待って! 一度に話されても理解しきれない。まず、魔獣の群れって言ったけど、どのくらいの数がいたの?」


「わかんないよ。数えきれないくらい、いっぱいいた」


「そ、それは怖いわね。それで、人族らしいやつが魔獣を集めてたって言ってたけど、どうしてそいつがやったってわかったの?」


「だって、そいつが笛を吹いたら、それに合わせて魔獣たちが踊ってたもん」

 

「へえ、いったいどうなってるんだろ? あ、そいつってあなたが住んでるところを、魔獣に襲わせるって言ったんだよね?」


「うん、そうだよ」


「あなた、なんでそれがわかったの? そいつが人族なら、ゴブリンのあなたとは言葉が通じないんじゃないの?」


「それはそうなんだけど、なぜだかわからないけどそいつの言ってることがわかったんだ」


「ふーん、どうなってるのかな。きっと、なにかのスキルかもね。私だって、こうしてあなたと話せてるし」


「そんなことはいいから、おらの話を聞いておくれ! おらが見たことをジル爺に話したんだけど、大人たちの寄りあいで決まったのは、村を捨てて逃げたりしないってことだったんだ」


「な、なんでそんなことになったの? ジル爺って人、あ、人じゃなくてゴブリンか。とっても頭がいいんでしょ?」


「ああ、そうなんだけど……なんだったかな、村がある場所がどうのこうのって言ってた」


「ふうん、よくわからないけど、きっとあなたたちの村って逃げられない場所にあるのね」 


「こうなんていうのかな、オーガの角みたいに、にゅっと海へ突きだしたところにあるんだ」


「ふうん、海に突きだしてるって、もしかしたら半島かしら。半島に村があって、魔獣の群れが半島のつけ根に集まってるなら、きっと逃げるのは難しいでしょうね」


「うん、ジル爺もそんなこと言ってた」


「そこまでの話はわかったけど、どうして命をかけてまで、こんなところに来ちゃったの?」


「ねえさんに助けてほしいんだ」


「助けるって、もしかしてあなたたちの村を?」


「そうだよ、イビーや母ちゃん、それにみんなを助けてほしい! ねえさん言ってたじゃないか、自分の仕事は危険な魔獣を退治することだって」


「うーん……」


 ロタの話を聞いて、ニャウは考えこんでしまった。

 助けられるなら、この少年を助けてあげたい。けれど、魔獣の群れをどうすればいいのか、これっぽっちも考えが浮かばない。

 それに、助けるといっても、彼女一人では絶対に無理だろう。

 彼女は、スライム一匹倒したことがないのだ。


(タウネたちに協力してもらう? だけど、もしこの件に関われば、まちがいなく危険な目にあうわ。命を落とすかもしれない。まだ会ったこともないゴブリンのために命をかけてくれなんて頼めるはずもないよね。いくらパーティ仲間だからって、それは無理な相談だよね)


 どう考えても、ここは助けることができないと断るべき場面だ。

 ところが、どこまでも心根の優しい、このニャウという少女は、目の前で涙を浮かべ懇願しているゴブリンの少年をどうしても突きはなすことができなかった。


「あのね、人族みんなの協力は無理だと思うの。私一人で助けにいくことになるけど、それでもいい?」


「人族のみんなに助けてもらうのはやっぱり無理なのか……。おらたちはゴブリンだからな。それでも、ねえさんだけでも力を貸してくれるなら、ぜひ助けておくれ」


 ニャウは、冒険者となった時にシスターから言われたことを思いだしていた。


『いいですか、よい冒険者として必要な能力は一つしかありません。それは、生きのびる能力です』


 それだけのことがいかに難しいか、少女はわずかばかりながら理解しはじめていた。

 あれこれ考えをめぐらすうちに、周囲への警戒が薄れたニャウ。

 そんな彼女を物陰からうかがう者がいた。



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