暗転

「ちょっとバァさん、どういうことなの!?」

 シオン達のいる浜辺から遠く離れた海の底。静寂に包まれた闇の中に、その場に不釣り合いな甲高い声が響き渡った。

「……大きな声を出すんじゃないよ。まったく、あんたはどうしてこう騒がしいんだね、サラ」

 魔女が鍋に入った薬を棒でかき混ぜながら、うんざりした様子で言った。視線の先には仁王立ちをした少女がいる。この暗闇には不釣り合いな眩いばかりの金髪を、頭の高い位置で一つにまとめている。ぴったりとした黒の長袖のワンピースと、同じく黒のヒールの高いロングブーツを身に着けたその姿は、薬をかき混ぜている老婆よりもずっと人間らしく、そのまま人間の世界に紛れ込んでも違和感がなさそうだ。だが、サラと呼ばれたこの少女もまた正真正銘の魔女であり、今はこの老婆の元で修行中の身なのであった。

「そんなことはどうでもいいの。それよりバァさん、本当なの!? シオンを人間にしたって!」

 サラは腰に手を当て、上半身を屈めて魔女の顔を覗き込んだ。魔女はサラから視線を逸らすと、渋々といった様子で答えた。

「……仕方がないじゃないか。あの子があんまり強く頼むもんだから……」

「そういう問題じゃないでしょ! わかってるの!? あの子を人間にするのがどういうことなのか!」

 サラがいきり立った様子で叫んだ。興奮冷めやらぬように、肩ではぁはぁと息をすると、魔女から視線を外して苦々しげに呟く。

「……リンナの時だってそうだった。あの子に押し切られてバァさんは薬を渡して、それでリンナは……」

「……黙りな!」

 不意に魔女が手を止めて叫んだ。サラがびくりとして肩を上げる。

 魔女は深いため息をつくと、再び鍋の方に視線を落として言った。

「……あんたに言われなくたってわかっているさ。あの子を人間にすることが、どういう意味を持つのかってことくらいはね……」

「……だったら、何で」

 サラは納得のいかない顔をして尋ねた。魔女はしばらく答えなかった。深海魚が砂底から顔を出し、ぎょろりとした目を魔女の方に向けた後、物も言わずに再び砂底に戻っていく。

 魔女はじっと鍋の中の液体を見つめていたが、やがてぽつりと言った。

「……あの子は言った。自分は母親に会うために人間になりたいんだと。あたしにはそれを止めることはできなかった。たとえ……人間になったその先で、あの子をどんな運命が待ち受けていたとしても」

 魔女はそう言うと、棒を握る両手の力をぐっと強め、さっきよりも乱暴に鍋をかき混ぜ始めた。話はこれで終わりだと言わんばかりだ。サラはなおも納得いかない様子で、唇を尖らせながら魔女の姿を睨みつけている。

 この時のサラにはまだ、魔女の考えがわからなかった。魔女は相変わらず不機嫌で不愛想で、シオンのことなどまるで関心がないように見えたからだ。

 だから、すっぽりと顔を覆ったフードの下で、その目が懸命に涙を堪えようとしていることなど、サラは知る由もなかったのだ。

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