7 今村仁司・第三項排除モデル

ミサ〉 今村仁司さんの〈第三項排除〉モデルはだ、我思うに、国家を論じるに充分な応用価値がある。あらかじめ知っておくと、後でボディーブローのように効いてくるぞ。


我聞〉 で、〈第三項排除〉、なんですかソレは?


ミサ〉 そうだな、わかりやすさを最優先し、〈第三項排除〉をイジメで考えてみようか。


我聞〉 イジメ? もっと違った事例はないですか?


ミサ〉 いや、イジメにあてはめてみると、幸か不幸か、腑に落ちてしまうのだよ。

ところで、イジメって、なくなると思うか?


我聞〉 なくすべきだと思うし、今すぐパッとは思いつきませんが、なんらかの仕組み、制度、あるいは法律とか、頑張ればかなり減らせるんじゃないですか・・・・・・ただ、現実的な話をすると、ちょっと難しいかなぁ。

 学校時代、どの教室でも大なり小なりイジメはありましたし、いろんなバイトをしましたが、どこでもイジメありましたし、なんつーか、人のいるところイジメあり、って感じで・・・・・・


ミサ〉 人のいるところイジメあり、か。悲しいよな。しかし、だとするならだ、なんで人が集まるとイジメがついてまわるのだと思う?


我聞〉 ん~、ぶっちゃけ、誰かがイジられ役、イジメられ役をやってくれると、それを踏み台にしてね、他のみんながまとまる、とかいうダークな側面ってありません?


ミサ〉 そう、それなんだよな、それそれ。もっと言うと、あいつがイジメられてるうちは自分はイジメられない、ラッキー、とかいうこともあるだろう。

 いつ自分がイジメられるかわからないという恐怖感があるとだ、いっそイジメに加担してしまうか、助けようとするよりはむしろ放置してしまうものさ。人は弱い。誰かが代わりにイジメられていると、むしろ安心してしまうところがある。


我聞〉 人間の嫌ぁな部分ですよね、それって。イジメられ役は生贄みたいなもんですね。スケープゴートって言うんでしょ?


ミサ〉 そうだ、まさにスケープゴートだ。いつ自分たちがヤられるかわからないという恐怖感が、その捌け口として、身代わり、生贄を求めるようになる。みんなでよってたかって誰かを叩くことで、それ以外の人間が安全でいられる。生贄にされなくてすむ。


我聞〉 たしかにそういうことって時折みられますね。


ミサ〉 時折、というか、集団のあるところ、潜在的にはいつもすでにそんな空気が蔓延しているような気がする。誰かがスケープゴートになることで、あるいはスケープゴートの仕組みそのものが、生贄が、いわば〈下〉から集団を支えているんだ。

 誰かが犠牲になることで、みんながまとまる。これをな、今村さんは〈第三項排除〉、もっと細かく言うと〈下方排除〉と名づけている。生贄は〈第三項〉の一種であり、みんなから一斉に踏みつけられてるんだからさ、明らかに〈下方排除〉だろう。


我聞〉 そういえば、カバン持ち学級委員長というか、クラスのリーダーなんだけど、みんなからパシリにされてるというか、みんながやりたがらない委員長仕事を単に押し付けられてるだけって感じのね、まぁガリ勉君とか、いましたが、こういうケースはどうなるんですか? これも〈第三項・下方排除〉になりますか?


ミサ〉 なると思うぞ。いずれにせよ、〈下〉からクラスという名の共同体を支えてるんだからなぁ、踏みつけられつつ。


我聞〉 でも一応はリーダーですよね・・・・・・


ミサ〉 いいツッコミだ。そう、一応はリーダー、というか、本物のリーダーになるときもあるじゃないか。

 そうだな、学園ドラマかなんかでさぁ、そういう類のしょぼい委員長がだ、なにかの拍子で、まぁ事件とかあったりしてね、ガチのリーダーっつうか、みんなに担ぎ上げられてさ、一時的に正真正銘のヒーローになっちまうシーンとか、あるじゃん。みたことない?


我聞〉 たしかに、あるあるな感じが・・・・・・


ミサ〉 きみのいう、カバン持ち学級委員長はさ、基本〈下方排除〉なんだが、あるとき、なにかの拍子に転倒してさ、〈上方排除〉に変わってしまう。つまり共同体を今度は〈上〉から吊り支えるガチのリーダーになってしまうことがあるんだ。こうなるともう、〈下〉であったり〈上〉であったりという、両義的な感じだな。


我聞〉 〈下方排除〉があれば〈上方排除〉もある、〈下方排除〉が〈上方排除〉に変わってしまうときもある、ってことですね?


ミサ〉 イエス。〈下〉から共同体を支えることもあれば、逆に〈上〉から共同体を吊り支えることもあるんだ。


我聞〉 あ、でも、一般的には〈上〉から仕切るのがリーダーですよね。自分で言っといてなんですが、カバン持ち学級委員長はレアなケースでは?


ミサ〉 リーダーは〈上〉から統率する、ってイメージはたしかに妥当なんだが、とはいえ今村さんはな、〈第三項排除〉というのはまず〈下方排除〉として先行し、〈上方排除〉は遅れてやってくる、とみている。我もそうなんだろうと思う。〈上〉から統率するリーダーも、いったんは〈下方排除〉を通過している、あるいは潜在的なレベルで通過してきている、と思うんだ。


我聞〉 う~ん、そうですかねぇ・・・・・・


ミサ〉 たとえばさ、どこにでもある市民活動とかを考えてみる。我もとある地域ボランティアに参加してたことがあるんだが、たいてい、めんどくさい雑務を率先してやってくれるヤツがさ、グループのリーダーに担ぎ上げられていく。面倒見のいいヤツだな。それってまさにカバン持ち学級委員長と似たようなもんだろ。

 ただ、最初はそんなパターンのリーダーであっても、そうこうするうち、だんだんと真のリーダーっぽくなっていくものさ。いつの間にか〈上〉から統率するリーダーに変貌している。これってまさに〈下方排除〉からの〈上方排除〉だろう。


我聞〉 う~ん、それはまぁわかるにしても、たとえばテニス・サークルでもなんでもいいですが、そういのって、たいてい一番上手な人がリーダーになるじゃないですか。これって最初から〈上方排除〉でしょうが。


ミサ〉 それは、どうだろうか。一番うまいヤツってのはさ、要するに「オレたちとは違う」って思われたヤツのことだろ。そいつは異人なんだよ。やはり潜在的には〈下方排除〉が先行しているように感じる。

 だからこそ、ときにそういう「オレたちとは違うリーダー」がさ、熱すぎて暴走なんかしちゃうとだ、途端にメンバーから「ついてけねぇ」って、そっぽ向かれちゃったりして、「あとは独りで勝手にやってろ」なんてことが発生してしまうわけ。〈上方排除〉はすぐさま〈下方排除〉へ回帰する。


我聞〉 なんだか今イチ、よくわかりませんねぇ。〈上方排除〉が先か、〈下方排除〉が先か、そこまでナーバスにならなくてもよいような気が・・・・・・


ミサ〉 わかったわかった。この話は飛ばそう。

 そもそもなんで今村さんの〈第三項排除〉を我が持ち出したのかというと、さっきも言ったとおり、このロジックを応用すればな、国家論について見通しがよくなると思ったからなんだ。


我聞〉 国家でいうと、王様が〈上方排除〉になるとか、そういう話ですか?


ミサ〉 あぁ、王は〈上方排除〉になるだろう。

 ただし、A.M.ホカート(1883-1939)『王権』(橋本和也訳、岩波文庫、2012)なんて本を読んでみると、王もまた少なくとも潜在的には〈下方排除〉を通過してきているような気がしなくもない。王の根本的な特徴は、太陽であり、かつ神であるところだ、とホカートはみなしているが、それはさておき、そんな王の戴冠式(即位式)においてはだ、一般論として、死と再生の物語が内在しているという。人としては死に、神として再生するのだ。

 こう考えてみてはどうだろうか。王とは、我々の共同体を救済するため、神々の世界へ捧げられた生贄Xである、と(1)で、そのXが、神として我々の世界へ回帰してくるのだよ。〈下方排除〉からの〈上方排除〉だ。


我聞〉 なんか、すごいこじつけ感がありますが・・・・・・


ミサ〉 そうか?


我聞〉 えぇ。あと、ちなみにですが、王様にも優れた人物と、トンデモな暴君とがいるじゃないですか。そういう暴君でも〈上方排除〉になるんですか? 共同体を吊り支えている、というよりはむしろブッ壊しているような感じですが・・・・・・


ミサ〉 たとえ暴君であっても、共同体を一つに抑え込んでいるうちは〈上方排除〉と言えようぞ。

 ただし、そうだな、これは〈上方排除マイナス(-)〉とでも呼んでおこうか。そんな使い方を今村さん自身はしておらんのだが、我はべつに今村信者ではないからさ、自由にカスタムさせてもらうとしよう。劣化カスタムにならぬことだけを祈るわ。


我聞〉 〈上方排除〉にプラスとマイナスがあるとするなら、当然、〈下方排除〉にもプラスとマイナスがあることになりますね?


ミサ〉 そうなるな。たとえばカバン持ち学級委員長は〈下方排除(+)〉になるな。イジメは考えるまでもなく〈下方排除(―)〉となろう。


我聞〉 でもなんか、やっぱり微妙っスね。


ミサ〉 なにがだ?


我聞〉 たしかに国王は〈上方排除〉なんでしょうけど、たとえば革命なんて勃発すると、途端に悪役というか〈下方排除〉ポジションに陥るわけでしょ。なにが〈上方排除〉で、なにが〈下方排除〉か、厳密には分類できないんじゃないですか?


ミサ〉 だからさっき言ったじゃないか、〈下方排除(+)〉なカバン持ち学級委員長がさ、あるとき突然変異して〈上方排除(+)〉になってしまうように、〈上方排除/下方排除〉はいわばグルグルと回転するんだ。絶対固定的なものじゃない。そこにあるのは運動なんだよ。

 で、どんな運動かというと、共同体を〈上〉から、あるいは〈下〉から支えて維持し、成立させている運動だ。そうだな、コマ回しみたいなもんだよ。回転するコマを真横からみるとだ、ちょうど菱形(◇)のようになるだろ。〈上方排除/下方排除〉の運動が絶えず共同体という名のコマを安定的に動かしている。

 たとえばカバン持ち学級委員長が「もうヤだ、限界」なんて仕事を放棄しちまえば、途端にコマの回転は止まってしまう。代わりのヤツがみつかるまで。


我聞〉 なるほど、とりあえず理解はできましたが、さて、国家を論じるに、この話をどう応用してくんですか?


ミサ〉 乞うご期待。いずれにせよ、安定している共同体には、〈上方排除〉ないし〈下方排除〉の運動が内在している、ってことだけ頭の隅に置いておいてくれよ。もっと正確に言うと、共同体というのは静止態ではなく、つねに運動態であり、顕在的にせよ潜在的にせよ休むことなく〈上方排除/下方排除〉が作動してるってことさ。


我聞〉 わかりました。ただ、なんつーか純理論的な話はぶっちゃけつまんないんで、どうぞ話を先へ進めてください。こうなったら最後まで聞くつもりなんでね。


ミサ〉 おぅ、腹をくくったか。先はまだ長いぞ。そうだな、とりあえずなんか飲むか?


 岬美佐紀はようやく、ホントにようやく、焼酎水割りをつくってくれた。とはいえ、焼酎がいい、なんてことはオレ一言も言ってないし訊かれてもいない。日本一お客への配慮がないママだ。

 グラスに口をつけると、やたらと濃い、配分間違えてねぇかと思われる水割りがオレの喉を熱くした。岬美佐紀はカカカと笑った。イタズラなんだろう。

 可愛くないし、笑えない。




(註)


1 たとえば民俗学の赤坂憲雄さんもまた「潜在的なスケープゴートとしての王」という考え方を示されている。「王権とはいわば、共同体または国家に堆積する災厄・罪・穢れの浄化装置である。」「近親相姦その他のタブーの違犯をつうじて、王はもっとも極端な穢れを具有する存在と化し、そうして王国に堆積する災厄を一身に帯びることによって、原理的には祝祭における供儀の生け贄として殺害される宿命にある。」と語る。(引用文献:『結社と王権』講談社学術文庫、2007:P17-18)

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