5 穀物国家の誕生(1)

我聞〉 あの、これは学校で習った話ですけど、国家って、狩猟採集生活をやめて、みんなで定住し、農耕するようになり、で、豊かになり、富が増えた、その結果だって。定住と農耕がポイントだって。

 あちらこちらへ流れていく生活だと、どうしても幼い子どもとか、足腰の弱い人が多いと負荷がかかるじゃないですか、移動に。でも定住してるなら関係ないでしょ。たくさん子どもがいても、みんなで面倒みれるし。だから安心して産めますし。人口も増えます。農耕がもたらす安定した収穫がね、人口増を支えた面もあるでしょう。

 で、人口が増えれば増えるほどですね、それを組織化していかないとカオスになるじゃないですか。人が集まるところ、自然とリーダーが生まれて階層的な秩序ができてくるんじゃないですか? みんなで農耕してるわけだから、生産物を管理し、分配していく必要があります。全体を仕切るリーダーが必要でしょ。


ミサ〉 長々とありがとう。


我聞〉 どこかで聞いた話の受け売りですけど、全部。


ミサ〉 たしかに、どこかで聞いたことあるような教科書的ご高説だったな。我の認識とは違うところがある。とはいえまぁ、国家の定義云々で足踏みしてるより、具体的な歴史を一つ一つみていったほうがかえって近道になるだろうよ。我はそう思う。 

 さて、そうだな、まずは卵が先か鶏が先か、ではないが、農耕が先か定住が先か、そのあたり、どっちだと思うか?


我聞〉 定住してから農耕するんでしょ。


ミサ〉 じゃ、定住が先だな?


我聞〉 あ、いや、農耕するために定住するんだから・・・・・・


ミサ〉 農耕が先か?


我聞〉 えっと・・・・・・ん~、同時じゃないですか? それこそ卵が先か鶏が先か、みたいな話になってきますね・・・・・・


ミサ〉 じつはな、考古学的にはすでに回答がでてるんだ。ズバリ定住が先だ。しかも、かなり先のことなんだ。定住するようになり、さらに作物や家畜がみられるようになってから、少なく見積もって四千年は遅れて農村らしきものが登場するらしい。


我聞〉 え、そんなに開きがあるんですか? となると、さしあたり農耕とは関係なしに定住がはじまったってことですね? じゃなんで定住する必要があったんです?


ミサ〉 簡単な話さ。いっそ定住したほうが生存に有利なエリアがあったんだよ。ここはぜひジェームズ・C・スコット『反穀物の人類史 国家誕生のディープヒストリー』(立木勝訳、みすず書房、2019)を読んでほしいところだが、どうせ耳学問などとぬかすだろうから語ってしまうが、メソポタミア文明って知ってるだろ?


我聞〉 えぇ、世界四大文明の一つですね。今でいうイラク方面の、ティグリス川、ユーフラテス川に挟まれた、いわゆる「肥沃な三日月地帯」で栄えました。


ミサ〉 四大文明というのは偏見で、アメリカ大陸の文明も加えろ、と主張する研究者もいるが、それはまぁさておく。そんな三日月地帯にご先祖様が定住した理由は、そこが農耕に適した場所だったからではなく、ただ単に、魚、鳥、小動物や採食可能な植物などが豊富にある湿地帯だったからにすぎない。つまり食うに困らない生態学的環境が整っていたわけだ。


我聞〉 わざわざ移動する必要がなかった? 必要がなかったから定住した、と? あ、ココ「おいしいポジションやんけ」ってところがみつかったから留まった?


ミサ〉 そういうことだろう。「おいしいポジション」では、いちいち獲物を追いかけ回らなくても待ちの姿勢でよかっただろう。魚がいたら、鳥もくる。植生も豊かで、多様な食糧ゲットのチャンネルがあり、生活しやすかっただろう。わざわざ農耕するために定住する必要なんてなかったのだよ。


我聞〉 でもそうなると、農耕社会がスタートしないじゃないですか。教科書で習ったメソポタミア文明にならないじゃないですか。


ミサ〉 そうなんだよ、実際なかなか農耕社会へシフトしていかない。もっと言うと、そもそも狩猟採集より農耕のほうが余計に手間暇がかかり、労力対効果がな、つまりはコスパが悪い。めんどくさいのだ。『サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福』(柴田裕之訳、河出書房新社、2016)のヒットで有名になった、あのユヴァル・ノア・ハラリも同じことを言ってるぞ。なんせ朝から日が暮れるまで作物のめんどうをみてないといけないんだからな。狩猟してるより労働時間は長くなるし。それに農耕一辺倒だと栄養が偏り、病弱にもなるんだ。人口が密集し、家畜と暮らせば感染症だって広がる。少なくとも最初の頃はな、農耕が人類に「おいしい生活」をもたらした、とは到底思えない。

 ちなみに聖書にでてくる楽園追放、アダムとイブの話もな、取って食って寝るだけの狩猟採集パラダイスから、汗水たらして働かにゃならん農耕地獄への転落を語ってるんじゃないの、っていう人もいるくらいだ。


我聞〉 となると、ますます謎が深まりますね。じゃなんで農耕が広がったんだろう。


ミサ〉 ユヴァル・ノア・ハラリがおもしろいことを言っている。ラクしようと思って逆にドロ沼にハマっちまうのは今も同じだろう、と。

 たとえば携帯電話が普及して便利になったのはたしかだが、逆に24時間体制でつかまってしまうことになった。常に待機させられているような気分だな。テクノロジーがラクにしてくれると思ったら、むしろ多忙になっちまった、みたいなオチさ。かといって今さらスマホのない時代には戻れないだろ。もしかすると農耕もな、その類のものだったかもしれない、と。ラクできるかと思ったら、余計にめんどくさくなった、でも今さら戻れない、みたいな。

 あと、なんつーか宗教的なものが引き金になったのでは? と考えている人もいる。


我聞〉 宗教的なもの、ですか・・・・・・


ミサ〉 たとえばトルコ南東部にギョベクリ・テペ遺跡というのがあってな、1万年以上も昔のものだとされており、規模も大きいんだが、そこに人が住んでいた形跡がない。

 つまり、ここは周辺の狩猟採集民たちがなんらかの理由でね、定住ではなく、一時的に集まっていた場所なんだ。なにかの儀式をしてたんだろう、と言われているが、よくわからない。

 また、少し離れたところに遺跡の材料である石を切り出した場所があるんだが、運搬要員として数百人は必要だったと推計されている。

 さらにな、遺跡から数十キロ離れたところに、なんとコムギの原産地があり、農耕の跡がみつかってるという。

 それらをつなげるとだ、なんらかの儀式をするため一時的に集まる場所として、ギョベクリ・テペ遺跡をつくったんだが、建設中は労働者に、建設後はその集まってくる人たちへ、食糧をふるまう必要があった、ので、その付近で農耕が求められたんじゃないか、という仮説がみえてくるんだ。

 コムギからビールが造られ、ふるまわれたんじゃないか、と考えてる論者もいる(1)


我聞〉 重労働の後、アルコールで一杯、あるいは宗教的な儀式とアルコールってのは、ん~たしかに、つながるような気がしますね。


ミサ〉 我もつながると思う。ただ、儀式といっても、それがどんなものだったかは今のところさっぱりわからんよ。あるいは交易の結節点とか、どちらかというと宗教目的ではなかったのかもしれないし。

 とはいえ、とりあえずそこはハレの場、非日常的な空間だったろうな、とは思う。そうであれば、だ。我思う、特別な場所、特別な日には、特別な料理がつきものだろう? 農耕が手間暇かかるものならさ、それは手間暇がかかるだけに特別なものだったかもしれないし、コムギからのビールだって特別なものだろうし、あと、とっておきの食肉を供するためにも家畜をストックしておく必要があったかもしれぬ。

 つまり、コムギの栽培化とか、動物の家畜化とか、それは特別な場所、特別な日のために特別なものをふるまおうという、そういった動機からもきてんじゃないの、という仮説が浮かんでくる(2)


我聞〉 なるほど、ありえなくはない話ですね。ただ、それも仮説の域をでないでしょ?


ミサ〉 もちろん。大昔のことはよくわからんのだ。


我聞〉 もし仮にね、儀式とか、そういう非日常的なところに農耕や家畜の起源があったとしたら、なんでめんどくさいことをわざわざするのか、って部分の説明にはなると思うんですよ。ただ、それをハレの日だけに止めずにね、ケにしてしまう、社会全体を覆う日常になってしまうには、やはりまだハードルが高いじゃないですか。労苦多し農耕社会の出現についての説明になるでしょうか?


ミサ〉 たしかにな・・・・・・




(註)


1 NHKスペシャル取材班『ヒューマン なぜヒトは人間になれたのか』角川書店、2014:第三章

2 同上。

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