陽凪魂抜き拒否事件 おまけ

俺はひうち型多用途支援艦の【ひうち】である。主な仕事は護衛艦を始めとする他艦艇のパシリ……もとい支援だ。そしてもう一つ、年に一度か二度、死に行く【艦霊】の最期の道中の伴も重要な仕事だ。そして、これから俺が話すことは長い長い歴史をもつ【道】の中でも前代未聞の大事件である。


 事件が起こったのは平成二十一年三月十八日。ヘリコプター搭載護衛艦【はるな】こと陽凪の魂抜きの儀式だった。陽凪の終の住処、舞鶴の【座敷童マイノ】の屋敷まで、陽凪を送り届け座敷に上がったまでは他の【艦霊】の魂抜きとなんら変わりなかった。【マイノ】は立ったまま、陽凪は正座で穏やかに他愛のない会話を楽しむ余裕まであった。しかし、魂抜きの三分前になって陽凪が呟いた。

「【マイノ】、俺はまだ逝けない」

その瞬間、【マイノ】の顔色が変わった。静かに鋭い目で陽凪を見据える。その目に怯むことなく陽凪は再び言葉を紡ぐ。

「【彰】を遺して逝けない」

「わかった」

【マイノ】が感情の見えない声で言った。すると部屋の中の空気が冷たいものに変わり、心なしか重力が増したような気がする。陽凪が素早く立ち上がり【マイノ】に背を向ける。魂抜きの拒絶なんて前代未聞だ。【マイノ】がすっと息を吸う音が部屋に響く。

「【陽凪、首を差し出しなさい】」

【マイノ】が発した言葉は力を持っていた。見えない力が作用して陽凪が膝を畳につける。そして、ゆっくりと【マイノ】に向き直り、手を背中で組んで頭を垂れた。例えるならば江戸時代の罪人のような体勢だ。陽凪の体は小刻みに震えていた。それはこの行為が陽凪の意に反していることを言葉よりも鮮明に主張している。

「陽凪……」

【マイノ】が悲しげな声で陽凪を呼ぶ。【マイノ】が腕を真っ直ぐ横に伸ばす。空間が歪みそこからは【座敷童】の体格に不釣り合いな太刀が表れ、【マイノ】の手に収まった。【マイノ】がゆっくりと太刀を抜く。表れた刀身の鈍い煌めきに俺の背筋が粟立つ。あの煌きが自分に向いたならばと想像するだけで額に冷たい汗が伝う。陽凪の首を落とすべく刀が振り上げられた、その時だった。

「【マイノ】……頼む、もう少し……もう少しだけでいいんだ」

陽凪が呻くような声で懇願する。その時【マイノ】の瞳が揺れるのを俺は見てしまった。

「それは、彰の為にもお前の為にもならないだろう」

「それでも、いい……もう少しだけ時間が欲しい」

陽凪が膝を震わせながら立ち上がる。【座敷童】は【道】の主たる力を持っている。その保護下にある俺たち【艦霊】は【座敷童】が力を用いて発した命令には逆らうことができない。できないはずだった。しかし陽凪は【座敷童】の拘束を不完全ながらも振り払い立ち上がったのだ。陽凪は真っ直ぐに【マイノ】を見据えている。【マイノ】は目を伏せており、俺の方からは表情を伺うことができない。

「陽凪……もうええ。そこまで言うなら好きにしたらええ」

そう言うと【マイノ】は太刀を鞘に納める。それと同時に感じていた空気の重みは消失し、陽凪の膝の震えも治まり、苦しげな様子なく立っている。

「【死にたくなるほど苦しくなったら……私の所に来なさい】」

【マイノ】はそう言い残すと奥の座敷へと消えていった。


 これが俺の見た【陽凪魂抜き拒否事件】の全容である。それからの陽凪が辿った命運は【道】中の全ての【艦霊】が知る通りである。正直に言えば、俺はこの時の体験がどんな訓練、任務よりも恐ろしかった。今後の【多用途支援艦】の精神衛生の為にも、このような事が二度と起こらないことを願うばかりである。

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