【三月二十七日 0930】

 自衛艦旗返納行事まで残り三十分となった。久哉は【道】から出るなり顔を真っ赤にして、自分の艇に引きこもってしまった。全く無理をするからだ。バース内や門の付近を特に意味もなく散策すると、気がついた。桜が咲いている。花の数は両の手で足りる程度だが、確かに咲いている。昨日まではまだ蕾のままであったのに。

「あー、太陽まで出てきたな」

「手向けの花だね、前ちゃん」

 いつのまにか後を付けてきた弓哉が、俺の独り言に返事をする。入港歓迎行事のために、もうすぐ出港するのにこんなところで油を売っていていいのだろうか。

「弓哉、もうすぐ出るんじゃないか?」

「うん、じゃあ、さようなら。【まえじま】」

「おう、さようなら」

 弓哉は少し寂しい顔をして別れを告げバースへと走っていく。一時間も経たないうちに同じバースでまた顔を合わせるのだが、その時には【まえじま】はもう居ない。弓哉にとっては、今別れた俺の姿が最後の【まえじま】の姿だ。

「もうちょっとだな」

 着々と準備が進められているであろう、バースの様子でも見に行くことにしよう。


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