過去を視る間諜メイドはいつも視られている

のげの

第1話 スラムの娘はかくして命拾いする

「いってえ……」

喉はまだ動く。あたしはそのことを確認するようにつぶやきながら、体を引きずるようにして逃げていた。今問題なのは左肩の傷ただ一つ。深い傷ではない、かすっただけ。ただかなりやべえ毒が塗られている。激痛は走るわ足元がおぼつかないわ、不調のオンパレードだ。

出血自体はほぼないのにこれなのだから、まともに攻撃もらっていたらどうなっていたか分かったものではない。

「冗談じゃねえ……いつもの寝床で寝てたら誰かが取引始めたと思ったらあたし見るなり切りかかってくるとかわけわかんねえよ」

思わず愚痴る。そうなのだ、あたしはいつもの寝床で寝てただけなのだ。なんか来たぞと思って体を起こしたらもう襲撃されかけた。一発目はよけたものの全力で逃げに走った所に投げナイフ(だと思う)がかすった。ふざけんな、ここ数年来あたしの『特異能力』で安全を確認し続けて、問題なしと判断して今日も寝てたってだけなのに。

「もうスラムにはいられねえな……いやそれより毒のほうが回り早くてやべえか」

別にいたくていた場所でもないが、他に行く当てのない身としては困る。スラムに滞在すればあのやべー奴らがまた襲ってくる可能性が高い、じゃあ自ら奴隷落ちか娼婦落ち当たりでもするか?と思ったが、それ以前にやっぱり毒の回りが早くてきつい。

「ならやっぱ死ぬ前提で動くしかないのかぁ……ああついてねえ」

愚痴りながら普段なら絶対に近寄らない場所──高級な商店街のほうに向かう。あたしの『特異能力』でめったに人が通ることがないような道、スラムの連中ですら把握していないような道を走り回って向かっている。穴空いた家を通り抜けてショートカットしたりとか、子供じゃないと通れないような裏道を駆使して(あたしは記憶とか確かなら10歳だが、生育不良ゆえかガキによく間違われる)。それもこれも、あたしは無駄死にがしたくないからだ。毒の回り次第ではあわよくば助かる目もあるかもしれないわけだし。むしろ死にたくないならこのルートしかないともいえる。

神殿直行ルートをとるのも一つの手だったろうが、何せあたしはスラム生まれのスラム育ち、先立つものがない。となると神殿に駆け込んでもほっとかれて終わる可能性が高い。それなら金持ちの気まぐれでも祈るほうがまだ目がある。


なんてことをふらつく足で考えながら数十分は走ったろうか。いや多分、数分程度しか走ってない。だって私の寝床はもともと使われることがないぼろぼろの倉庫だったわけだが、そんな場所でも倉庫は倉庫。元はおそらく商人の店でもあったのだろうという場所だ。となれば、商店街の近くでもおかしくはないわけで。

だいたい最初でかなり距離をとったとはいえ、ふらついてるガキの始末に数十分もかかるアサシン──毒使ってきた以上間違いなくそのたぐいだ──とか聞いたこともない。実際何か後ろで騒いでるやつがいるような気はする、するだけで確認する余裕はない。

だがいよいよだめそうだ。視界もかすんできた。走る足が止まりそう。でもそれだけは止めてやらない。

「……勝った、かな」

なんとか目的地にはたどり着けたらしい。耳が何とか馬車の音をとらえている。


そうして、あたしはお嬢様に出会った。

お嬢様は何かを叫びながら飛び込んできて、解毒魔法をかけてくれ──あ、これ助かるのか?と思った瞬間に疲労の限界で意識を失った。



第三王子殿下の5歳の誕生日。その帰り道。

アンゼリーゼ=ファルツベルク侯爵令嬢は不満げだった。

自分は確かにすでに10歳で、貴族の務めとやらをうっすらとは理解し始めてはいる。

だが5歳の子供の機嫌取りをさせられるのはなかなかにストレスだった。

だからせめていつもと違う道を通りたいと駄々をこね、両親もそのぐらいは仕方ないとあえて普段は通らない遠回りの道を選んだ。夜でもそれなりに見目麗しい商人たちが取引を行い、活発で退屈はしなさそうな道を。

その珍しい道はアンゼリーゼの機嫌を多少は直し、外に注意を向けていた。

だからこそ一番に気づいた。こんなところにいるはずのない浮浪児が、青い─というよりもはや紫色に近いような顔で、自分たちの馬車の進路に立ち入ろうとしていることを。

「馬車を止めて!!」

アンゼリーゼのその時の行動は早かった。叫びながら即座に馬車から飛び降り、その浮浪者と思しき少女に駆け寄った。止める間もなく仰天したのは周りの大人たちである。観覧用にゆっくり進んでいたから安全だったとはいえ、侯爵令嬢が窓から飛び出すなど想定もしていない。護衛たちの意識は普段と違うルートを進むことにより、外に向けられていた。ましてやアンゼリーゼは10歳である。王子の接待役を無事こなせる程度には常識を踏まえた彼女が、そんな非常識な行動に出るとは一部を除いてだれも思ってはいなかった。

だが、おかげで彼らはネリアに気づくことなく跳ね飛ばす事態を避けられた。馬車は急停止させられ、アンゼリーゼの両親を含む周りが事態を把握にかかる。

そこには、最近覚えたての申請魔術、キュア・ポイズンを浮浪者ネリアに使うアンゼリーゼの姿があった。

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