第9話 神域への侵入

 銃床を右肩に当て左手は銃身の先端部分を握る、そのまま右手の人差し指で引き金トリガーをゆっくりと絞り込む。

 樹上にて息を殺して潜む男の許から、葉擦れの音よりもやや大きな音が発せられた。


 『ピシュッ………ゥン』


 風切り音と共に打ち出されたは、直径約8mmで長さは約40cmのクォレル矢…所謂100ポンド級(約45kg)のクロスボウから発射されたであった。

 無風状況下で有効射程が100m程度ではあるが、彼は依頼を確実にこなすため……毎度の如く80m先の位置に標的ターゲットが通過するよう調整してあった。

 風切り音が発生した直後、0.7秒弱で標的の頭部にクォレル矢は突き立った。

 そして彼は標的が地に倒れ伏すのを確認することもなく、引き金を絞り切るや否や狙撃位置の樹上から地上に降り立ち……夕闇の迫る森の中へとその身を翻らせ、物音一つ立てることなく逢魔が時の間隙へと消え去ったのである。


「おい、ピアッシィ穴あき……お前さんはまた弩で頭を狙い撃ったそうじゃねぇか」


 退廃都市ラングメイルの中でも、己が真っ当な人間だと信じているような者は絶対に近寄ることなどない…最底辺の貧民窟スラム街の中央に居を構える暗殺組合ギルド隠れ蓑アンダーカヴァーたる『子羊の微睡み亭』。

 店内は八人がやっとこさ座れるカウンターに四人掛けのテーブルが二組だけ、そんな小さな店には一見して脛に傷を持つ風情が芬々と漂う革鎧姿の軽戦士と、暗褐色に染められ…袖口と裾を絞り込んだ意匠デザインの柔らかい布製の服を着込み、背中には漆黒の革製のケースを背負った小柄で特徴の薄い『ピアッシィ』と呼ばれた男がカウンターに並んで酒を酌み交わしていた。


「フン……人の成功報酬で奢ってもらってる身分の癖に、俺の仕事の遣り口を『卑怯』だの『汚ねぇ』とか云ってるんじゃねぇぞ。

 テメエのバラしも褒められたモンじゃないだろうに、ダイドタイ死のネクタイさんよ」


 煮染めたように飴色となった剣帯にぶら下がっている、曲刃の短剣ジャンビーヤをポンッと叩いた『ダイドタイ』と呼ばれた男は、ピアッシィに向けて片頬を歪ませるようにニヤリと笑う。


「ハッ!

 誰もそんなことを言っちゃいねぇよ。

 ただ……ラングメイル界隈で暗殺と云えば『頭を穿つ者』の独壇場になってるじゃねぇか。

 依頼を引き受けるのは良いが、お前さんの伝説的な精密射撃に恐れをなして……腹に一物のある人間は城壁の中に閉じ籠って久しいと云うだろうがよ」


 つまらなさそうな表情でピアッシィは、青みを帯びた透明な切子クリスタルグラスの中に残った琥珀色の液体シングルモルトウィスキーを飲み干し、上衣ジャケットを脱いだ白髪頭のバルマンに飲み物のお代わりを要求しながら告げる。


「そんなモン、何処に閉じ籠ろうが関係ねぇよ。

 俺のクォレルから逃れたけりゃ……隙間が8mm以下の石壁の中から出て来ずに生きれば良いだけだ。

 俺は焦れた獲物が巣穴から出て来るまで、何日でもじっと待つだけさ。

 その間に糞や小便を垂れ流そうが、何日も飯を抜こうが、何日も同じ姿勢で躰が固まりそうになろうが……何も気にならねぇ。

 巣穴から這い出た間抜けな標的の頭のど真ん中に、クォレルが突き刺さる瞬間の時が停止するような感覚に、しちまいそうになるのが堪らねぇんだよ。

 お前さんだって、似たようなモンだろう?」


 問われたダイドタイもニタリと笑うと、己が持論を述べ始める。


「確かにそうだな……俺は雑踏ですれ違い様に獲物の首をジャンビーヤで切り裂き、血が噴き出る前に傷口から舌を引き摺り出すんだが、あの首の傷口がパックリと開いた瞬間の絵面は……例えようのない堪らなさがあるよなぁ」


 深く頷きながらダイドタイの台詞を聞いていたピアッシィは、ふと思いついたことを口にする。


「あれは……殺しを生業にする俺達に共通するのは、獲物の時間を支配して……成功裡に終わると獲物の時間を静止させられる所だな。

 それは生死を司るにも似た感覚で、躰が堪らない方向へ突き進んじまうんだろうか?」


 ぼんやりと呟くピアッシィの肩をどやしつけたダイドタイは、呵々大笑の態で酒精アルコールを呷る。


「ヘッヘッヘッ!

 お前さん……飲み過ぎで酔っ払っちまったんじゃねぇか?

 頭の螺子ネジが緩んだ、アル中の神父みてぇな話をしてんじゃねぇぞ。

 下らねえことくっちゃべってねぇで、次の売春宿みせに早く行こうじゃねぇか!!」


 ガタンと椅子を蹴り倒しそうな勢いで立ち上がり、下卑た笑いを浮かべて『子羊の微睡み亭』を出て行く二人組。


 ピアッシィの言葉に含まれたの真相に迫る、認知心理学における重大な発見が馬鹿笑いで見落とされたことは……発言の主であるピアッシィにも、発言を笑い飛ばしたダイドタイにも、そして何も聞いていなかったような顔でカウンターテーブルを拭いているバルマンにも、永劫に気付かれることはなかったのである。


【Sanctuary of Psychopath:完】


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 快楽殺人とは……殺人と云う行為自体が殺人者にとっての快楽で、殺人により快楽を得る目的で行う殺人のことである。

 傾向としては殺人だけでなく、遺体の損壊も含めて快楽を得るために……殺人と遺体損壊を同時に行う場合もある。


 精神病質またはサイコパシーとは、精神障害の一種であり、社会に適応することが難しい恒常的なパーソナリティ障害と判定される人物を指す言葉である。

 その類似病質として社会病質またはソシオパシーがある。


 分類としては反社会的人格は「サイコパス的人格」「ソシオパス的人格」に大別され、「サイコパス的人格は元来の性格、気質などの先天的なもの」であり「ソシオパス的人格は、親の育て方などによる後天的なもの」として位置付けられている。

 しかし一般にはサイコパスもソシオパスもほぼ同義なものとして扱われることが多い。



2021.5.5

   澤田 啓 拝


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