性悪

 刻紋の下絵を描き込んでいた紙を放り捨て、立ち上がってアルメディアを逆に見下ろす。

 そして全身に身体強化をかけ、即座に戦闘体勢に入った。


「おやおやディルグ、キミ、もしかしていきなりやる気なの?」


「……貴様、自分が何をしたのかわかっているんだろうな。わかっていなければ、今すぐにでもその身をもって理解させてやろう。覚悟するがいい」


「血の気が多いなぁ。まぁ、確かにボクは罪を犯したかもしれない。『新世代』なんていうのはいわば、子供を兵器にしようという試みだ。頭の固いキミには受け入れがたいものかもしれないね?」


 アルメディアの話は聞かず、首根っこを押さえにかかる。

 転移魔法は厄介だ。

 アルメディアのソレは制限が多く詠唱も必須だが、結界で俺の攻撃を防いでいる間に逃げられる可能性が存在する。

 即座に喉を締め上げるか、口に手を突っ込んで転移魔法の詠唱をさせないという対応こそが最善手だ。


 ――しかし、伸ばした手は不可視の硬質な壁によって弾かれた。


「防御障壁か。それに、いつの間にか気配や音を消す類の結界も張られている。……貴様、転移する前から、発動準備状態でやってきたのか? 随分な警戒心だな、アルメディア」


「キミが短気なのはよく知ってるからね……まぁ、ちゃんと聞きなよ。ボクにも正当性はあったんだ。『新世代』を作らなければ、彼女たちが大人になるのも待たずに人族に負けて根こそぎ虐殺される可能性があった。そもそもボクは君が勇者に負けて、もう誰も魔族を守り切れないと思ったから、開発したてほやほやのこの切り札を切ることにしたんだよ。ボクが本当に悪いコトをしたと、当事者であるキミに裁くことが本当に……」


 アルメディアがなにやら言っているが、俺の怒りは止まらない。

 それがまず口から出てくるということはアルメディアはそこに罪の意識があったのだろうが、そんなことを言われても既にどうしようもない話だ。

 問題なのは……今日ニニルが言っていた、あの言葉なのである。


「そんなことは聞いていない。貴様『魔王ディルグの頭の中身は角に栄養を取られてスカスカになっている』と、そう侮辱したらしいな!!」


「えっ、そっち!?」


「そっち? ではない!! この魔王への侮辱、決して許されるとは思わんことだ!!」


「待って待ってディルグ。キミね、ボクが何をしにここに来たかとか、どういう思惑で新世代を作ったかとか、そういうことに興味はないのかい? 今の魔領を裏で操っていると言っても過言ではない程の重要人物なんだよ、ボク」


 今日来た理由は知らんが、新世代を作ったのは、魔族という種全体が生き延びるために必要だったというだけだろう。

 そもそも、俺は新世代に関してあまり悪い感情を持ってはいない。

 俺自身『化け物』と呼ばれる程の力を幼少期から持ち、だからこそ牛鬼族の中で俺だけが戦争を生き残れたと信じているからだ。


 ……だが、それと魔王に対する不敬はまた別の話。

 ガキを殴ることは身体に染み付いた戦士の矜持が邪魔してできないが、既に大人であるこいつには鉄拳制裁を行うことが可能である。


「殴り飛ばすわけにもいかんクソガキの相手で少々ストレスが溜まっていてな。貴様なら、弱いもの虐めにならん程度には対等な魔族と言える。思う存分、魔族の序列というものを叩き込んでやろう。泣いて鼻水でも垂らしながら、無様に許しを請うがいい!」


「た、ただの八つ当たりじゃないかっ!? それにボクだってか弱い女の子だよっ! いやまぁキミの生まれの牛鬼族は男女共に狂戦士だったのかもしれないけどね、ボクはただの純魔族! ほらこの細腕を見てよ、戦えるわけがないだろう。まったくこの馬鹿! 喋るマッチョオーク! だーから頭がスッカスカなんて言いたくなるのさ!」


 ――ズドン。

 放った拳が、防御障壁に深くめり込んで止まった。


「む……五年前より硬いな。もう一発いるか」


「ディルグ、キミもしかして本気でキレてる? え? ホントに? 何年か前に馬鹿でアホで頭がスッカスカって言っただけで? わ、やっば……障壁もう割れちゃうじゃん」


 俺が二発目を振りかぶるのを見て、アルメディアは防御障壁を維持したまま、気配を消す結界の方を解除した。

 ……何をするつもりかは知らないが、このまま障壁を叩き割ってくれる。

 そこまで考えたところで、アルメディアが何かの詠唱を……いや、ただ単純に叫んだ。


「キャーッ♡ ダメだよディルグぅ♡ こんなところでいきなりっ♡ いくらボクが美しいからって、そんなに情熱的に求められても困っちゃうって♡」


「な、なんだ貴様! 頭がおかしくなったのか!」


 振るおうとした拳が反射的に止まる。

 そして、タタタタタッと何かが駆けてくる足音が聞こえた。


「ディ、ディルグ様っ!?」


 おそらくは、風呂に入っている最中だったのだろう。

 身体も拭かず、服も着ていない裸のニニルが部屋の入口に現れる。

 その視線は、俺を確認した後、アルメディアを見て止まった。


「ア、アルメディアさん……!」


「やぁニニル、いいところに来てくれたね! いやぁ、ディルグに情熱的な口づけを求められて困っていたんだ!」


「ディ、ディルグ様から情熱的にっ……く、口づけをっ……!?」


「そいつの嘘だ。それよりニニル、とっとと服を着てこい」


 ニニルはピクリともその場を動かない。


 ……どうやら今の叫びは、ニニルに介入させるためのものだったらしい。

 この再生の秘跡にいる時点で、転移魔法を使えるニニルも近くにいるということがわかっていたのだろう。

 ニニルはまるで俺とアルメディアの言葉の真偽を確かめるように、大事な部分だけを腕で隠しながら会話を始める。


「アルメディアさんは、どうやってこの場所のことを知ったんですか……? わたし、秘密にしてたのに」


「今日ディルグと密会したときに聞いたのさ。フフ……ディルグはキミにそのことを、『内緒』にしてたのかな?」


「な、『内緒』にっ!?」


「信じるな。それも嘘だ」


 ニニルがショックを受けたような顔で固まっている。

 もちろん、俺はアルメディアと密会などしていない。

 ふざけた狂言だが、これはアルメディアが得意な話術でもある。

 同時に色々なことを考えさせて、ニニルが『本当に重大なこと』に気づかないよう誘導しているのだ。


「しかし、まさかキミが『ボクに秘密で』ディルグを匿っていたとは驚きだ。ボク、『全く想像もしなかった』よ」


 あまりにも白々しいアルメディアの声。

 しかしニニルはアルメディアの言葉を、全く疑うことなく素直に受け止める。


「……ご、ごめんなさい。わたし魔王軍の人たちに、嘘をついていました」


「いいんだいいんだニニル。気に病んではいけないよ。もし知っていたら、ボクだってきっと同じことをしていただろうからね。魔王軍幹部としての責任の一端を、キミが果たしてくれたようなものさ!」


 アルメディアは極めて優しい声で慰める。

 そもそも落ち込ませたのがこいつなのだが。

 しかも、いつの間にかアルメディアはニニルの傍に移動していた。

 まるで俺との間にニニルを挟むような立ち位置だ。

 ……こいつ、俺が戦闘を再開しようとした場合、ニニルを盾にするつもりだな。


「アルメディア、貴様、適当なことばかり言いおって……!」


 本当は自分こそが主犯格であるくせに、現在進行形で嘘を重ねている。

 その姿は、無知な子供をたらしこみ、嘘と賞賛で意のままに操ろうとする魔女そのものだ。


 ――まさに邪悪。


 誇り高い牛鬼族の街で戦士として育った俺にとって、この軽薄さは相容れない。

 ……尻を千回ぐらいひっぱたいたら、この腐った性根も直らないだろうか。

 その口を封じてやろうと一歩踏み出すと、アルメディアは視線だけは俺に向けながら、ニニルに言った。


「いやぁ、知らなかったとはいえ、ニニルに苦労をかけてしまったことは申し訳ないと思っているよ。……でも、やったのがキミである意味よかった。実行犯がもしボクならば、ディルグは庇おうとすらしない可能性があるからね。なんだかんだで公開処刑にはギリギリならなかったとしても、公開全裸土下座ぐらいはさせてくるかも。――というのは冗談だけど、まぁ、もしもボクが実行犯だったら、魔領が許してくれないだろうからね」


 ニニルに吹き込んだくだらない嘘を全て訂正してやろうかと思ったが――やめた。

 今、アルメディアが言ったことは事実だからだ。

 アルメディアがもしニニルと同じ立場にいれば、魔王軍を再建した時、間違いなく俺はその処分を求められる。


 俺がニニルを『処分の保留』という形で庇うことができるのは、ただの従者だったニニルには明確な敵がいないからだ。

 だが、アルメディアは『新世代』を作ったことにより、かつて力を誇っていた旧世代たちを始めとして四方八方に敵を作り、多くの憎しみを身に受けているはずである。

 高慢な性格も相まって、潜在的に抱える敵の多さは魔領の中でもかなり上位にくるだろう。

 これをきっかけにその不満が吹き上がれば、魔領が再び割れる火種にすらなりかねない。


 『俺の死を隠蔽し、魔王軍を崩壊させた主犯は、魔女アルメディアである』。

 この真実が外に漏れたなら、アルメディアの公開処刑というのは、政治的に決してあり得ない話ではないのだ。


「でも心配しないで、大丈夫だから! 勇者に負けるようなクソザコ魔王だけど、キミのことはディルグが必ず守ってくれるさ! ボクにできることは無いだろうけど、もし辛い時はディルグに添い寝でもお願いしたらいい。きっと快く引き受けてくれるよ。ねぇ、ディルグ?」


「そ、添い寝をっ……!?」


「アハハ、それとも同じベッドの中なら、肌を重ねながら愛でも囁いてもらった方が嬉しいかい?」


「っ……!!!!!!」


「これは流石に冗談だったんだけど。……思ったよりマセてるねキミ」


 アルメディアの言葉を俺向けに翻訳すれば、『勇者に負けたのはお前なんだから、その後のことについて自分の責任はない。ニニルのケアも含めて尻ぬぐいはお前がやれ』だ。

 その主張を正面からへし折るのは難しい。

 俺自身、きっかけを作った負い目がある。


 それに、アルメディアは魔領における筆頭刻紋魔術師といえる。

 アルメディアを失うことは、魔領の刻紋魔術のレベルを下げることに他ならない。

 刻紋魔術は際立った例で言えば『新世代』のような魔族の直接強化、一般的には武器への特殊能力付与、他にもゴーレムや設置型の大型魔砲のような兵器に使われている。

 そしてその技術と生産の大部分を支えているのがこの魔女なのだ。


 ……こいつは優秀すぎる。

 処刑という選択は、人族という脅威を抱えている状態では絶対にできることではない。


 結局、アルメディアが主犯だったということは秘密にするしかなく、知らずに利用され罪を背負い込んでしまったニニルは、アルメディアのいう通り俺があらゆる意味で守ってやる他ないだろう。

 仕方のない流れではあるが、アルメディアの掌で踊らされているようで腹が立つ。


「とまぁ、話が逸れたけど、ボクがここに来たのはそういう経緯なんだ。納得したかな、ニニル」


「はい。ディルグ様に聞いて来られたんですね」


「ディルグも『ボクとの密会』のこと、思い出してくれたかな? ついでに、何年も前のどうでもいい不敬のことも許してくれるよね?」


「……いつか貴様の性根は必ず叩き直す。首を洗って待っておけ」


「うん、思い出せたみたいだね! 丸く収まってよかったよ!」


 アルメディアはまさにご満悦といった表情でニッコリ笑った。


 本当に腹が立つ奴だ。

 ……俺が刻紋への研究を深め、こいつの刻紋技術を完膚なきまでに上回った時、必ずこの舐め腐った態度は改めさせる。

 その時は、本当に土下座でもさせてやろうか……そんなことを考えていると、ニニルが全裸のまま聞いてくる。


「それでディルグ様、あの、さっき言ってたアルメディアさんに情熱的にキ、キスを迫ったっていうのは……」


「……いいからとっとと服を着てこい」

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