狼の少女
「グレゴールは"元"魔王軍だからね、ディルグちゃん」
会話にフェルナが口を挟んでくる。
どうやら、いつの間にか癇癪モードは終わったらしい。
未だに不貞腐れた雰囲気ではあるものの、先ほどのような強い怒りは感じない。
「フェルナ様も、ご無事で何よりです。陥落した監視塔の奪還にフェルナ様が出撃したと聞き、直下の部隊を率いて急ぎやってまいりましたが……どうやら僅かに遅かったようですね。魔王様が同行していらっしゃったようで幸いでした」
「……次戦ったら、あんな地竜もどき簡単に勝てちゃうもん」
「フェルナ様はエーテルを使いこなす新世代。それだけのお力を備えていること、このグレゴールきちんと理解しておりますとも」
「チッ……甘やかしおって」
魔獣に負ければ次などない。
歴戦の兵士であればその程度理解しているはずなのだが……どうにも反応が甘すぎる。
まるで孫を見る爺さんのような顔だ。
シャルミアのように、フェルナに屈服させられたという雰囲気ではないが……。
「まぁいい。グレゴールよ、この魔王ディルグが魔領に戻ったからには……わかっているな」
「あっディルグちゃん! グレゴールはわ・た・し・の配下! 引き抜きなんて駄目だから!」
「誰の配下として生きるか、決めるのはグレゴール本人だ」
今、俺の配下である新制魔王軍はニニルのみ。
軍とすら名乗れないような貧弱さである。
戦士として十分な強さを兼ね備えるグレゴール、そしてグレゴールが代理団長を務める翼人兵団という強力な配下は、喉から手が出る程欲しい人材だ。
「申し訳ありません魔王様。……私は、フェルナ様を裏切るわけには参りません」
「……シャルミアに続いて、貴様もか」
グレゴールは苦渋の表情をする。
正直、引き抜ける可能性は十分あると思っていた。
最前線であるキュールグラード守備してきた翼人兵団は、かつて俺と何度も戦場を共にしているからだ。
「いくらエーテルを使いこなす新世代とはいえ、突然力を得ただけのガキにそこまで忠義を尽くすとはな」
シャルミアのように敗北して屈服したというのならばわからないでもない。
だが、グレゴールはどうにもフェルナに怯えているような様子とは違う。
そもそもフェルナの『救援』に来たという次点で、シャルミアやキュールグラードにいた新兵たちとは違い、フェルナの実力を心から信じているわけではないことは明白だ。
「突然力を得ただけのガキじゃ、ないもん」
俺の言葉を聞いて、フェルナが呟く。
そこには、どこか拗ねたような響きが感じられた。
「……元魔王軍の者として、私は魔王様のことを尊敬しております。戦場では幾度も命を救われ、感謝もしております。ですが、私は魔王軍の兵士以前に一人の翼人族。前族長の忘れ形見であるフェルナ様にだけは、不義理を働くわけには参りません」
「前族長の忘れ形見、だと?」
一人の男の顔が脳裏に浮かぶ。
グレゴールが団長『代理』になる以前、かつて翼人兵団を率いていた魔族。
翼人族族長ファルコ――上位竜種である炎飛竜とも空中戦で互角に渡り合う魔領有数の実力者……だった男だ。
奴は七、八年ほど前、人族の使徒に討たれ死んでいる。
……しかし、子供を残しているとは聞いたことがない。
「ご存じありませんでしたか。フェルナ様は、元魔王軍幹部であり前族長であるファルコ様と、サキュバスの間に産まれた……その……なんといいますか」
「隠し子なの。ディルグちゃん、やっぱり知らなかったんだ」
完全に初耳である。
というより、いくら力こそが貴ばれる傾向のある魔領とはいえ、族長ともあろう者がサキュバスと子を為していたという事実に驚いている。
魔領の統治……特に種族に偏りのある地方都市においては、族長の血と、誰もが認める強い力、この二つをもってして種族を盤石に統制するというのが支配者のスタンダードだ。
――しかし、サキュバスからは例外なくサキュバスが産まれる。
族長がただ一人残した子が翼人族ではなくサキュバスなどということになれば、その後継が揉めることは目に見えているのだ。
……だから隠し子なのか。
「翼人兵団に所属していた大半の氏族は既に大渓谷へ帰りましたが、我ら黒鴉の氏族だけは、キュールグラードの防衛の任に当たっていたファルコ様の意志を継ぎこの地を守るため、そして遺児であるフェルナ様をお守りするためにこの地に残っているのです」
グレゴールはそう言いながらも、どこか悔しさのようなものを表情に滲ませる。
黒鴉の氏族は、前族長ファルコの血縁一族。
そして黒鴉の氏族だけしか残っていないということは、それ以外の氏族はフェルナのことを族長とは認めず、フェルナを置いて大渓谷へ帰ってしまったということなのだろう。
既に後継で揉めた後らしい。
「……翼人族で残っているのは黒鴉氏族だけか。キュールグラードの防衛が穴だらけになるわけだ」
つまり翼人兵団は、この地に既に十分の一も残っていないということだ。
そして現翼人族の族長は、翼人族の居城である『大渓谷』で、サキュバスであるフェルナと関わりなく勝手に決まっているのだろう。
それ自体はフェルナが大渓谷に乗り込んで自分こそが族長だと主張でもしない限りは、問題にならない。
……代わりにこのキュールグラードを支配する魔王だなどと主張しているのが大問題だが。
まぁ、要塞都市であるキュールグラードは魔王軍の管理下……つまり俺の直轄領のようなものであったため、明確な支配者は空席だったはずである。
防衛をかつて翼人族族長ファルコに任せていたのだから、その娘であるフェルナが継ぐのはある意味正統と言えば正統に聞こえるのがなかなかに厄介だ。
「ですが、シャルミアではなく魔王様がこの地の防衛指揮をお取りになれば、すぐさま防衛体制も整いましょう」
「……それは、フェルナの下につき一防衛指揮官として腕を振るえということか?」
「ま、魔王様には不本意なことかもしれませんが……シャルミアのやり方を、我らは認めたくないのです」
平静を装いつつも、内から抑えきれないという怒気を漏らすグレゴール。
どうやら、積もり積もった何かがありそうだ。
「魔王様、どうか我らのためその辣腕をお振るいください。シャルミアは我らのような元魔王軍の武官を、内地の防衛に押し込めているのです。その代わりのように新兵を外地の要所に配し、有事はフェルナ様に頼り切るような始末で……」
「貴様ら翼人兵団が、内地だと?」
内地は、キュールグラードより魔領側、つまり比較的危険の少ない場所である。
「奴は人族より、同じ魔族である『新世代』を恐れているのです。フェルナ様を恐れ、魔領の『新世代』たちを恐れ、だからこそ古参武官である我らを内地に釘付けにし、その防波堤にすると共に『新世代』であるフェルナ様から遠ざけている……。奴は軟弱です!」
グレゴールの言葉を鵜呑みにするなら、シャルミアは扱いにくい古参の武官を遠ざけ、その代わりの扱いやすいガキであるフェルナを利用しているように聞こえる。
救援の遅れを考えれば、少なくともグレゴールが距離的に遠ざけられているというのは間違いないのだろう。
「……不満がありそうだが、今シャルミアに反旗を翻すことだけはやめておけ。魔領が割れただけでなく、キュールグラードまで割れれば手がつけられん」
「わかっております。シャルミアを排したところで、翼人族はともかく他の種族の者たちが納得しないでしょうから。私はこの地に残った黒鴉氏族を取りまとめてはおりますが、あくまで一般兵士……シャルミアとも、亡きファルコ様とも格が違うことは、理解しております」
キュールグラードは、魔領にある旧来の都市とは違い、多くの種族が混在している新興の要塞都市だ。
そんな場所で種族を取りまとめ、指揮をとれるのは魔王軍幹部格以上の実力者以外にありえない。
なんだかんだ言って、シャルミアは魔王軍副官――戦闘専門ではないにせよ、魔領においては強者の中の強者である。
「グレゴールはシャルミアちゃん嫌ってるけど、私は合理的で良いと思うよ。今回はディルグちゃんがついてきてたから、逆に危なかっただけだもん。新世代の私がいるんだから、一番警戒しないといけないのはそれこそ魔領の同じ新世代じゃないの? グレゴールはディルグちゃんよりも全然弱いくせに、私のこと心配しすぎなの!」
「フェルナ様……」
グレゴールは悩みの深そうなため息をつくと、困ったように空を見上げた。
……黒鴉氏族はフェルナのことを守るためにあれこれ手を尽くしたいようだが、フェルナの方は別に守ってほしくないらしい。
逆にシャルミアの利用しているだけともとれる不干渉こそが、『新世代という強者』であるフェルナにとっては好ましいのだろう。
まさに親の心子知らずといった雰囲気である。
親子ではないが。
そんなことを考えていると、ふと何かを思い出したかのように、グレゴールが俺を見る。
しかも俺の顔ではなく、怪訝な顔でなぜか胸元をじっと見ている。
「なんだ、なにかついてるか?」
「話は変わるのですが……一つ、お尋ねしてもよろしいでしょうか」
「言ってみろ」
「……その、魔王様はどのようにして勇者との戦いを生き残られたのですか?」
ふと、笑みが漏れる。
聞きたいか、この魔王ディルグの武勇伝が。
強者こそ黙し語らないものだが、聞かれてしまっては仕方がない。
畏怖されるべき魔王として、いかに語るかを考えていると。
「あれはどう見ても致命傷……いや、魔王様が生きていらっしゃる以上、あの軍に提出された死の証拠自体が虚偽だったということなのでしょうか?」
高揚していた気分が一瞬で冷やされた。
「死の証拠、だと……? なんだ、それは」
「あっ……」
フェルナが『やばっ』といった感じの顔をする。
そして、何かを探るように俺を見た。
いや、正確には俺ではない……俺の背後にいる『誰か』を見ているようだ。
「魔王様が着ていらっしゃった黒鉄の鎧……アレを、地竜のフンから発見したと報告してきた者がいたのですよ。到底信じられはしませんでしたが……魔王様がいつまでたっても発見できなかったこと、勇者との戦闘痕のあまりの惨状、そして提出された黒鉄の鎧の胸に空いた大きな風穴……。状況から見て、魔王様は勇者との戦いで亡くなられ、その死体は竜に食われたと最終的に結論づけられたのです」
「はぁ~~、だから絶対すぐバレるって言ったのに……」
グレゴールの説明の影で、フェルナの小さな呟きが聞こえた。
それは俺ではなく、グレゴールやその背後にいる兵たちでもなく、俺の背後にいる少女に向けての声のようだ。
「まさか」
もし俺の生存を黙っていただけであれば、それはただガキだから考えが至らなかった、ともとれる。
実際そうなのだろうと思っていた。
だが、俺が負った傷は大半が自身のエーテルによるものであり、胸に穴が開くような攻撃は受けていない。
間違いなく、死を『捏造』した痕跡がある。
そして、それは明確な魔王軍への背信行為。
その虚言によって魔王軍が解散になったと考えれば、極刑になっても文句は言えない程の大罪である。
……そういえば、グレゴールたちが来てからずっと無言だったな。
『感知』には、ギュッと俺の外套を握りしめながら、固まってしまっている一人の少女のシルエットが浮かんでいる。
「報告者の名前は何と言ったか……その、魔王様が小間使いにしていた、あの銀狼族の……」
「……ニニル」
「おぉそうです魔王様、その娘で間違いありません!」
背後を振り返る。
今の俺に従う唯一の配下であり、かつて拾った銀狼族の孤児。
ニニルは顔を伏せたまま、ただガタガタと震えていた。
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