失われた矜持

「……つまりこういうことか。俺が行方不明になった後、アルメディアが独断で魔王軍幹部の子供や縁者に教育を施し、新世代なる強力な魔族を生み出した。幹部たちはその力に頼り、最早自分たちの土地は自分たちだけで守れると魔王軍の意義を否定、最前線であるキュールグラードから兵を引き上げ故郷へと帰っていった。そして魔王軍を継ぐはずだった貴様は、それを見ていることしかできなかったと」


「……は、はい。魔領が割れてしまったのは、アルメディアの独断と……私の力不足が原因です」


 魔王軍副官といえど、シャルミアの戦闘能力は魔王軍幹部たちの中では並み程度。

 どちらかといえばその頭脳、広い視野、積み重ねてきた功績によって魔王軍の副官まで昇りつめた魔族である。

 そして戦闘能力で圧倒していないということは、相手が死なない程度に加減することができないということだ。

 魔王軍からの離脱を強行されれば、シャルミアには直属の配下を使って本気で殺し合う以外に止める手段はなかっただろう。

 シャルミアは本格的な内戦に発展することを恐れ、それをしなかった……ということのようだ。


「俺がいなくなろうとも、人族という共通の敵がある限りは、シャルミアの指揮下に落ち着くと思っていたのだがな……」


「皆、『新世代』という力を手中に得て慢心したのです。情勢としても、人族の大規模な侵攻はとても考えられない状況でした」


 人族の情勢は、俺が眠りにつく前と大差ないらしい。

 魔族討伐軍の旗頭だった国家『聖教国』の内部で派閥争いが起こり、それが人族を真っ二つに割る争いに発展するという、泥沼の様相を呈しているとのこと。

 人族、とくに『使徒』を排出していた『聖教国』はそちらの争いにかかりきりで、魔領に軍団を差し向ける余裕はないという。


「……そうか」


「多くの魔族がこの地を去った今、キュールグラードの兵だけでは魔獣の討伐すら滞る状況でして……」


 それで、先ほどのオークの話につながるのだろう。

 オークは竜種程ではないが、魔獣の中では手ごわい部類。

 単純な力の強さだけでなく、原始的な弓を使った弓兵、さらには稀にメイジ……魔法使いすら確認される。

 ある程度まとまった戦力でなければ、敗北する可能性は十分ある。

 それでも監視塔がオーク程度の魔獣に落とされるというのは、前代未聞の体たらくと言って過言ではないのだが。


 しかしオークのことはともかく、ここで早々にシャルミアと合流できたことは非常に大きい。


「まぁいい。周辺の魔獣を一通り討伐した後、魔領の再統一に動く。貴様が俺の傘下に入るのであれば、それも早まるだろう。再び我が片腕となってもらうぞ、シャルミア」


「魔領の、再統一ですか……?」


 シャルミアを配下に入れ、魔領の再統一を目指す。

 魔王であるこの俺が目覚めたのならば当然の流れであり、聡いシャルミアならば当然予想はついていたはずだ。

 だが、シャルミアは意外そうな顔をした。


「新世代がいる以上、それは不可能です。旧世代の魔族では、新世代の魔族には決して敵いません。おそらく……それが魔王様であっても」


 一瞬、何を言っているのかわからなかった。

 半秒置いて、脳がその言葉の意味を理解する。


「なっ……! ほ、本気で言っているのか?」


「冗談でこのようなことは申しません。魔領を割れたままにすることは不本意ですが、各地に圧倒的な力を振るう新世代が台頭している以上、エーテルを扱えない我らには統一のために打てる手がないのです、魔王様」


 元魔王軍の副官として、あまりにも情けない言葉だった。

 人族の内乱もいつかは終わる。

 その時に魔領が防衛体制を整えられているかどうかは、魔領の未来に直結する話だ。

 しかも、そのせいで戦力が足りず、オーク程度に防衛拠点を落とされてしまうような現状なのである。

 それを「ガキに勝てないから諦めます」などと、かつて魔王軍をその策謀で支えたシャルミアの言葉とは思えない。


 俺が動揺していると、背中に誰かがぶつかってくるような衝撃があった。


「ディールグちゃん♡ さっきぶりだね♡」


 視線を向けると、至近距離に笑みを浮かべたサキュバスの小娘……フェルナの顔があった。


「貴様は……! いつの間に入ってきた!」


「やーん♡」


 反射的に掴みかかるが、その直前にスルリと離れるフェルナ。

 どうやら、いつの間にかこの詰め所に来ていたらしい。

 フェルナはそのままふわりと浮遊しながら移動すると、シャルミアの隣に着地した。


「っ……フェルナ様。ご足労いただきありがとうございます」


 シャルミアがフェルナのことを様付けで呼んだのを、俺は聞き逃さなかった。

 魔王軍副官という役職は、その上には魔王しかいない。

 シャルミアが様をつけて呼ぶのは、これまで俺だけだったはずだ。

 いや、だがそれよりも。


「……フェルナ。さっき俺のことをなんと呼んだ?」


「え? "ディルグちゃん"、だよ。だって、魔王サマは私に負けたんだからもう魔王なんて名乗れないでしょ? だからディルグちゃん! こう呼ぶとおっきな身体でもかわいいね♡」


「こ、このっ……! 魔王を、ちゃん付けだとっ……!? 貴様、そんな無礼が許されると思っているのか!!」


 小馬鹿にしたその態度に、一瞬で頭に血がのぼる。

 その怒りを込め、魔力を発露した。


「ひっ、ひぃいっ」


「チッ……威圧は効かんか」


 攻撃的な意志を込めた魔力……"威圧"は、それだけで戦意を削ぐ。

 魔王である俺の威圧は腑抜けであれば腰を抜かす程なのだが、しかしへたりこんだのは周囲にいた新米らしき兵士たちのみ。

 フェルナは全く気にした様子がない。

 防御魔法を発動したようには見えなかったが……よく見れば、フェルナの身体からは濃密なエーテルが身体を覆うように漏れ出ている。

 どうやら魔法にすらなっていないただの魔力発露では、アレにかき消されてしまうようだ。


「あれあれー? ディルグちゃん、まだ私と戦うつもり? でもぉ、こんなところで戦ったら、詰め所が壊れちゃうよ?」


「ぐっ……」


 敬意の欠片も感じられない呼び方を今すぐ改めさせてやろうと思ったが、フェルナの言う通り確かに場所が悪い。

 認めたくはないが、こいつの重力魔法の威力は本物だ。

 魔鉄鋼ではないただの石造りの床、しかも兵士が何人もいるこの詰め所であの重力魔法を振るわれれば、床が陥没するだけでは済まないだろう。

 それに、オークの件もある。

 今はフェルナとくだらないことで争って時間を無駄にしている時ではない。


 俺が戦意を収めたのを察したのか、フェルナは俺から視線を外し、シャルミアを見る。


「……で、すぐ来て欲しいって兵士ちゃんが言ってたけど、何の用なの? 読んでた本、すっごくいいところだったのに。どうでもいいことだったら怒っちゃうからね?」


 先ほどシャルミアたちが話していた、監視塔の陥落は無視できない問題だ。

 フェルナもそれに関係して呼ばれたのは想像がつく。

 俺のことを舐め腐る魔族を放置するのは業腹ではあるが、魔領の防衛はそれよりも大切である。


「オークにより、監視塔が陥落いたしました。フェルナ様にそのオーク退治をお願いできればと」


「ふーん。またやられちゃったんだ。旧世代って、ほんっと頼りないなぁ」


「申し訳ございません。陥落した監視塔は西の森との境界……地図で言うと、この地点です」


「……竜峰の麓に広がる森だな。大方、そのオークも竜種から逃げてきた群れか何かだろう」


 竜峰から近い麓の森は、気まぐれに移動した上位竜種に棲家を追われる等で生態系が乱れやすい。

 フェルナも慣れているようで、シャルミアが見せている地図を見てはふんふんと頷いている。

 ……これまで、俺が眠っていた五年間で、何度も似たようなことがあったのだろう。


「しょうがないなぁ、じゃ、いつもみたいにやっつけてきちゃうね」


 フェルナは場所を確認すると、ふわりと空に浮く。

 そしてシャルミアの背後に回ると、その首に背後から抱き着いた。


「おしごとご苦労さま、"わたしの"副官のシャルミアちゃん♡」


 フェルナは横目で俺を見ながらそう言うと、悪戯を成功させた子供のような声で笑いながら飛んでいく。

 一人残され、気まずそうな顔をするシャルミアと視線がぶつかった。

 シャルミアは、言いにくそうに口を開く。


「……魔領は変わりました。驚かれているとは思いますが、今この都市を支配しているのは私ではありません。……私は現在キュールグラードを支配する、魔王フェルナ様の副官なのです」


「魔王軍の副官を務めた貴様が、あんなガキに負けたというのか」


 正直、とても信じられない。

 シャルミアの実力は確かに魔王軍幹部の中では目立たないが、一般の兵士と比べれば一線を画す存在だ。

 使える魔術は多彩で、戦闘経験も豊富。

 何より不定形ゆえの分身や変身を使った意識の隙間を突くような戦い方は、ガキが初見で相手をするには荷が重いはずなのだが……。


「はい。私はフェルナ様に敗北いたしました」


 しかし、シャルミア自身が負けたと言っている。

 ……よくよく考えれば、シャルミアは不定形だからこそ負けたという可能性も無いではない。

 不定形種族の肉体は基本的に脆弱で、重力魔法のような広い面で攻撃してくる相手との相性は相当悪いと言えるだろう。


「……全く、俺が眠っているたった五年の間に、ここまで情けないことになっているとはな」


「お言葉ですが魔王様、新世代の力は旧世代の力を遥かに凌駕します。彼女たちに旧世代が勝利することは不可能……ディルグ様も、敗北されたのではないのですか?」


「くっ……お、俺はフェルナと"力比べ"をしただけに過ぎん! ……それに、情けないと言ったのはそこではない!」


「……どういうことでしょうか?」


 シャルミアを見て、それからシャルミアの背後にいる兵士たちを見た。

 全員、新兵といえど、一端の兵士として戦える年齢の、大人の魔族たちだ。

 きっとこいつらは、全員旧世代なのだろう。


「なぜフェルナのようなガキを一人で魔獣討伐に向かわせた! そもそも陥落した拠点を取り戻し、街の安全を守るのは兵士である貴様らの仕事だろう! それをあんなガキ一人に任せて恥ずかしくはないのか!」


「それ、は……」


 シャルミアを見ても、周囲の兵士を見ても、フェルナの後を追うものが一人もいない。

 いくらフェルナが強いと言えど、あんなガキを一人で戦場に出していいかと言えばそれはまた別である。


「でも、なぁ……?」


「新世代の力を知らないからあんなことが言えるんだよ、魔王様は」


 誰もが、俺から視線を背けた。

 シャルミアすらも、俺と視線を交わすことを避けるかのように俯いている。

 そして、取り繕うように小さな声で言った。


「魔王様は、重力魔法を受けたスライム族がどうなるのか……ご存じですか? フェルナ様の重力魔法は非常に強大です。巻き込まれただけで、力のない魔族であれば重傷を負いかねません。魔獣程度であれば、フェルナ様お一人で十分なのです」


 そう言いながら、シャルミアは床に転がる水瓶を見た。

 俺が威圧を発した時に、兵士が倒したものだろう。

 その水瓶の中に入っていた水は、重力に従って床に広がっている。

 ……不定形の種族であるハイスライムが強力な重力魔法を受ければどうなるか。

 答えはこの水だ。

 仮初の姿を保てず無様に床に広がり、詠唱が必要な魔法の発動すらできない。


 その時の無力感は、ただ立ち上がれなかっただけの俺の比ではないはずだ。

 だが。


「……ずいぶんと腑抜けたな。そんな様では、他の幹部が貴様を見放すのも当然というものだ」


 シャルミアは頭を伏せたまま、何も言い返さない。


 ……五年前、シャルミアには確かな魔王軍幹部としての実力と誇りがあった。

 人族領に少人数で潜入し、現在の一時的な平和のきっかけとなった内乱工作を牽引したのはこの目の前にいるシャルミアだ。

 冷徹すぎるという欠点はあるが、その策の冴えと自らの危険を省みない胆力は、まさに魔王軍副官に相応しいものだったはず。


 ガキに負けただけでここまで人が変わってしまうのかと、暗澹とした気分が心に広がる。


「……貴様はそこで怯えているがいい。この魔王ディルグが直々にガキのお守りをしてきてやろう。クソ生意気なあの性根を叩き直す前に、万一にでも死なれては困るのでな」


 魔王として、魔領に住む民を守るのは最も優先される責務。

 それは、たとえあの生意気なサキュバスのガキだろうと変わらない。

 俺はシャルミアに対する失意を感じながら、フェルナを追うため詰め所を後にした。

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