自由

     ◆


 中国人なんて東京には大勢いる。

 私は働いているコンビニの裏手で、タバコを吸っていた。灰皿はあるし、周りからは見えないし、都合がいい。

 同じコンビニで働いている中国人のリーさんがやってきて、ものすごい訛りのある口調で店長の悪口を言い始めた。

 彼がタバコの箱をこちらへ差し出してくる。

 私に箱を渡すように、と言われているのだ。

 まったく、変に古風なところがある。

 タバコの箱を受け取り、「悪口もほどほどにね」と応じて箱は懐へ入れた。リーさんはニコニコしている。

 人の良さそうな笑みだが、内心は分かったものじゃない。

 それから三時間ほどの勤務を終え、私は帰りがけにトンカツ屋で弁当を買い、徒歩で新大久保にほど近いアパートへ帰った。古びているけどユニットバスがそれぞれの部屋にあるし、壁も厚い。ただし他の住民は一人を除いて外国人だ。

 六畳一間の自分の部屋に入り、弁当を机に置いて、電気ケトルでお湯を沸かす。

 そうしながら、懐からタバコの空き箱を取り出し、それを開いて中に折りたたまれて入っている紙を広げる。

 そこにあるのは漢字を使った暗号で、わかりづらいところにコードブックのどれを使えば解読できるか、記されている。

 中国語辞典の形の本を開いて、暗号を解読した。

 内容は、中国から潜入している中国人民解放軍に所属する諜報員のサポートをしろ、という指示だった。正確には、人民解放軍総参謀部第二部、の諜報員だ。中国は一つにまとまっているようで、内側でも揉め事は絶えない。国家安全部に不穏な動きもあるようだと聞いている。

 ドアが唐突に叩かれ、反射的に睨み付けていた。それで何かが見えるわけではない。

 メモを素早く折りたたみ、辞典は棚に戻した。

 まだドアは叩かれている。最初は控えめに、少しずつ強く。

 そっと近づき、ドアの覗き穴から外を見ると、ラフな服装のアジア系の男が立っている。肌が浅黒く、髪の毛は長い。

 知っている顔で、隣の部屋の住人だった。

 自称韓国人の、チョウという名前の料理人。料理人と言っても、新大久保の韓国料理屋で働いているだけだ。

 ドアを開けると、ニコリとチョウさんが笑う。

「ササキさん、キムチ、いる? 店で、もらただけど」

 タッパーを差し出されたので、私は笑顔で「ありがとうございます」とタッパーを受け取った。

 彼も満足したように笑みを深くして、またね、と去って行った。ドアを閉めて、タッパーは形だけのキッチンに置いて、私は少し思案した。

 もちろん、キムチをどうするかではなく、仕事のことだ。

 今はササキ・ハルカと名乗っているけれど、これは偽名。他にもいくつかの偽名を使ったし、用意されてもいる。そういう手法は中国人に教えてもらった。

 現状としては、一人で仕事をする工作員だが、どうしても主義主張や国家の利害が絡まり合い、フリーランスの工作員というのはやりづらい。

 ただ、どこかに所属する気にもなれなかった。

 タバコを取り出し、眼を細める。

 何もないところで火花が散り、一瞬でタバコに火がついた。

 我ながら、不可思議な現象だ。

 タバコの煙を吸い込み、過去の場面を思い返した。

 最初に能力に気づいたのは十五年前。中学校に上がる前だった。

 何か特別なきっかけがあったわけではなく、ああ、できそうだな、と思った。

 思ったら、実際にできた。

 それから三年は、自力で力を磨いたのだけど、あの頃が一番楽しかった。誰にも明かせない秘密が自分にあり、しかもそれが常人には使えない特殊な力だった。

 そういう何重にも重なる優越感は、私に自信を与え、それは自然と過剰になった。

 おかしな話だけど、私はその頃、自分が世界を変えられると本気で思っていた。

 そんな日々が終わった時の方が、能力に目覚めるより劇的だったと言える。

 高校に入学して一ヶ月ほどで健康診断があった。今まで、健康診断には特別なものは何も感じなかったけど、その日の翌日、いきなり病院へ行くように言われた。数値に異常があるようだから、と伝えられたものの、何に異常があるかは病院で聞くように、とも伝えられた。

 呑気なことに、翌朝、私は母と一緒に病院に向かおうとし、家を出たところでいきなり拉致された。

 目隠し、猿轡、手錠、そういうもので私は何もわからなくなり、どれくらいが過ぎたか、目隠しを外された時には狭い部屋にいた。真っ先に母の姿を探した。いない。

 代わりに、中国人が立っていた。

 訛りのないきれいな日本語で、最初、中国人とは気づかなかった。

 彼には、あなたは私たちが助けたのだ、と言われた。

 何を意味する言葉かわからず、混乱し、しかし不意に気づいた。

 今こそ能力を解放するときだ。

 危険。紛れもない危険が私にふりかかっている。

 言い訳は後でどうとでもなる。

 今は逃げることだ。

 火を操ろうとした瞬間、中国人が鋭い声で言った。

「あなたは日本の秘密組織に、実験動物にされるところだった」

 ただの一言で、私の心は千々に乱れ、能力は不発に終わった。

 中国人は説明を始め、高校の血液検査で私の素質が見抜かれ、日本政府が秘密裏に設けている組織がそれを知ったという。そしていい加減な理由をでっち上げて拘束し、そのまま秘密の研究所で検査と実験の対象にしようとしている、というのである。

 その動きを悟った中国のやはり秘密組織は、私を助け、さらに教育する用意がある、とも男に言われた。

 この組織が、総参謀部第二部第三処に新設の、「次世代作戦室」だった。

 当時の私には、何が正しいのか、何もわからなかった。まったくの無知だったし、心構えもできていなかった。

 あるいは今も、わからないかもしれない。

 お母さんは無事だ、と中国人が言った時、ただの善意だけの行動ではない、とは理解した。しようとした。

 それでも自明なのは、母親も父親も、人質ということだった。

 こうして私は表の世界から、裏の世界へ踏み込むしかなくなった。望むと望まないとに関わらず、全く自然に、世界は裏返ったのだ。

 私はあの時から、本当の名前を失い、偽物の名前と作られた身元を持つ人間になった。

 両親とはあのなんでもない朝に言葉を交わしたのが、最後の会話になった。

 両親はもう私を探してはいないだろう。私の身代わりの遺体が発見され、検査結果さえ偽造されたために、本当の私は生きていても、私は社会的には死んだことになっている。

 私は全てを捨てて、中国人の話に乗った。乗らざるをえなかった。

 普段は高校に通い、夜に様々な訓練を受けた。格闘技や語学が中心で、場合によっては銃器の扱い、爆薬の扱いもやったし、車の運転、二輪車の運転も含まれた。

 大学に通い始めてもそれは続いたけれど、同時にアルバイトで社会に溶け込むこともやった。

 中国人たちは、人々の海の中に紛れることを重視している。

 そのうちに仕事をするように依頼された。

 中国から入ってきている工作員や諜報員を護衛する仕事だが、護衛対象は私を知らない。

 これは二重の困難だった。接触する相手に私がいることを悟られないようにしつつ、護衛対象にも怪しまれないようにする。護衛対象は大抵、正式な護衛に自分を守らせているので、その護衛の注意からも私は外れている必要があった。

 初めて人に能力を使ったのは二十一歳の時。

 護衛対象が拉致されそうになり、その時にはその危険の真っ只中にある主を守るはずの三人の護衛は、音もなく忍び寄った取引相手のアメリカ人に殺されていた。CIAの現地工作員。

 ちょっとした騒ぎになり、まさにその騒ぎを利用して、アメリカ人は中国人を連れ去ろうとした。

 決断は一瞬だった。

 アメリカ人はいきなり火だるまになり、中国人は走って逃げた。アメリカ人は倒れて動かなくなり、騒動はより一層、酷くなったけど、それは私がさりげなく離脱するのには好都合だった。

 そう、人が一人死ぬのが好都合だと、私は思ったのだ。

 吐き気がする発想だ。

 合流地点に行くと、当時の私への指示役が待っており、悪くない仕事だった、というので、つまり、私は役目を果たしたようだ、あの中国人も逃げおおせたのだ、とわかった。

 それから年に三度か四度、仕事で能力を使った。

 ただ、さすがに人一人を燃やすようなことはあれ以来、していない。ちょっとした注意を引いたり、隙を作るために使う。

 私は武闘派ではないし、暗殺者でもない。

 どちらかといえば、中国人たちの切り札だった。総参謀部も国家安全部もどういう取り決めがあるのか、私を使っている。これは不自然なことだが、自分が彼らにとって都合がいい存在だと思うしかなかった。

 その中国人たちの傘の下から出ることを許されたきっかけは、ロシア連邦の対外情報庁に所属する暗殺者を殺す、という任務を実行して以降のことだ。

 その暗殺者は中国人の頭痛の種で、私が知る限り、日本に潜入していた中国の工作員四人が殺されていた。自殺、交通事故、それと病死が二人で、自殺は偽装、交通事故は意図的な事故、病死は毒殺と聞いている。

 ロシアの暗殺者を、私は一ヶ月ほど追跡し、その様子を確認し続けたが、どう見ても日本でビシネズをしている平凡な外国人で、怪しいところは毛筋一つなかった。

 それが一度だけ、ロシア大使館で働く人物と接触した。ロシア外務省から派遣されている人物である。

 どこまでの繋がりがあるかは、それだけではわからない。

 わからないが、仕事は仕事だと割り切った。

 暗殺者は冬の寒い日に、自分の車に乗り込み、エンジンを始動しようとしたところで、車ごと爆発した。

 これはさすがに全国ニュースになった。原因不明の爆発でロシア人男性が死亡。そんな内容だ。

 中国人たちは約束通り、私を自由にした。

 そのはずだけれど、私は頻繁に中国人たちの仕事を請け負い、まだ半分は彼らの側に立っている。そしてロシア人たちは私の存在まではたどり着いていないものの、下手人を探しているのは聞いている。

 ありえないことだが、中国人が情報をリークすれば、私の立場は極端に悪くなる。

 しかし、こればっかりは仕方がない。人を呪わば穴二つ、ではないが、この世界に踏み込んだ時から、決して出ることのできない沼に入っている。その沼から足を抜いてまともな地面に立ったはずでも、結局はそこも別の沼なのだ。

 タバコの箱の中の指示書にある依頼は、アメリカ人の工作員に警告をする、となっている。

 日本の諜報機関の幹部とアメリカ人の工作員の元締めの一人が接触したところで、騒ぎを起こす。車を一台、燃やせということだ。日本の諜報機関は名称が定まっていないのか、中国人たちが仮に名付けた「超」と言う名称になっている。アメリカ人は国家安全保障局の工作員。

 まったく、この世界はどうなっているんだ?

 タバコはいつの間にかほとんどが灰になっている。タバコでいっぱいの灰皿に無理やり押し込み、息を吐いた。

 私はその翌日の夕方、東京のほとんど注目されない市街地の一角で、カフェに居座り、時間を待った。

 聞かされている通り、アメリカ人がカフェの向かいのレストランに入り、ほとんど間を置かずに日本人も入って行った。建物の奥でよく見えないが、二人が同じ席に着いたようだ。

 簡単な仕事だ。

 私は自然な様子でカフェを出て、即座に、路上駐車されていた自動車の、その燃料タンクに火をつけた。

 前触れもなく爆発が起こり、車だったものが飛び散る。轟音が響き渡り、爆炎と熱風が吹き抜けた。私はこれも自然に、地面に倒れこんでいる。背中に様々なものが降ってきた。

 咳き込みながら、立ち上がる。

 やれやれ。

「動くな!」

 いきなりの声に、私はまだ聴覚がぼんやりとしている中、そちらを見ていた。

 薄れていく煙の向こう、無精髭を伸ばした背広の男性が、こちらに何かを向けている。

 何かじゃない。拳銃。オートマチック。撃鉄は上がっている。

 焼き殺すか。

 迷う余地はない。

 私は目を細め、火炎が線のように走る。

 拳銃を構えた男は、慌てもしなかった。

 まるでそうなると知っていたように、私の炎の線が、見えない壁に衝突して散って消える。煙が不自然に流れたのは、気のせいじゃない。

 なんだ?

 これは、普通じゃない。超能力を使うものがいる。しかもすぐそばに。「超」の罠?

 能力者は背広の男ではないだろう。彼の視線が動かなかったからだ。

 別に男の仲間がいるということ。

 中国人にはめられたか?

 銃声。

 強烈な衝撃が左肩を撃つ。思わず短く悲鳴が漏れた。灼熱が全身を走り、視野が明滅する。

 必死だった。

 通りを火炎が縦横に走るが、背広の男には到達しない。

 しかしその火炎を目くらましに、私は路地へ飛び込み、駆けた。生ゴミの入ったゴミ箱を蹴倒し、危うく転びそうになる。

 これでは後を追われる。

 逮捕されるだろうか。しかし普通の警察が私の相手をするわけがない。

 日本の秘密組織に、今度こそ、人体実験の対象にされるのか。

 路地の先で車が停車したので、私は勢いのまま危うくぶつかりそうになった。

 車を火炎で焼く寸前、助手席のドアを開けたのは運転席にいる人物。

 中国人のリーだった。

 彼は連絡役じゃなかったのか。

 私が助手席に飛び込むと、ドアが閉まるより早く車は走り出した。

 リーは荒々しく車を運転しながら、これから三度、車を乗り換えること、おそらくそれで追跡を撒けること、しばらくは息をひそめること、そんなことを静かに語った。

 状況の混乱とはかけ離れた冷静な口調だった。

 私は自分で左肩を確認していて、銃で撃ち抜かれたと思ったが、弾丸がかすめただけだった。しかし出血は激しい。肉が抉れている。

「病院には行けないよね?」

「医者を手配する」

 短い返事があった。私は思わず確認した。

「どうして私の存在がばれたの? 情報漏れ? それとも私は捨て駒ってこと?」

「捨て駒ならここで助ける理由がない」

「じゃあ、裏切り者がいる?」

 それも違う、とリーは無感情な声で言った。

「日本の秘密組織、「超」に予知能力者がいる。おそらくその力でこちらの動きは筒抜けだった」

「予知能力? それ、本気で言っているの?」

「本気だ。あの組織は、未来を自由に変えてもいる」

 ありえないが、それを言ったら虚空から炎を出す私だって、本来はありえない。

 もう会話はなく、地下駐車場や立体駐車場で車を乗り換え、そのうちに私も肩の痛みに慣れてきた。きつく縛った左腕の感覚は少し怪しいけれど、死ぬことはないだろう。

 車を降りたのは郊外で、森閑とした住宅地だった。

 何の変哲もない二階建ての一軒家に入ると、武装した中国人が玄関を入ってすぐのところで待っている。拳銃などではなく、短機関銃を提げている。中国語でそのうちの一人が「医者が来てる」と言った。リーは頷いて、後は任せる、とやはり中国語で返事をして、玄関からすぐ出て行った。

 待っていた医者も中国人で、しかし手際はいい。慣れを感じさせるあたり、本職も医者なのかもしれない。

 あっという間に夜が明け、家の中には私の他に中国人が全部で四名だとわかった。しかし緊張しているのか、愛想は悪い。

 キッチンには食べ物が揃っているので、中国人たちの分も適当に料理したが、彼らはほとんど食べなかった。警備の仕事を真面目に続けている。

 私はソファに座り、麻酔が切れてきた左肩の痛みを感じながら、じっとあの場面のことを思い出して、検討した。

 なるほど、未来がわかるのなら、私の能力に対抗するのも容易い。

 でも本当に未来を読めるのなら、ここへ踏み込んでくるのではないか。

 今の今まで何もないのは、気が緩むのを待っているのか、それともこれから彼らにとって絶好の好機がやってくるのか。

 あるいは見えていないのか。

 まったく、未来を読むなんて反則だ。

 結局、それから五日間、その家を出ることはできなかった。

 五日目の朝、今度はモウ・ティンという四十絡みの中年男がやってきた。この男は知っている。例の、次世代作戦室の一員である。

 彼は私の同類で、念動力を使う。本当の実力はお互いに隠しているところはあるが、理解し合える側面もあった。

 彼には私を見るとニヤッと笑い、「不運だったな」と流暢な日本語で言った。

「こういうこともあるわよね。で、どこのどいつが私を売ろうとしたわけ?」

「調査の結果は、複雑だが、言えることがあるとすれば、誰もお前を売ってはいない」

「どういうこと?」

「日本の秘密組織の側からのアクションだ。お前について興味を持っているらしい」

 ふぅん、としか言えなかった。

 ティンが「家まで送ろう」と言った。掲げた手には車のキーがある。

 家、という言葉に、両親と暮らした家が思い浮かんだ。あの家は何年も前に取り壊され、土地も他人の手に渡っている。

 表に出ると平凡な軽自動車が止まっており、若い中国人が待っていた。後部座席に私とその若者が並んで腰掛けた。ティンの運転で車は静かに走り出す。

「なあ、ササキ、お前は中国共産党のためだけに働けよ」

 外を見ながら、ティンがそんなことをいう。

「私は私のやりたいようにやる」

「組織に恩義があるだろう」

「もう十分に礼はしたわ、目に見える形で」

 生きにくいぜ、と片手でハンドルを握り、もう一方の手で頬杖をつきながら、ティンは遠くを見ている。

 どこを見ているのか、周囲には特に変わったところはない。住宅地を抜けて、川沿いの道を走っていた。遠くに線路があるが、今は電車は走っていない。日の光はまだ弱い。早朝なのだ。

 車はまた住宅地に入った。ティンは無言。名前を知らない隣の青年も無言。

 結局、それきり会話はないまま、車は夕方には高田馬場の駅にたどり着き、私は車を降りようとした。

「何か仕事があるなら、また依頼する」

 運転席からティンが言う。私は一度、車内に体を戻し、無言で頷いた。

「お前の能力を買っているんだ。裏切るなよ」

「もちろん」

 私が頷き返すと、ティンはなぜか疲れたようなため息を吐いた。それがどういう意味なのかは、よくわからない。

 まるで私の生き方を悲観しているようにも感じたけど、私には他人の心は読めない。

 山手線で高田馬場駅から新大久保駅まで行き、あとは徒歩でアパートへ戻った。

 部屋に入り、開けっ放しのカーテンを引いた。すでに周囲は闇に閉ざされ、時刻は二十一時になろうとしている。

 何か食べるべきか、と考えた時、食欲が急になくなっていった。あのセーフハウスではしっかり食べていたのが、嘘のようだ。

 ベッドに腰掛け、ズボンのポケットから取り出したタバコの箱から、最後の一本を出す。空き箱はゴミ箱に投げ込んだ。

 くわえたタバコに能力で火をつけ、深く吸い込む。煙を吐き出した時、ちょっとだけ落ち着いた。

 日本の秘密組織も、なかなかやるじゃないか。

 私は殺されたはずだ。完全に後手に回っていた。

 しかし殺さなかった。

 それだけの利用価値があるのか。

 捕獲もしない、追跡もしない、となると、泳がせているだけでも意味があるのか。

 もう一度、煙を吸い込む。タバコの先で赤い光が瞬く。

 ふざけたことを。

 こちらを弄んで、面白いのか。

 それは、未来を読めるのなら、さぞ面白いかもしれないな。

 ドアが急にノックされた。煙混じりのため息を吐き、私はタバコを灰皿に押し付け、玄関のドアから覗き穴で外を見た。

 例の如く、そこにはチョウさんがいた。

 ドアを開くと、彼は笑みを見せ、「あの、これ」と韓国の有名な袋麺を見せてくれた。赤いパッケージで、それがビニール袋に入っていて、全部で十食ほどはあるようだ。

「家族、送ったきて、食べれない」

 食べきれないという意味のようだが、乾麺なんだから、食べきれないわけがない。

 そういう理由を作って、私と接したいのかもしれない。

 私は「ありがとう」と言って袋を受け取った。嬉しそうな顔で手を振って、チョウさんは去っていった。

 部屋に戻って袋を台所に置いて、タバコを吸おうとしたが、さっき一本で最後だった。

 思わず舌打ちして、部屋の鍵と財布をズボンのポケットにねじ込んだ。

 コンビニのバイトはうまく言い訳をして休んでいるが、働く場所を変えるべきだろうな。そんなことを考えながら、すぐそばにあるタバコの自販機まで歩いた。

 どこぞの秘密組織のせいで、全てがやり直しだ。

 しかし今はとにかく、タバコだ、タバコ。



(続く)

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