おしのび聖女の業務報告書

辺野 夏子

第1話

「聖女フィオナ! お前との婚約を破棄し、王宮から追放する。この偽聖女め!」

「え……偽聖女、ですか?」


 早朝。王宮にダリル王子の馬鹿みたいに大きい、よく通る声が響き渡る。


 私はこの国でただひとりの、結界を守護する聖女である。


 業務中に執務室に呼び出されたと思ったらこれだ。私には次の祈りまでの間、やらなければいけない仕事が分刻みで詰まっている。


 一方のダリル王子ときたらゆったりと椅子に腰掛け、さらに驚くべきことには、そのぱつぱつの太ももの上に伯爵令嬢のエスメラルダ様を乗せているのだ。


 最近、二人の仲がよろしいのはとてもよく存じ上げている。今日までの様々な出来事が脳内を駆け巡り、しばしぼーっとしてしまう。


「何とか言ったらどうだ?」

「なんとか」


 慇懃無礼な返答は全く彼の心に響かなかったらしく、ダリル王子は優雅に朝のコーヒーをすすった。香りで私が愛飲しているものと質が違うと理解してしまう。


「オレはかねがね、お前が聖女に相応しくないと思っていた」


 ダリル王子は威風堂々とした様子で語り始めた。こんなとんでもない男ではあるが、彼は私の婚約者である。


 この国の王族は、緑や青が混ざり合い複雑に輝く不思議な虹彩を持っている。聖女はその「星の瞳」を持つ男性と結婚し、子孫を残さねばならない。


 ダリル王子は立ち上がり、びしっ、と私を指差した。


「それにはきちんとした根拠がある。不貞行為だ」

「……それは」


 そんな事はしていない。していないけれど、強く否定することができないのだ。なぜならば、私には後ろ暗いところがある。


「お前がオレの事を好きじゃないように、オレもお前のことを好きじゃない。しかし、それはお前が先に不貞をはたらいたからだ」


「そのような者、聖女に相応しいはずがない。これすなわちお前が偽聖女に他ならない。うん」


 ダリル王子は力強く頷き、エスメラルダ様に向けて腕を差し出した。令嬢は微笑みながらその腕を取る。絵になる二人だ。


「私はエドガー様に対しては何も……」


「オレはいま、メガネの話なんてひとっっつもしていない」


 言質を取ったと言わんばかりに私を見下してくるダリル王子はいやに身長が高くて、目の前に立たれると威圧感がある。真っ二つになってしまえばいいのに。


 勝ち誇った表情のダリル王子を見ていると非常に腹が立ってきたので、無視して退室しようと背中を向ける。私が偽聖女と言うのならば、是非とも王子様の力で事実を世間に公表し、私を解放して欲しいところではあるが。


「まあ待て。オレの話を聞いて行け。お前にとっても悪い話じゃない……」


 ダリル王子が猫撫で声で私を引き止めた。彼にはまだ切り札があるらしい。


「さっきも言ったが、オレは婚約を破棄し、このエスメラルダへの真実の愛を貫き通すつもりだ。しかしオレはやんごとない身分。国の象徴として、聖女と婚姻せねばならん。王族には一夫多妻制が認められているが、正直言ってそれは格好悪い」


「はぁ」


 婚約中の不貞はいいのかと問いかけたいが、それを言ってしまうとやぶへびだ。


「そこで最初の偽聖女に話が繋がってくるんだよな」

「そうですか」


 荒唐無稽がすぎる話なのだが、あまりに自信満々な態度なので思わず耳を傾けてしまう。


「お前が聖女でなくなればよろしい」

「なんと!そのような事が可能なのですか!?」


 ダリル王子は金の髪をかき上げ、得意満面といった様子だ。


「エスメラルダ!」

「はい!」


 エスメラルダ様は机の上に乱雑に散らばっていた書類を手に取った。


 昨年自領を出て王宮に勤め始めたエスメラルダ様は、意志が強そうな焦茶色の瞳を持つ溌溂とした様子の女性だ。辛気臭い私と毎週顔を突き合わせているダリル王子にとってはいたく新鮮に映ったらしい。


 彼女を面接したのは所長なのだが、彼はこうなることを予見していなかったのだろうか……いや、人の感情をせき止めることはできない。


「これこのように。腹黒メガ……いいえ、所長のお書きになった論文。これを読み解きますと、聖女様はたいへんお力が強く、離れたところからでも祈りを届ける事ができると推測される。しかし聖女様は常に聖女宮にいらっしゃるのだから、それを確かめる手立てがない……とのお話ですね」


 エスメラルダ様がすらすらと読み上げた論文の内容に頷く。私以外でその論文を真面目に読んでいる人を初めて見たので、この二人がそんなものに興味があったのかと驚きだ。


「つまりこれが可能であるならば、ここにいるのはお前でなくともよい。オレを解放し、山でも川でも海でも、どこでも好きなところで暮らすがよい。仕事はきちんとしてもらうがな」


「婚約破棄……それは大変結構なことでございますが。エドガー様は……所長は、この事をご存知なのですか? 上の決定がないと私には何とも……」


「あんな下賤な血の混じったやつに、偉そうに指図されるいわれはない。オレは第三王子だぞ?」


 ダリル王子はピシャリと私の言葉を遮った。彼の中ではすでに決定事項のようだ。


 少なくともダリル王子よりは私と一緒に仕事をしており、聖女に関する論文を書いている「聖女管理局」の所長、エドガー様の方が詳しいと思うのだが……王子が言うなら仕方がない。エドガー様は朝が弱いし、今日は遅番なのでまだ寝ているだろう。


「さて。という事で聖女の証である聖石のペンダントを置いていけ。仕事はサボるなよ」


 事あるごとにエドガー様の悪口を言っているダリル王子が、無視され続けているエドガー様の論文を一番信じているのは何と皮肉な事だろう。


 聖女の力を残したまま、人間だけをすり替えてしまう。二人は真実の愛で結ばれ、私は王子から解放され、ひっそりこっそり暮らす事ができる。


 そんな……都合のいい話があっていいのだろうか?


「むむむ……」


 ダリル王子の発案だと思うと腹立たしいが、ここから逃げられる生涯たった一度のチャンスかもしれない……とも思う。


「何事でごじゃりますか」


 返事をしようとしたその時、補佐官が入室してきた。ここでエドガー・マクミラン所長が出てこないのは私にとって幸か、それとも不幸か……。

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