第4話 キャロル七歳の恋

 私が初めてヴィルヘルム様にお会いしたのは、まだ私が物心もついていなかった頃だと聞きました。

 元々私のお祖父様でありました当時のアンブラウス公爵と、ヴィルヘルム様は学園での知己だったとのことです。そのため、時折お祖父様が我が家に呼び出し、食事を共にすることがあったのです。

 ヴィルヘルム様は騎士団長ということで遠征も多く、戦場に出ていることも多いので、その慰労も兼ねてのことだと聞きました。お祖父様とご友人である、とも聞いておりましたので、それも理解していました。

 当時のヴィルヘルム様はお祖父様よりも頭一つは背が高く、横幅に至っては倍ほどもあるお方でした。それに加えて、体中に傷を負っており、全体的に厳しい印象を持つお方です。ヴィルヘルム様を相手にすれば、普通の子供は逃げるのではないかと思えるほどでした。

 ですが幼い頃より、何度も我が家の食事に訪れているヴィルヘルム様に、私は苦手意識を持っておりませんでした。むしろ、逞しい腕に捕まって宙吊りにしてもらい、きゃっきゃと騒いでいたりしていました。我が事ながら、お転婆ですね。当時のヴィルヘルム様も口には出しませんでしたが、内心困っていたことではないでしょうか。


 お転婆――そう、私は、あまりにもお転婆だったのです。

 公爵家に生まれた令嬢として、毎日家庭教師に教わって様々なことを学ぶ日々でした。ですが私はそれに堪えられず、目を盗んではいつも屋敷の外に繰り出していました。屋敷の外に出たら、大抵は遊んでいる子供の集団がいるため、そこに混ぜてもらったりしていました。

 その日も、私はいつも通りに子供同士で遊んでいたのですが。


「なぁ、おまえ。今日はおわったら何かあるのか?」


「いえ、特に何もないです」


「じゃあ、ちょっと来いよ。なんか、おまえに用事があるんだって」


 子供たちのリーダー格である少年に、そう言われました。

 よく分からない言葉でしたが、私に用があるなんて珍しい、という程度に受け止めていました。当時は七歳くらいでしょうか。こんな子供に用事があるなんて、本来ならばありえないはずなのに、それを思いつきもしませんでした。

 少年に連れられて、やって来たのは王都の端。

 いわゆる、スラム街というところでした。


「あの、私に、何の用が……」


「いいからだまってついてこいよ」


「……え」


 少年に連れられて、やって来たのはスラム街の奥。

 そこには――少年よりも遥かに年上の大人たちが五人ほど、揃っていました。

 誰もが、どことなく下卑た顔をして。

 まるで私を嘗め回すように、値踏みするような視線を投げてきていました。

 思わず恐怖に、少年の後ろに隠れてしまったのですが。


「おい、上玉じゃねぇか。アンブラウス家の子供でなけりゃ、奴隷商にでも売りゃあいい金になりそうだ」


「いいじゃねぇか。身代金だけ貰って、こいつの身は売ればいいんだよ。なぁに、運が良けりゃ人生のどこかで会えるさ。娼館だろうけどな!」


「おいガキ、お前はもういいぞ、その女置いて帰りな」


 明らかに、私の身がピンチです。

 どう考えても友好的な態度ではありませんし、言われていることも物騒なことばかりです。先程の言葉をどう受け止めても、人攫い以外には思えません。

 ひっ、と思わず、意図せぬ悲鳴を上げてしまいました。


「あー、とりあえず口塞ぐか。おい、公爵家にはいくら要求するよ?」


「ちょ、ちょっと待てよ! 約束は守っただろ! 妹を……!」


「あん? てめぇの妹なんざとっくに売ったわ。さっさと消えろ。お前も売られたいのかよ」


 少年の言葉に、しっしっ、と手を振る盗賊たち。

 あまりの言葉に、まるで魂が抜けたかの少年が、項垂れました。なんという極悪人なのでしょう。言葉巧みに、私をここに連れてくるよう要求したのでしょう。そして代わりに、この少年の妹を解放する、とでも約束したのでしょうか。

 そして、約束は守られなかった――守るつもりすらなかったのでしょう。


「わ、私を、どうする、おつもり……」


「どうするも何も、なぁ?」


「あー、ガキだが上玉だし、一応やっとくか?」


「やったら商品価値が下がんだろうが。そういうのは、ガキが好きな変態にはたまんねぇらしいからな」


 私は、どう考えても生きて帰れそうにありません。

 怖くてたまらない。

 誰か、助けて。

 お願い、誰か――。


 そこで、盗賊の一人――私の口を塞ぐつもりだったのでしょう、近付いてきた男が、吹き飛びました。


「……あ?」


 四人の盗賊が、呆気に取られたように、私の方を見てきます。

 しかし、その視線が捉えているのは私ではなく、私よりも遥かに高い位置。


「それ以上喋るな、屑が」


 それは間違いなく、馴染み深いヴィルヘルム様のお声でした。


「てめぇっ!?」


 四人の盗賊が、一斉に腰にある物を抜きます。それは形は大小違えど、それぞれ刃物。殺意を持って抜かれたそれに、思わず私は一歩退きました。

 そして、一歩退いたそこにあったのは、温もり。

 私の頭に、それはそれは大きな掌が、覆い被さったのです。


「キャロル嬢よ、目を閉じていろ」


「は、はいっ!」


「なに、すぐ終わる」


 ヴィルヘルム様に言われた通り、私は目を閉じました。

 その後には、轟音と悲鳴が聞こえました。風を切る音と、人が吹き飛ぶ音。音だけで何があったのかを推測することはできませんでしたが、だけれどヴィルヘルム様を信じることしかできませんでした。

 それに、私の頭にずっと触れていて下さっている、ヴィルヘルム様の掌。

 暖かなそれに身を委ねることで、まるで世界でも一番安全な場所にいるようにすら思えました。


「キャロル嬢」


「はい」


 音が止み、そして優しいヴィルヘルム様の声が私を呼んで下さいました。

 それだけでどこか鼓動が跳ねるような気持ちがしましたが、ヴィルヘルム様に言われた通り、目は開けません。

 すると、私の体が、不意に重さを失いました。


「きゃっ」


「屋敷まで送ろう。キャロル嬢には少々刺激が強い。もう少し、目を閉じていてくれ」


 ヴィルヘルム様に、私が抱っこされています。

 そう理解した瞬間に、多分私は耳まで真っ赤になりました。もう七歳である私は、淑女と言っていいです。そんな淑女が赤ん坊のように抱かれているだなんて、恥ずかしいのです。

 ですが、同時にすごく、心地の良い時間でした。


「キャロル嬢、もう目を開けて構わない。怖くはなかったか?」


 ヴィルヘルム様がそう言ってくれるのを聞いて、しかし私は目を開きませんでした。

 今、ヴィルヘルム様のお顔を直視できる自信がありません。きっと優しく微笑んでいらしている、と思うと、とても見ることなどできません。

 だから。


「……おや、眠ってしまったのか」


 ちょっとだけ、寝た振りをします。

 ヴィルヘルム様、私は寝ております。少しくらい悪戯しても構いませんのよ。

 例えば、そのお口で私に優しいキスをしていただいても、構いませんのよ。

 きっとその瞬間に、私は幸せで爆発してしまうかもしれませんけど。


「眠るといい。儂が安全に屋敷まで送ってあげよう」


 さぁ、心の準備はできましたわ、ヴィルヘルム様。

 どうか、さぁ、私に。


 そんな寝た振りを続けているうちに、気付いたら寝てしまいました。

 ヴィルヘルム様は何もなさらなかったのです。残念でした。



 この日、私キャロル・アンブラウス七歳。

 ヴィルヘルム・アイブリンガー様に、恋をしたのです。

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