第8話8.幼女と騎士
今日は北斗苑の中で野いちごを摘んで遊んだ。持って帰ってジャムにするのだと言えば、騎士は懐にしまっていた古新聞を広げてくれた。
その文字を読みハッとする。
「パパ、えんせいするの? けいびのきしもいく?」
思わず尋ねれば、変なものを見るような目で見られた。
もしかして、言い方が変だった?
思わず首をかしげれば、騎士は野いちごを慌てて包み、アレに抱かせ、自分はアレを抱き上げ走り出した。
「失礼! 姫様!」
「なに? なにがおこったの? けものがでたの?」
アレの質問には答えずに、騎士は血相を変えてアレの家へ走って戻る。
そして、驚いた顔をするマルファの前にアレを下ろした。
「陛下の目に触れてしまったのですか!?」
肩で息をする騎士は、無言で首を振った。
「姫様はもう文字が読める!」
その言葉でアレはハッとした。
三歳児が新聞を読めるわけがなかったわ……。記事にびっくりして普通に読んでしまった。
「本当ですの?」
「本当だ、この新聞の内容を理解されているようだ」
野いちごを包んだ新聞を指さし、騎士が言う。
「姫様、もう一度読んでいただけますか?」
真剣な顔で詰め寄るマルファに思わず一歩下がる。背中に騎士の足が当たる。
フルフルと頭を振って騎士に助けを求めると、騎士はニッコリと笑った。
「さあ、姫様、恥ずかしがることはないのですよ。とても素晴らしいことなのですから!」
天真爛漫に微笑まれ、アレは嘘をつき通せないと諦めた。
「こうていへいか、ついにみずからしゅっせいか、ながびくこっきょうでのあらそいにしゅうしふがうたれるのでは……」
たどたどしく、周りの目を伺いつつ指さされた場所を読む。
「意味はわかりますか?」
鬼気迫る表情でのぞき込んでくるマルファに、おずおずと尋ねる。
「……パパせんそうにいくの?」
「まだわかりませんが、そういう案が出ているという話のようですね。なぜか、今回は陛下自らの出征は先送りにされているようです」
はじめは驚きの目を向けていたメイドたちも、最後には喜びの色を浮かべた。
「天才です! 姫様は天才です!」
「これを報告すれば陛下も姫様を」
喜び合うメイドと騎士をマルファが窘める。
「慎みなさい」
そして、アレの両手をとった。
「姫様はご本は好きですか?」
「うん」
「では、明日にもお持ちしますね」
マルファはそう言うと少し複雑そうな顔をして笑った。
マルファは私が勉強するのが嫌なのかな?
アレは少し疑問に思ったが、学べることは自分にとって都合が良い。マルファの気分を害してもこのチャンスを得たかった。
「わーい! マルファだいすき!」
アレは少し大げさな位に喜んで見せ、マルファに抱きついた。
それからマルファはいろいろな本を持ってきて、アレに教えた。自身が使ったマナーブックから、この国の歴史、その日の新聞、すべて大人向けのものだった。
どう考えても三歳児には難しいものだったが、はじめに新聞を読んで見せたアレである。すらすらと読み込んだ。それを見たメイドや騎士たちは驚き喜び、自分たちの読んだ本をアレに持ってくるようになった。
アレは、散歩と勉強が日課となり、穏やかな毎日を過ごしていた。
そして、いつものように標樹の広場へやってきた。
今日の魔法文字は何だろう……そう思っていつもの地面をのぞき込む。
相変わらず騎士はアレが絵を描いていると思っている。
―― 戦いに行くことになった。当分、ここには来られない ――
この魔法文字の人は騎士だったのね。
アレが胸が痛くなる。自分にとっての師のようなもので、面倒を見るために側にいるメイドや騎士たちとは違う存在だった。
無事に帰ってきてほしい。
アレは魔法文字の人に手紙を送ろうと思った。しかし、アレは、紙やペンを持っていない。勉強はお下がりの石版とチョークでしていた。紙やペンは高価なのだだ。子どもに与えるものではない。ましてや、虐げられている姫が持てるものでもなかった。
アレは少し考えた。
家に帰れば端布(はぎれ)があったはず。
端布にインクベリーで手紙を書こう。明日の朝までに持ってくれば、返事を見に来てくれるかもしれない。
そう思ったアレは、せっせとインクベリーの実を摘むことにした。
インクベリーはその名の通り、潰した果実がインクのようなのだ。うっかり潰して服につければ、紫色のシミになってしまう。アレも白いワンピースによくつけてしまっていた。
そのたびにマルファたちは「困ったわね」と笑いながら、シミが柄に見えるようインクベリーで絵を描いてくれたのだ。
インクベリーをせっせと摘んで、帰りには標樹のつぼみを一振り取ってもらった。
標樹を明かり代わりに、ここへ戻ってくるためだ。
アレは家に戻り、マルファたちが帰るのを見計らってから、こっそりとベットから降りた。
騎士の仕事はアレを外部の敵から守るのではなく、皇帝に会わせないことが目的のため、アレが寝ている時間の警護はない。だから一回目の人生であっさりと殺されてしまったのだ。
インクベリーの実を指先で潰す。ハンカチに指でまじないをする。インクベリーの紫の果汁が、ハンカチの中央に三本の放射線を描く。難しい文字は書けそうになかったので、覚え立ての魔法文字を一言書く。
―― 守 ――
そうして、指先についた果汁を持て余し、こっそり下着で拭いた。
アレは土蔵の片隅には小さな穴が開いていることを知っていた。二度目のループの時に気がついて、この穴をコツコツと押し広げ抜け出したからだ。きっと以前住んでいた皇女が隠れて彫っていたものなのだろう。今回も同じ場所に同じ穴がある。三歳児なら抜け出せそうだ。穴を隠すように置かれていた木箱をずらして外へ出た。
標樹の枝を持ち、広場へ向かう。標樹の大木はその花を光らせていたので、夜でも迷うことはなかった。
木の下へ行ってみる。
追加の魔法文字はない。
アレはキョロキョロとあたりを見渡したが、人の気配はなかった。
ほっとする。
良かった。まだ来てない。それに、誰もいない。
魔法文字を教えていた相手がアレだとわかったら、きっと相手は困るだろう。もう二度と教えてくれないかもしれない。
アレはまず標樹の枝を二つ並んだ石の上に置いた。その下に端布を置き風で飛ばされないように石をのせる。そうして跪き、組み合わせた小さな手を額につけ祈る。
「あの人に届きますように。無事に帰ってきますように」
ウンウンと真剣に祈りを捧げ終わると、枝を持ってスックと立ち上がる。
あくびが一つ漏れる。
いつもより遅くまで起きていて眠いのだ。
アレは、眠気を振り切るようにしてかけだした。誰にも見つかってはいけない。
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