第40話 バナナのこと (かつての投稿時テーマ 黄色)

 バナナが目の前を過ぎて行った。

 いつものことである。

 半透明の黄色いバナナが、視界を、右上から左下に向かって過ぎて行った。

 今のバナナは、ゆっくりと過ぎて行った。

 過ぎるバナナの速度は、時々で異なる。

 刹那で過ぎゆく時もあれば、銀杏の葉が舞い落ちる速度よりも遅い時もある。

 今のは、銀杏の速度の1.5倍くらい。

 バナナは、腕と指を、思いっきり伸ばしたその先1センチメートルくらいを通り過ぎて行くのが常だ。

 幼児の時から、ずっと同じだから、通り過ぎて行くバナナとの距離は変化してきている。

 だが、この先しばらくは変化しまい。明日から大学に通う年頃なのだ。自慢だが、通う先は東京大学だ。そう、あの銀杏の葉が校章の大学である。嘘である。東大入学が嘘ではない。校章が銀杏の葉だという事が、である。東大が事ある毎に使っている、あの銀杏は「銀杏バッチ」と言うものであり、校章ではない。と、うんちくを垂れようとしたら、知らない間に「東大マーク」というものが出来ていた。2枚の銀杏を重ねた感じでデザインの、今の時代に良く合う軽薄なマークだった。

 何の話をしていたのだろうか。そう、バナナだった。

 目の前を、半透明の、だが鮮やかに黄色いバナナが、斜めに通り過ぎていくのが日常だという話だった。

 断わっておくが、通り過ぎるバナナは、必ず鮮やかな黄色をしているのだ。緑っぽい部分がいやらしく残っていたり、あざとい黒の斑点が入り込んでいたり、などという事はけっしてないのである。

 通り過ぎるバナナは、必ず、鮮やかな黄色なのである。黄色でないと駄目なのである。黄色でないとテーマに沿わないのである。

 黄色い、鮮やかに黄色いバナナが通り過ぎて行くのは我が家の伝統である。

 旧石器時代、先祖が黄土の大地で暮らしていた頃にエスペラント語で認めた日記が我が家に残っているが、そこにも黄色い、黄色い、鮮やかに黄色いバナナの記述がある。

 我が家ではみなバナナを見る。

 妹の場合は、視界の下側ぎりぎりを、2センチメートル位の長さの黄色い、黄色い、黄色い、鮮やかに黄色いバナナが、数房の単位で踊る様に歩いて行くのだそうだ。1房に付いている黄色い、黄色い、黄色い、黄色い、鮮やかに黄色いバナナは必ず2本で、それが交互に前へ出ながら、モンローウォークして行く。

 父のは豪快である。数日に1度くらいの割合でしか通り過ぎないらしい。その代わり、通り過ぎる時はスコール状態だ。数千、いや数万本か。それくらいの数の黄色い、黄色い、黄色い、黄色い、黄色い、鮮やかに黄色いバナナが垂直に降り注ぐ。それが数分続く。危ないので、父は運転免許を持っていない。

 母だけ、通り過ぎる、を知らない。最近、母はバナナケースを買った。色は黄色だったが、あまり鮮やかではない。それを天井から吊るし振り子運動をさせ、その前に座っているのが母の日常になっている。




【蛇足的な補足】

10年ほど前、円城塔氏の「バナナ剥きには最適な日々」にインスパイアされて、一気に書きなぐるように仕上げた作品です。

いやぁ、若気の至り的な掌編です。

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