第5話 常世送り (かつての投稿時テーマ「九州・沖縄」)

 日本人が仏教を内包し得たのは、やはり西方より伝来した宗教であったことが大きいと思っています。

 沈みゆく太陽の方角へ、死者を送ることが出来ると思わせてくれるのでしょう。

 長崎県の嵯峨ノ島は、本当に小さな島です。九州の最西端に位置する土地だという特徴がなければ、地勢誌には載る事もないと思われます。

 私が嵯峨ノ島に移り住んで、もう十年以上になります。おそらくは、ここが終の棲家となるのではないでしょうか。

 私はこの島で生まれました。大人になり島を出て、結婚して、子育てを終えて、伴侶を亡くして、そして島に戻って参りました。

 子供の頃よりは随分とましになりましたが、それでも様々ことが不便で、郷愁が伴わなければ戻って来ることはなかったのではないでしょうか。

 私は、島の西側にある小さな古家に住んでおります。自宅の隣にはお寺があり、そこの御住職夫妻には、引っ越してきた当初から、色々と良くして頂きました。

 お二人は、四年前に相次いで他界され、それ以来、無人になったお寺は私が世話をさせて頂いています。

 祭事には別の集落より、お坊様に来て頂けますが、このお寺にあります墓地等のお世話まではとても頼めませんから。

 このお寺は、意外に来訪者が多いのです。お寺は、高台に建っていて、見晴らしの良い境内からは海が見渡せます。確かに冬の季節風が強く吹き付ける日は大変なのですが、逆に晴れて穏やかな時は絶景となるのです。

 お寺を訪れる方たちの半分以上が、島の外よりいらっしゃいます。その方たちは、境内より海を眺め、水平線の先へと思いを馳せていらっしゃいます。

 愛する方に先立たれた時、残された方の多くは、旅立ちゆく魂の事を思うのでしょうか。

 人は、死者の魂は太陽と共に西へと旅立って行くと感じているのかも知れません。

 多くの方が、愛する方の魂を追って行けると信じて、いつかは追い付けるかもと僅かな望みを抱いて、日本列島を西へ西へと下って、この島に辿り着くのです。

 この島の先には、もう大地はないのです。正確には済州島、ユーラシアと大地はあるのですが、そこは日本ではなく、常世へと続く道はないと思われるのです。

 だから、多くの方が、この境内の際に立ち、この先には行けないと悟り、哀しみと憧憬を胸に抱いて、水平線を、魂の行く先を見つめ、最後の野辺送りをされるのです。

 かく申します、私も同様でございました。

 何もない島の本当に小さなお寺なのに、先の御住職夫妻が大事に守ってこられ、その後を継いで私が心を傾けてお世話をしているのは、その様な事情があるからなのです。

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