26 特別活動

 たぬきの塾に来るのは大体ディスカバリー隊の活動がある土曜日だけ。

 平日に来ることは少ないから普段の様子はそこまで把握していないけど、ディスカバリー隊の面々はだいぶ覚えた。

 土曜日は臨時の活動とのことで、もちろん参加していない子もいる。でも大体いつも五、六人、多い時には十人くらいは参加しているようで、年齢も小学校五年生くらいまでの子が多い。


 今日も受付の大学生に挨拶をして、エヤとミケを大広間まで送りに行く。本当は直音さんが来るはずだった。だけど来られなくなったからエヤたちは明るく振舞っているけど心のどこかでは落ち込んでいるだろう。

 だから今日は活動が終わるまで俺もその様子を見学させてもらうことにした。

 それをエヤに伝えると、きらきらと瞳を輝かせてまるで俺を崇めるように手を組んで見上げてきた。

 でもその姿を見ていると、天使であるエヤと本来の立場が逆になってしまう気がしてちょっと変な気持ちになった。


「イタル。…………ノト、忙しいの?」


 すでに三人の子どもたちが集まっている大部屋に駆け出していくエヤを見送っていると、ミケがぼそっと俺に向かって呟く。急用ができた直音さんのことを心配してくれているんだろうか。ミケはエヤの後ろに下がりがちだけど、きっちりと周りを見て気を利かせてくれる。ミケが俺を見上げたまま口を閉じたので、片膝を立ててミケと目線を合わせた。


「うん。ちょっと忙しいみたいだね。会社関係の用事だってさ。大変だけど、働いてるとそういうこともあるよ。今日は駄目だったけど、ミケとエヤにまた会おうね、って言ってたよ」

「本当?」

「ああ。直音さんもミケとエヤのディスカバリー隊の報告を楽しみにしてるってさ。だからミケ、今日の活動もがんばってね」

「うん……!」


 ミケは唇を結んだまま大きく頷くと、さっそく輪になって話しているエヤたちのもとへと走っていった。

 畳に座り込んだ輪は五人になり、皆、ミケが来たことを歓迎している様子だった。

 今日の参加者は小学五年生の男の子一人、三年生の男の子一人、そしてなんと珍しいことに中学一年生の女の子が来ていた。その子とは前にエヤたちと買い物に行ったときに顔を合わせたことがあった。二人が親しげに挨拶をすると、はにかみながらも嬉しそうにしていた姿をよく覚えている。中学生だからエヤやミケと比べると当然しっかりしていて、俺に対しても礼儀正しくお辞儀をしてくれたのが印象的だった。


 確か名前は山井泉美さん。小学校までたぬきの塾に来ることが多かったみたいで、私立の中学校に進学してからも休みの日は暇なときに遊びに来ているらしい。

 今日は一番のお姉さんになるから、率先して周りの四人の小学生たちをうまくまとめてくれていた。


「至さん!」


 五人の微笑ましい会談を見ていると背後から陽気に肩を叩かれる。大志さんだ。


「大志さん。おはようございます。今日もお世話になります」

「うんうん。今日もよろしくね、至さん」


 大志さんは五人が今日何をやるのか意見を出し合いながら自分たちで決めていく様を興味深そうに見つめる。

 彼は子どもたちの主体性を尊重しているようで、こうやってあまり口を挟むことはしないで一歩遠くから見守ることに努めているようだ。


「今日は何をするんだろうねぇー」


 そんなことを言いながら、対局者のいない囲碁盤の前に座り込んだ。

 俺も子どもたちの邪魔をしたくないから大志さんのすぐ近くに座り込む。大志さんの言う通り、こっちのことなど気にせずに楽しんで欲しい。だから部屋の隅で出来る限りの存在感を消す。

 五人を眺めていると、まずはエヤが挙手をして意見をすべて言い切り、それに対して男の子たちが首を傾げる。ミケがぼそっと小声で何かを呟くと、三年生の男の子は首を横に振って青ざめた顔で震えた。

 議論が停滞すると、すかさず泉美さんが交通整備をしてくれる。彼女の話の捌きが上手いおかげか、話はあまり行き詰まることもなく進んでいく。


「……泉美ちゃん、すっかり成長したなぁ」


 様子を見ていた大志さんが感心するように呟く。俺が声につられるようにして彼を見ると、大志さんは横目で俺を見てから爽やかに笑う。


「泉美ちゃんね、小学校の時にちょっと怪我しちゃって、足に大きな傷跡が残ってるんだ。それをからかわれて学校に通うのが怖くなってさ。母親と一緒にここに来たんだ」

「そうだったんですか……」


 泉美さんが皆の意見をまとめてホワイトボードに書き出しているところを見やると、彼女はそんな辛いことなんてなかったかのように笑っていた。


「虐めてたのは主に男の子で、クラスの人気者だったんだって。だからそれに迎合するように皆が一緒になってからかうようになっちゃって。すごく居心地が悪かっただろうなぁ。泉美ちゃんだけじゃなくて、他の子もきっとそうだったと思う」

「……そうですね。クラスでそんなことがあると、楽しい気分にはなれないかな」


 小学校の頃、似たような感覚が傍にあったことを思い出す。

 クラスに転校してきた女の子が話す言葉が独特の訛りがあったことがある。そのせいか、悪気のないふりをして揶揄する子たちがいた。だけどその子はその言葉が普通だから何に指をさされているのかもわからなくて、何も悪いことをしていないのに哀しそうな顔をよくしていた。


 彼女が転校してきてから一か月が過ぎて、だんだん彼女の声を聞く機会が少なくなってきたことに気づいた。

 俺はその時、クラスの子たちは彼女のことをただ物珍しさからちょっとした遊びのつもりでからかっているのかと思っていた。でも静かになってしまった彼女の顔をよく見ると、それは違うとようやく気が付けた。

 だからある日の放課後に、席も遠くてまともに彼女と話したことがなかった俺は意を決して声をかけた。正直、そこまで社交性があるわけでもなかったからすごく緊張したけど。


 彼女は最初、俺が声をかけた時に怯えたような目をしていた。睨まれたような気がした俺も緊張で喉がカラカラだったから声がかすれて。その声が可笑しかったんだろう。俺の意図しないところで彼女は笑ってくれた。

 その日から彼女とは少しずつ仲良くなって、彼女は徐々にクラスへも馴染んでいった。転勤族だった彼女がまた転校してしまうころには皆、彼女との別れを惜しんだものだ。


 きっとその時も、クラスメイトの中には彼女ともっと仲良くなりたいと思っていた子がいたはずだ。だけど環境がそれを跳ね除けた。

 今思えばそんな周りのことなんて気にするまでもないんだけど。

 昔を思い返していると、大志さんが頬杖をついて姿勢を崩す。


「先生に相談したら、たぶんその男の子は泉美ちゃんのことが好きだからからかってる、としか言われなかったんだってさ。ふざけてるよね、好きだから虐めちゃうなんて言葉で封じ込めるのは」


 大志さんはやれやれと肩をすくめる。


「お母さんもそれに困っちゃったみたいでさ、たぬきの塾を見つけてくれたんだ。まだ開校したばっかりだったから、俺もまだ不安はあって。でもここに通って、少しでも元気になって欲しいなぁって思ってたら、あっという間に立派になっちゃって。卒業してからもこうやってお手伝いに来てくれるから、すごく助かってるんだ」


 ホワイトボードに書いた”たぬきの塾の飾り付け”に大きく赤丸をつける泉美さんのことを誇らしげに見つめながら大志さんは嬉しそうに笑った。

 するとその視線に気がついたのか、泉美さんがこちらを見て楽しそうな声を弾ませる。


「大志さん! 今年も飾り付けをしていい?」

「うん! もちろん! その言葉を待ってたよ!」


 大志さんはありがたやーと手を合わせて泉美さんたちに軽く頭を下げた。

 このイベントシーズン。街中と同じくたぬきの塾もオーナメントやら電球やらで賑やかに着飾るらしい。

 子どもたちはどういったテイストの飾り付けにするのかを主に話し合っていたようだった。

 大志さんの快諾に再び子どもたちの声が沸き上がると、廊下の向こうから大志さんを呼ぶ声が聞こえてきた。


 彼が呼び出しに向かっている間、代わりに俺は子どもたちの様子を見守る。放っておいても全然問題はなさそうだけど、用心は必要だ。

 エヤとミケに目を向けてみる。こうしてみると、本当に普通の人間の子どもだ。むしろそれ以外になんて見えない。真実は目に見えるものだけじゃないとはよく言ったものだ。


「至さん……、ちょっといいかな?」


 子どもたちが過去の装飾を引っ張り出しているのを見ていると、横から大志さんがやけに声を潜めて手招きをしてきた。


「どうかしましたか?」

「はい。ちょっと……」


 珍しく大志さんの眉尻は下がり、申し訳なさそうに微かなため息を吐く。


「姉に呼び出しされまして……。どうやら新年のパーティーの準備の発注でミスがあったみたいで。取引先の人と一番親しいのは俺だからって、ちょっと交渉に引っ張り出されまして……」

「え……? 今ですか?」

「本っっ当に申し訳ないです!! 至さん、俺、速攻で話をして戻ってきますので、その間子どもたちのこと見てもらえませんか? もちろん! お礼はするので……!」


 大志さんは両手を合わせて勢いよく頭を下げてくる。声の端々からも申し訳なさが伝わってきた。

 もはや彼は俺にとっての救世主。いつもお世話になっているのに、そこまで腰を低くしてもらう必要なんてないのに。


「はい。大丈夫ですよ。俺が見てますので、大志さんは気にせずに行ってきてください」

「本当ですかっ!? 至さんー! ありがとうございますー!」


 顔を上げた大志さんは表情を一気に明るくさせて俺に軽くハグをしてきた。


「じゃあ急いで行ってくるので、何かあったら電話してくださいね! あ、受付の子にも手伝わせてもいいから!」

「はい。お気をつけて」


 大志さんはキリっと眉を上げると、指先まで神経を研ぎ澄ました敬礼をして駆け足で玄関の方へと向かって行った。

 彼は姉弟が多いと言っていた。多分、今言っていたお姉さんは姉弟の中で一番しっかり者だというグループ会社を経営している方……かな?

 大志さんは彼女には頭が上がらないのだとか嘆いていたのを覚えている。


 彼が玄関を出て行った音が聞こえると、勘のいい泉美さんが取り残された俺のことを見て首を傾げた。

 泉美さんに事情を説明すると、彼女はすぐに理解してくれて俺によろしくお願いします、と頭を下げてくれた。大志さんの言った通り、すごくしっかりしている立派な子だ。

 頼もしい彼女がいるおかげで、大志さんがいなくとも大きな問題も起こることなくたぬきの塾は順調に華やかな雰囲気へと姿を変えた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る