11 おてがみ

 ミケにゲームを与えたのは間違いだったのだろうか。

 金曜日の夜を迎えた今、俺は先週の自分の行いを省みてみる。

 夕食の片づけを終えてソファの定位置に座ろうとしても、ここ一週間ずっとそこを予約していたかのように居座っているミケにそれを阻まれた。


 空いているスペースに座ろうとも、たぬきの塾の宿題として出された工作をするために画用紙と格闘しているエヤがかなりの陣地を取っているから場所がない。

 いや床に座ってもいいけどさ。でも俺もちょっとふかふかしたクッションに身体を沈めたいんだよね。

 ダメもとで、ずーっと手元の明かりに集中しているミケに声をかけてみる。


「ミケ」

「んー」

「俺も座りたい」

「んー」

「ミケー?」

「んー?」


 ちゃんと聞いているのかこの子は。ミケの顔を覗き込んで首を傾げてみると、スマホに目は釘付けのまま動きだけは真似してきた。


「…………まったく」


 雨臣さんの気持ちが心に染みるほどに分かってしまうとは。

 俺はソファに座ることを諦め、画用紙が散らかったエリアから少し離れた場所に座り込む。ちらりと色とりどりの紙の束に目を向ける。エヤはハサミという刃物を持っているからか珍しく大人しい。でも鼻歌を歌っているから静かっていうわけでもない。

 ミケがゲームをやるようになってから、彼女はその魅惑の世界にすっかりハマってしまったようだ。俺も人のこと言えないから偉そうなことを言う資格なんてないけどさ。でもこうもずっとゲームばかりやっている姿を見ると、やっぱりどこか不安になってしまった。根拠なんてないし、楽しいのは知っているから悪いことなんて思ってはいないんだけども。


 しかしミケがスマホを占領するから、俺もなかなか時間を持て余してきた。本を読んだり、パソコンを開けばいいんだろうけど、そうすると集中しちゃって二人が何かしでかさないか注意を向けられなくなる。

 俺はそこまで器用じゃない。だからスマホくらい半端な意識で見れるものがちょうど良かったんだよな。

 もう風呂でも入れて強制的に二人には寝てもらおうか。

 そう考えながら、俺はエヤの工作を意味もなく観察する。俺はその時どんな目をしていたんだろう。パッと目が合ったエヤがにこーっと笑う。


「カシノもやりたいだすか?」

「は?」


 そんなに工作したそうな目をしてた?

 俺がぽかんとしていると、エヤはご丁寧にハサミを持ってきてくれた。


「今ね、ピニャータを作っているんだす。タイシサンが教えてくれただす」

「こんな画用紙で作れるの?」

「はいだす。土台はタイシサンが作ってくれただすから、今は飾り付けを作ってるんだす!」


 そういえばなんか大きな丸い物体を持ち帰ってきてたな。

 二人の部屋に置いてある謎の塊を思い出し、俺はなるほどと納得する。


「カシノも手伝っていいだすよっ!」

「手伝ってくださいじゃないんだね」


 俺がハサミを受け取ると、どや顔でふふんと鼻を鳴らすエヤ。まぁやることもないし、たまにはいいか。

 エヤは俺が画用紙を手に取ると嬉しそうにここからどうすればいいのかを教えてくれた。結局俺はエヤが作った円錐や飾りに切り込みを入れて本体にくっつけられるように糊付け面を作る役割を担うことになった。

 ひたすら画用紙に切り込みを入れ、無心でエヤの弟子に徹底した。

 最後にこんな風に何かを作ったのはいつだろう。改めてやってみると意外と疲れるものだ。でもこうやってちょっとした童心に返るのも悪くはない。


「あ……」


 俺がエヤの奏でる鼻歌を思わず一緒に口ずさみそうになったところで、ミケが声らしき声を何十分かぶりに発する。

 俺が顔を上げると、ミケはスマホを見たまま首を捻っていた。


「フリーズでもした?」


 俺のスマホそこまでハイエンドでもないし過重労働でガタが来たかも。そう思い問いかける。


「ううん。ちがう。チャット……? が、きた」

「チャット? 誰から?」

「と、のー、のーて?」


 ミケが眉間に皺を寄せて文字を見つめているので、俺は立ち上がって彼女の後ろに回った。

 ゲームは世界中の人がプレイしているから、当然チャットとか音声通話も出来る。俺はそういう機能はそこまで使ってはいないけど。

 ソファの背もたれに手をついて、ミケ越しにチャットのことを確認する。


「ああ。ノートさんね」

「のーと?」


 ミケがくるりとこちらを振り返った。


「そう。NOTEで、ノート、だよ」

「へぇ。……で、誰?」


 もう一度チャットを確認したミケはそう言ってまた振り返る。


「この前知り合った人。ちょうど彼女も今ゲームやってるみたいだから、わざわざ挨拶してくれたんだよ」

「ふぅん」


 初橋直音さん。病院で会った彼女のことを思い返しミケに説明すると、ミケは疑問が解消されたようですとん、と前を向く。


「こんばんは。って書いてあるから、こんばんは、って返しておいて」

「うん。わかった」


 ミケはすっかりスマホに慣れた様子で文字を打ち込む。初橋さんのプレイヤー名は”NOTE”。恐らくだけど、自分の名前と掛けているんだと思う。俺のプレイヤー名”I”よりよっぽど立派な名前だ。


「カシノー! 作業が止まってるだすよー!」

「はいはい」


 ミケがちゃんとチャットを返したのを確認し、俺は再びエヤの弟子へと舞い戻る。ピニャータの本体につける飾りって言うけど、なんか作りすぎなような気が。俺は円錐を手に取り、その数を数えた。

 ピニャータには基本的にツノの飾りを七つつけるらしい。どうもカトリック教会の七つの大罪を表しているんだとか。それを叩いて消滅させて、ご褒美にお菓子が降ってくる、と。

 たくさんあるように見えたツノは、確かに七つ用意されていた。けどエヤが他にも飾り付けをしたいんだろう。なんだかよく分からない形のものまで控えているのが見える。

 どちらにせよ、俺の役目は糊付け面の作成だ。俺はまた無心でハサミを握りしめた。

 ハサミが手に馴染み始めた頃、またミケが声を出す。俺は手元から目を離さずに返事をした。


「イタル、来週の土曜日って空いてる?」

「二人に何もなければ空いてるよ」

「わかった」

「…………っえ?」


 ばっと顔を上げると、ミケが粛々とスマホに何かを打ち込んでいる。


 何々? 今、何て言ったの?


 正直ミケの言葉が耳から流れて行ってしまっていた俺は手を止めて慌ててミケの方へと向かう。


「はい。返事したよ」

「え? ……え?」


 ミケはどーんとスマホの画面を俺に見せつける。


“はい。行きましょう”


 ミケの着せ替え人形と化した狼のアイコンの横にはそんな文字が浮かんでいた。

 その下には、あの可愛らしいキャラクターのアイコンの隣に飛び出た吹き出し上に文字が並んでいてこう書かれていた。


“Iさん。もしご都合がよければ、なんですが……来週の土曜日、ゲームのイベントに行きませんか?”



 エヤのつくったピニャータは、後日無事にたぬきの塾にて叩き割られその役目を果たした。大志さんが子どもたちにたくさんお菓子を渡したようで、その日二人は鞄一杯にお菓子を詰めて帰って来た。

 あまりお菓子を食べる習慣がなかった俺は、二人にばかり食べさせるのもどうかと思ったので職場で配ることにした。いつもチョコレートを幸せそうに食べている藍原さん。ビターばかり食べているので甘いものは口に合わないかもと少し気になったけど、彼女は嬉しそうにお菓子を受け取ってくれた。


 だがやはり俺がお菓子を持ってきたのがちょっと異様だったのだろう。こんなにたくさんのお菓子をどうしたの? と聞かれ、俺はスーパーの景品に当たったとしか答えられなかった。

 エヤとミケが来てからは嘘をつく機会も増えて、その度に藍原さんにはなんだか申し訳なくなる。

 かといって素直に話すこともできないし、こればっかりは時間が経とうと慣れようにもなさそうだ。

 一方で俺はまた別の問題を抱えている。いや問題って程じゃないんだけど。

 家まであと少しというところでスマホから振動が伝わり俺は画面に目を落とす。


“明日はよろしくお願いします!”


 初橋さんからのメッセージだった。


“こちらこそ”


 早めに返信をしてスマホを閉じる。

 ミケが勝手に返事をした彼女のお誘い。明日はそのエンチャンテッドロードのイベントに行く日だ。

 ゲームのチャットだけだと不便なので、彼女とはゲーム上でメッセージアプリの連絡先も交換した。そのアプリ上での彼女のアイコンはどこかで撮った雪だるまの写真で、ゲームで見せる彼女の姿とはまた違っている。


「あ。そうだ」


 俺は思い出してもう一度スマホをつける。


“明日大丈夫か?”


 心寧に最後の確認のメッセージを送った。

 エヤとミケが来て一か月ほどが経つ。その間の休日は二人と離れることはなく、明日が初めて俺が不在になる日だ。たぬきの塾も開いているとのことだったが、すぐにそこに頼るのは悪い気もして念のために心寧に相談したところ快く遊び相手を引き受けてくれた。

 急に予定が変わることもあるかもしれないから一応の確認をしておかないと。

 心寧はまだ仕事中だろう。マンションについた俺はスマホをしまい、郵便受けを確認する。


「お。なんだこれ」


 見慣れない封筒が入っている。普通のよくある定型サイズだけど、色がオーロラの折り紙みたいで不思議な気持ちになった。宛名も何も書いてない。差出人を見てもそこにも何も書いていない。

 怪しい。見るからに怪しいけど、恐らくこれはあれだ。

 俺はなんとなくの予感を信じて糊付けされていない封筒を開ける。


「やっぱり」


 思わず声が出た。

 中に入っていたのは数枚のお札。これはマーフィーからのものに違いない。

 エヤとミケにかかった生活費を送ると言っていたが、こういう形で来るのか。

 俺は封筒の中を観察し、一枚のメモが入っていることに気づく。


樫野至

あなたは本を買い与えすぎ

無駄に出費するのは対象外にしますよ


 天からの御小言だった。


「それはすいませんねぇ……」


 久しぶりにため息が出ていった。マーフィーは内訳もしっかり管理しているようだ。

 こりゃ無駄遣いをしたらまた何か文句を言われそうだな。

 封筒を鞄に入れて部屋へと帰る。

 それでもこの一か月の間、自分は随分と頑張ったんじゃないだろうか。

 全く知らない世界の住人から小さな二人を預かることになって、目を回しながらもなんとか今を生きている。


 近所の人にも親戚の子どもということでちゃんと通用できたし、今のところ捕まる恐れもないはずだ。

 弁当作りとか、一人だとサボりまくっていたのに今やサボれなくなった夕飯作りにも慣れてきたし、よくよく考えたら自分、順応能力が結構あるのかも。

 ささやかな感心を自らに寄せて階段を上がる。

 でも二人のおかげでたぬきの塾や大志さんの存在を知れたし、いいこともあったと思うし。マイナスなことばかりじゃないな。

 家の扉の前に立ち、鍵を鞄から取り出す。


 それに明日は…………。


 僅かに緊張が指先まで走った。


「はぁ……ミケのやつ……」


 最近はすっかり数が減っていたというのに、また息が出て行く。短い間隔でため息を繰り返すと、鍵を持ったまま動きが止まる。重くなってきた頭が項垂れていった。

 脳裏に浮かぶのは病院で見た初橋さんの笑顔。

 彼女と出かけるのが嫌なわけではない。むしろイベントとかなかなか自分からは行かないだろうし、楽しみな気もする。

 けど。

 初橋さんはまだ知り合ったばかりだし、互いのこともよく知らない。

 彼女は当然エヤとミケのことは存在だって知らないだろうし、俺も彼女の職業も住んでいるところすら知らない。


 ゲームという共通項はあるけど、せっかく誘ってくれたイベントで退屈な思いをさせてしまったら申し訳ない。

 病院の話は、あんまり持ち出したくないし。

 彼女が見せたもう一つの表情を思い出し、俺はそっと顔を上げる。

 …………そうだな。そんなに気負わないでいこう。

 彼女が俺のことを退屈だと思ったら、きっともうあまり話しかけてこようとはならないだろうし。決めるのは彼女だ。

 最近確かに俺は自分を偽りすぎている。嘘をつくことは多分、まだ避けられないけど。


 でも明日は少し違う。

 明日の俺はただ、エヤとミケに出会う前の本来の俺に戻ればいいだけ。変に取り繕うのはやめよう。


「ただいまー」


 扉を開けると、どったばったと駆け足が迎える。


「おかえりなさいだすーっ!」

「うん。ただいま」


 また宿題でもしていたのだろう。両手に緑色のペンキのような跡をつけて走ってくるエヤ。

 俺はその笑顔に少しだけ肩の力が抜けたような気がした。


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