婚約破棄?上等です落とし前はつけますし逃がしませんよ。

桁くとん

第1話 前編




 私は今王宮の広間にいて、手にはフルートグラスを持ち、一人佇んでいる。

 手に持ったフルートグラスに入った果実酒の甘い香りに誘われ、グラスに口を付けると、爽やかな酸味と、仄かな甘み。

 飲み干さないようにゆっくりと味わう。


 今宵は王宮の賓客ひんきゃくをもてなす広間を貸し切って、この国の魔法学園の卒業記念パーティが開催されている。魔法学園は3年前に開設され、今回初めて卒業生を送り出すことになる。


 魔法学園は出来立てほやほやといってもいい。


 一応出来立てほやほやの理由だけれど。


 我が国、アレイエム王国は最大の封土を持つニールセン王家を盟主とした貴族の連合国家。封建社会から脱し切れていない。貴族領内は支配貴族が法を施行し治めており、王家の法は王家直轄領内のみで貴族領には及ばないことになっている。


 だから、国内貴族同士でガチの領土の奪い合いとか、近隣他国のエイクロイド帝国やイグライド連合王国に唆された貴族が反乱とか、サツバツとしていたのだ。


 5年前、エイクロイド帝国国境の貴族の寝返りをきっかけにエイクロイド帝国の直接侵攻を受けた我が国は、領土の5分の1を割譲かつじょうし、賠償金まで支払わされる屈辱的な敗戦を喫した。


 この敗戦でニールセン王家の威信は低下したが、敗戦の大きな原因はアレイエム王国の旧態依然とした政治形態にあると他の貴族も理解している者は理解していた。ニールセン王家は必死に近代国家へとアレイエム王国を改革するべく様々な施策を進めている。貴族同士の争いを裁くためが主だった王国法を改定し、新たな法制度の整備や、全国民に参加資格があると謳った剣術全国大会の開催など「アレイエム王国民」という意識を全ての民に持たせるための様々な方策を打ち出している。


 魔法学園もそんな方策の一つ。国内の全ての民が平等に魔法の才能を伸ばせる場、として3年前に王都アレイエムに設立された。アレイエム王国内で入学を希望し学費を払える15歳以上の者は入学できる。


 国内全ての民に門戸を開いている、とうたわれているが、魔法を使える才能は貴族や宗教者、王国内自治都市の有力商人など富貴な身分の者が持っていることが殆どで、小作人や雇われ職人など所謂平民が魔法の才能を見せることはまずない。また、学費を工面できるものも限られている。


 だから魔法学園に入学する者も富貴な身分の子弟が殆どだ。卒業を迎える3年生50名のうち平民からの特待生を除き全て貴族の子弟となっている。


 今宵のパーティには、卒業する3年生の保護者の貴族たちも大勢出席している。来賓として最上位の貴賓席には国王ダニエル=ニールセン陛下と正妃イザベル陛下も臨席されている。


 国王夫妻は魔法学園の設立者。だけでなく今年と来年は卒業生の保護者の立場でもある。


 わざわざ王宮の広間を使って卒業パーティを開催するというのは、アレイエム王国が国家発展の方策として魔法学園を重要視しているということも当然あるが、二人の王子が魔法学園に在籍していることも大きな要因だ。


 第一王子ジョアン=ニールセン殿下は今年度の魔法学園主席卒業生だ。


 18歳のジョアン殿下の得意魔法は「土」だが、満遍まんべんなく各魔法を使いこなせる上、偏屈で知られた魔法学園の教授と意気投合し、新たな魔法の摂理を解き明かす研究に多大な貢献をしている優秀な方なのだ。


 性格的には誰とも分け隔てなく接し温かみがあり口数も多く楽しい方だが、一部の者からは裏で何を考えているのかわからない、軽薄で王族としての威厳がない、と評されることもある。


 半年遅れで生まれた第二王子ジャルラン=ニールセン殿下も魔法学園に在籍している。


 学年は第一王子のジョアン殿下の一つ下の17歳で、私と同学年。 


 得意魔法は「風」で、兄に劣らず各魔法を使いこなせる優秀な方で学年主席だ。


 また剣術などの武術も優秀で、王国民全員が参加できる剣術全国大会で騎士を向こうに回し入賞する腕の持ち主だ。


 性格は兄のジョアン殿下とは違って口数は少ないものの発する言葉一つ一つ理にかなっており、やはり一部の者からは兄よりも王にふさわしい威厳が備わっている、と評されている。


 長々と語ってきた私はジャニーン=ハールディーズ17歳。公爵令嬢で第一王子ジョアン殿下の婚約者だ。


 ちなみに私の両親はこの卒業パーティには出席していない。


 父のガリウス=ハールディーズ公爵は、自分たちが関係していようとも王都の社交界にはとんと興味を示さない。自家の実力に自信があるからこその態度だ。


 アレイエム王国でニールセン王家に次ぐ広い封土を持つハールディーズ公爵家の家風は質実剛健。今頃は私の兄である嫡男ダリウス=ハールディーズと共に、北の領境に出没する野盗集団でも追っかけまわしていることだろう。


 お母さま、ジュディ=ハールディーズ公爵夫人も基本的に王都には出てこない。


 脳筋なハールディーズ家の男共が好き勝手にできるのも、お母さまが領内の統治や流通などの屋台骨を支えているからだ。


 お母さまは貴族の社交の場なんて魔窟だから近寄らないに越したことはない、というのがポリシーで、自治都市の商人たちや、他国系の商人と独自の伝手を築きあげている。昔は正妃陛下と共に社交界を盛り立てていたらしいが、何があっての心変わりなのかはわからない。


 「でもあなたが卒業する時には、どの程度貴族女性としての振る舞いを忘れていないか見せてもらおうと思っているの。必ず出席するわよ」と美しい切れ長の目を光らせながら言っていた。楽しみより怖さの方が大きい。


 何故私がこんなに長々と心の内で独白しているのかというと、暇だからだ。


 婚約者のジョアン殿下は私を会場内までエスコートした後、来賓として最上位の貴賓席に招かれた彼の両親がパーティの開幕を宣言すると同時に「個人的な挨拶に回ってくる」と私を一人残し、人込みに溶け込んでしまった。


 放ったらかしだ。


 どんな格式のパーティでも王族や貴族が婚約者を伴い出席したのであれば、パーティが終わるまで婚約者をエスコートするのが当然の責務というものだけど。

 他のパーティなら殿下の行為はマナー違反で、社交界での格好の攻撃材料になる。


 ただ、魔法学園卒業パーティは今回が初開催で、魔法学園は僅かながら平民出身の者も居り、建前上学園内は身分差なく会話できることとなっている。貴族社会のフォーマルな格式をどの程度魔法学園の卒業パーティに当て嵌めていいものなのか、試行錯誤の段階なのだ。


 国王陛下からは卒業パーティ開幕の挨拶の中で、身分差はあれどアレイエム王国を将来共に支える者として楽しく実りある歓談を、との言葉を賜っている。


 そう考えるとジョアン殿下が会場内で私のエスコートをしないのも、私は私で様々な参加者と歓談できるように配慮している、とも取れる。


 王族として、王太子争いの当事者として、少し、いや、かなり軽率な行動だと思うけれど。


 ダニエル=ニールセン国王陛下は王太子を未だに定めていない。私という婚約者がいるジョアン殿下が王太子に近いと見られているが、ジャルラン殿下は正妃イザベル陛下の子。婚約者さえ決まればジャルラン殿下が王太子に選ばれると見る向きもある。イザベル陛下の元にはジャルラン殿下への婚約の申込みが殺到しているという話だが、ジャルラン殿下は乗り気でないようで断っているそうだ。


 今日のパーティに参加している貴族たちの殆どは、ニールセン王家の方針に賛同している。そうでなくてはその方針に従って設立された魔法学園に自家の子弟を入れはしない。


 だが、同じ貴族家中でも方針が割れたり、とりあえずの様子見で子弟を入学させたという家もあるだろう。


 そうした貴族家の中には王太子争いに付け込み自家の権勢を広げようという者が居るかも知れず、今日のジョアン殿下のような一見迂闊うかつな行動は控えるべきだと思うのだけれど。



 つらつらそんなことを考えていたら、一人で佇む私を見かねてなのか、第二王子ジャルラン=ニールセン殿下が飲み物を手に話しかけに来てくれた。


 「一人か? ジャニーン。兄さんはどうした?」


 私が手にした果実酒のカクテルが3分の1程に減ったのを見て、新しい果実酒のフルートグラスを手渡される。


 「お気遣いありがとう、ジャル。彼は挨拶回りがあると言って離れたわ。講師の先生方と最後の別れを惜しんでいるのでしょう」


 「兄さんも困ったものだな。こんなに美しい婚約者を放っておくなんて、飢えた狼の群れに餌を投げ与えるようなものだ」


 「あら、ジャルにしては珍しい。お世辞でも嬉しいわ」


 「お世辞ではない。ジャニーンは自分の美しさをもっと自覚したほうがいい」


 普段寡黙な第二王子のお世辞に、周りの令息令嬢が目を丸くし、王子と公爵令嬢の会話をおもんばかって離れていく。


 「褒められるのは嬉しいけれど、そこまで自惚れられるほど私は愚かではないわ。私のお母さまからは、まだまだ一人前の貴婦人には程遠いと言われているもの」


 「ハールディーズ公爵夫人か。『氷の貴婦人』の別名の通り、凛として気品溢れる方だな。昔から夫人の前に出る時は私も緊張する」


 「あら? あなたが婚約者を作らないでいるのって、私のお母さま目当てなの?」


 少しこのカタブツ王子を揶揄からかってみた。


 「まさか。確かに夫人は美しく聡明な方だが、懸想けそうする程恥知らずでも命知らずでもない。そんな気配を僅かでもハールディーズ公爵の前で見せようものなら八つ裂きにされてしまう」


 前回の剣術全国大会の準々決勝でお父様と当たり、善戦はしたものの最後は力の差を見せつけられて敗北したジャルラン殿下はお父様の強さを身に染みて分かっているようだ。ちなみに優勝したのはお父様で、お父様と一瞬でも互角の打ち合いを演じたジャルラン殿下の強さも王国内に知れ渡ることとなったのだが。


 「そうね。お父様はお母さまに頭が上がらないけれど、お母さまにみだりに近づこうとする者には容赦ないもの。ジャルもいつまでも婚約者を決めないでいると変な誤解や憶測をする者が出ないとも限らないわ。誰か気になるご令嬢はいないの?」


 普段魔法学園では寡黙かもくで通っていて、あまり喋らないジャルラン殿下が、今宵は少し口が滑らか。普段は聞けないことも聞いてみる。


 「気になる女性ひとか…… 気にしても詮無せんないこともあるのでね……」


 「あらあら、第二王子殿下に心を寄せられて袖にする貴婦人はいないと思うわよ。縁談の話を断ってるって噂は本当?」


 「まったく人の口に戸は建てられん、とは良く言ったものだ。まさかジャニーンの耳にまで届いているとは」


 「あら、一応私は未来の姉候補よ? ジョアンが時々あなたのことを心配して話してくれるの。ジャルが身を固めてくれれば王家は安泰なのにって」


 「兄さんは何言ってるんだ? まったく。兄さんとジャニーンが一緒になれば王国の未来は明るいだろうに。昔から変なところで気をつかうんだから」


 ジョアンの話を出すと、ジャルの口調が昔のお兄ちゃん子だった時のものに少し戻る。


 学園内ではジョアン殿下とジャルラン殿下はお互い挨拶程度の会話しか交わさないし、口調も硬い。


 ぎこちない会話をする二人を見て学園の生徒達や生徒の親の貴族たちは、やはり二人は王太子を巡って争っており、仲は険悪なのだろうと噂している。


 でも私は昔から2人のことを知っている。ジャルラン殿下は昔からお兄ちゃん子で、小さい頃はジョアン殿下と遊ぶ貴重な時間を邪魔する邪魔者として私に食って掛かってきたこともあるくらいなのだ。


「安心したわ。ジャルも案外変わってないようで」


 私が5歳でジョアン殿下と知り合った頃、王宮の四阿あずまやでジョアン殿下とお茶、だけでは飽き足らずに庭園の散策にかこつけてはジョアン殿下と高位貴族らしからぬ「かくれんぼ」や「鬼ごっこ」に興じていた。


 「かくれんぼ」や「鬼ごっこ」なんて庶民の遊びを何故ジョアン殿下がご存じだったのかはわからないが、妙に博識な彼は「ジャルと遊べる時は一緒にやってるんだ」と言って私にも教えてくれた。


 お転婆だった私はすっかり気に入って、王宮に来るたびに侍女やメイドがいさめても庭園の散策と言ってジョアン殿下と「鬼ごっこ」や「かくれんぼ」に興じていた。


 ある日、かくれんぼで隠れている私のところに「君がお茶の後長く居座るから、僕がお兄ちゃんと遊べないんだ!」と大声で文句を言いに来たのがジャルラン殿下との初対面だった。


 私は文句の内容よりも、ジャルラン殿下の大声でジョアン殿下に隠れている場所がバレた事に腹が立ち、「あんたのせいで見つかっちゃったじゃないの! あんたルールわかってんの! 次のお茶会のお菓子ジョアンにとられちゃうじゃないの!」と逆ギレした。


 今の私なら、自分のしたことの恥ずかしさで消えてなくなりたい。


 しかも、私の怒鳴り声が四阿あずまやで待っていたイザベル陛下やお母さまに聞こえて、高位貴族らしからぬ遊びをしていたことまでバレてしまい、以後ジョアン殿下、ジャルラン殿下、私の3人は「鬼ごっこ」や「かくれんぼ」禁止の憂き目に会ってしまった。


 王妃陛下に叱られている時にジャルラン殿下がチラチラ私を見る目には、兄とのお気に入りの遊びを奪われた憤怒ふんぬの色が宿っていた。


 直後のお茶会にジョアン殿下が渋るジャルラン殿下を連れて来てくれて、私がジャルラン殿下に謝る機会を作ってくれた。


 私の謝罪は受けてもらえたが、兄とのお気に入りの遊びを禁止されたジャルラン殿下の機嫌はすぐに直りはしなかった。


 でもジョアン殿下が「今度は3人で一緒に遊ぼう、あれよりおとなしい遊びを教えるから」と取り成してくれたおかげで仲がこじれることなく済んだ。


 その後は3人でお茶会の時に一緒に過ごすようになり、剣術など体を動かすことに対しての話が合うことで私とジャルラン殿下も徐々に仲良くなっていった。


 「今思い出したけれど初めて会った時のこと、ごめんなさい。思い出したら自分の行動が恥ずかしすぎて……」


 今更だけれど恥ずかしさが込み上げ、手に持った扇で顔を覆う。


 「まだ5歳の年端も行かぬ頃の話だ。王族らしからぬ遊びに熱中していた、私にとっても恥ずかしい過去だ。忘れてくれ」


 とジャルラン殿下は笑顔で言う。 


 続けてジャルラン殿下が言う。


 「兄さんはあの頃から常人離れした発想、着想で周りを巻き込む。私たちがある意味最初の被害者だったな」


 「そうね。私たちが最初の被害者ね。でも共犯者でもあったわ。そうではなくて?」


 「ああ、私も積極的な共犯者だった。巻き込まれた者が自ら積極的にのめり込んでいく。まったく大したものだ。父が兄さんとジャニーンを婚約させたのも、兄さんのそんなところを評価してのことだろう。兄さんはいつも私の上を行っている」


 「あら、そうかしら? 彼には彼の、ジャルにはジャルの、それぞれお互いより優れたところがあるわよ。それに陛下は聡明な方。彼とジャル、二人の資質はしっかり見ておられる筈。 私と彼の婚約は王国安定のための政略結婚、それ以上でもそれ以下でもないと思うわよ」


 私とジョアン殿下が婚約した当時は、隣国エイクロイド帝国が他国への侵略の意図を顕わにし始め、我が国の南に位置するトリエル王国への侵攻が始まった頃だった。


 エイクロイド帝国の東側に我がアレイエム王国は接している。長大な国境線で接している我がアレイエム王国が動けないように、エイクロイド帝国は我が国の諸侯に接触して王国を内から揺さぶろうとしていた。


 ニールセン王家は揺れる国内の安定のため、アレイエム王国内で王家に次ぐ2番目の勢力で王家直轄領の隣にあたるハールディース公爵家を血縁として取り込もうとした。


 それで私とジョアン殿下に白羽の矢が立ったのだ。


 婚約が決まった9歳当時の私の感覚としては、お互いに恋愛感情があった訳ではないものの、仲のいい友達同士で将来一緒になる約束をさせられた、という感じだった。


 別にジョアン殿下のことは嫌じゃなかったから私は受け入れた。


 正直相手がジャルラン殿下だったとしても私は婚約を受け入れたと思う。


 どちらの王子にも親愛はあったが、憧れや恋心は抱いていなかった。


 憧れや恋心を抱けるほど私は成熟していなかったのだ。



 「正直、兄さんがジャニーンと婚約したことを内々に知らされた時は、私もジャニーンと婚約する! って父と母に駄々をこねたんだ。 仲のいい二人に私だけ除け者にされるような気がしてね。 当然そんな戯言たわごとは取り合ってもらえる訳もない。我ながら道理をわきまえない子供だったよ」


 「私達のこと、そんな風に思ってたのね。王子に対してこんなこと思うのは不敬なんでしょうけど、私にとってもジョアンとジャルはいい友達だと思っていたわ。あの頃はどちらが婚約者になったとしても、ピンと来てなかった。それだけ幼かったのよ」


 「ああ、でもあれからずっと頭を離れない思いがあってね。何故あの時両親は私をジャニーンの婚約者にしなかったんだろう、どちらでも良いなら私でも良かったんじゃないか? もし私が先にジャニーンと出会っていたら違っていたのだろうか? そんなことを未練がましく考えてしまう自分がいる」


 へ? 今日のジャルラン殿下は口が滑らか過ぎる。今私たちの周りは他の参加者が王子と公爵令嬢の会話を気遣って離れてくれているので私たちの会話は聞こえていないと思う。それでも慮外者りょがいものが不意に近づき会話が漏れることもある。今の発言は兄の婚約者に弟が懸想けそうしていると取られかねない。


 「ちょっと、ジャル? どうしたの? 今日のあなたは少し余計なことまで喋り過ぎているわよ」


 「そうだな。飲みつけないカクテルと、ジャニーンとの甘苦い思い出に酔った、としておこうか。酔いを口実にするのは女性だけの特権にしておくのは勿体ないからな」


 「何を言ってるの? 学園に入学してからの寡黙かもくで落ち着いたジャルらしくないわよ……」


 「ああ、だから酔ったのだ。久々にジャニーンと気兼ねなく話す、この語らいの機会に。兄さんと婚約した後のジャニーンは王都に来ることがめっきり減った。王家主催のパーティに兄さんの婚約者として出席する時以外はほとんどハールディース領。パーティで兄さんにエスコートされるジャニーンは年々貴婦人らしく磨かれ、つややかに魅力を増していった」


 「そう言っていただけるのは光栄だわ。お転婆で我儘わがままに育った私を王家の婚約者にふさわしい一人前の淑女にするため、お母さまは領地で私をずっとずっと厳しく指導していたもの」


 ちなみにいわゆる王妃教育、というものは行われない。


 周辺諸国はとある理由で殆ど言語は方言程度の違いしかなく、外交上の礼儀もほぼ一緒だ。今後はわからないが、今のところ大貴族の代表という立場の王家の妃に必要な振る舞いなどはしっかり領内統治を行っている貴族家であれば、各家で教えれば事足りるのだ。


 そんな訳で私は婚約後はハールディーズ家でお母さまにみっちりしごかれた。


 お母様の淑女教育。


 学園で一緒になった他の貴族令嬢に聞いた限りでは、私の推定だがアレイエム王国で1,2を争う厳しさだと思う。


 優雅な歩き方を身につけるためと言って雪の降り積もる中3時間も外で足の運びを練習させられたりしたのだ。雪でバランスを崩さないよう、また歩いたあとの雪に残る足跡を見て、まっすぐバランス良く歩けているかを常に確認するのに丁度いいと言われて。


 学園に入学する年まで、毎年冬はずっとだ。


 泣く涙も凍る気温の元でも続けられた。


 あの地獄の鬼にしごかれたかと思う努力を評価されるのは正直嬉しい。


 「兄さんにエスコートされるジャニーンは眩しかった。学園に入学すればまた私もジャニーンと昔のように話せる。それが楽しみだった。だが、いざ学園でジャニーンと一緒になった時、昔のよしみで話しかけていいものか迷った。

 それ程ジャニーンの貴婦人としての振る舞いは見事だった。他の貴族令嬢が居並ぶ中、ジャニーンの優雅さと奥ゆかしさは際立っていた。私は、私自身がジャニーンに並べるだけの振る舞いと教養と力、それを示すことができないのであれば気安く話しかけるべきではない、そう思っていたのだ」


 ジャルラン殿下は気づいているのだろうか?


 客観的に見て完全に口説きに入っていることを。


 これ以上、口説かせてはならない。


 ジャルラン殿下のためにも。


 「そうね。ジャルはすっかり大人の男性になったと思うわ。私から見ても落ち着きがあって魅力的ってことは保証する。身内贔屓みうちびいきに思うかも知れないけれど、小さい頃から一緒に過ごした一人の女性としての意見。ジャルが色々と自分で自分を磨き上げる努力をしてきた結果よ」


 ジョアンの婚約者、という立場に、もう一度やんわりと触れてみる。


 ジャルラン殿下はそれに気づき、一瞬少しだけ淋しそうな目をした。


 が、その目の印象を隠すようにすぐに柔らかい笑みを浮かべ


 「ああ、自信になるよ、ありがとう」と落ち着いた口調で礼を述べた。


 ようやくジャルラン殿下も「酔い」が醒めたようだ。


 「そうよ、ジャルは魅力的なの。自信を持って。 ところでごめんなさい、私の相手をしてもらってジャルの貴重な時間を奪ってしまったわ。ジャルのことをもっと知りたいと思っている令嬢方に恨まれてしまうわね」


 「こちらこそ済まない。ジャニーンと話せて楽しかった。素敵な貴婦人レディにいただいた自信、他の令嬢方のことを深く知るために、活用させていただくことにするよ」


 そこまでジャルラン殿下と話した時、不意に会場の照明が絞られた。


 話し込んでいるうちに、パーティはこれからダンスに移ろうか、というタイミングに差し掛かったようだ。






  中編に続く


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