過ぎ去った日々をもう一度 

神村 涼

第1話 日常

 校舎の窓から外を眺めると、校庭に植えられた桜の木には淡い桃色の花弁がまばらに咲いていた。


 授業の終わりを告げるチャイムが鳴ると、椅子をガタガタと引く音と共に、あちらこちらで喧騒が聞こえだす。


 「部活行こー」

 「帰りに美味しいケーキ屋行こうよ」

 「今日何して遊ぼうか?」

 「お前の家でゲームやろうぜ」


 特に用事が無い僕は、飛び交う言葉を置き去りにしながら教室を出る。廊下を一人歩いていると、後ろから「一緒に帰ろうよ」と手を振っている女生徒の姿があった。


 あれはクラスメイトの友原さんだ。僕と一緒に? そう疑問に思いながらも僕は釣られて控え目に手を挙げる。


 彼女は笑顔のまま僕の横を何事も無く通り過ぎ、後ろにいた女友達の元へ駆け寄った。甲高い声で楽しそうに話す姿を尻目に、僕の手は虚しく空気を掴み、そのままポケットへおさめた。


 そうだよな……僕と一緒に帰ろうなんて――。


 ブブッ。ポケットに突っ込んだ手に短い振動が伝わる。携帯電話を取り出して画面に目を向ける。そこには母と表示されていた。


 『あ』


 メッセージにはその一文字だけ、誰かが見たら誤送信と思うだろう。携帯電話が不慣れな母、ありそうな話だがそうでは無い。この一文字の意味が分かるのは家族である僕だけだ。


 どうせ、帰ってもする事は無いし帰る前に、いつもの喫茶店にでも寄って行こう。


 行き先を決めた僕は再び歩き出して駐輪場へと向かった。


 学校を出てしばらく進むと直ぐ大きな車道にぶつかる。交差点の信号機は赤色を表示していた。


 「この信号機変わるの遅いな」


 意味の無い独り言は、大通りを通行する車の排気音と共に持っていかれた。


 「おい! 佐野! 何やってんだ!」

 

 名前を呼ばれて学校の方を振り返ると運動部員の一人が、先輩らしき人に呼ばれていた。


 「紛らわしい」


 独り悪態を吐くも聞いてくれる人はいない。佐野蓮さのれんそれが僕の名前でありきたりな漢字。信号待ちの間にふと今までの高校生活を思い返した。


 学校へ行き授業が終わって家路について、辺りが暗くなると僕はベッドに潜る。ベルトコンベアに流されて行く荷物の様に毎日を送る日々。


 僕は失敗した。入学初期の友好関係を築け無いまま、いつの間にか僕の高校生活は残すところ後一年と少し。


 別にいじめられているわけでも、避けられているわけでもない。ただ、行事連絡程度の会話しか僕には投げかけられなかった。


 こんな筈では無かった、僕が望んだ形では歩めなかったのだ。


 カッコー、カッコー。その音で意識を戻すと、信号機は青く点灯していた。ぐっと足に力を込めて、ペダルを踏み出した。


 高校生活と言えば他の人はどんな事を思い浮かべるのだろう。

 

 新しい友達との出会いや部活、体育祭や文化祭などの各イベント事を、皆と協力して楽しんだりと誰もが夢見る事だろう。


 当然、僕も入学当初は華のある光景を幾つも描いていた。放課後に友達とカフェに行ったり、夏休みには海や川、冬にはスキーとか列挙するとキリがない。好きな子が出来ると、また違った楽しみがあるんだろうな。


 そんな他愛の無い想像は天井を知らずに膨らむばかりだった。


 その喫茶店は、僕の通学路にポツンとある。門構えは古民家を改修した建物でさながら隠れ家と具合で、客層は近くの主婦で多く席が埋められている。


 僕が帰宅する時分になると夕食の準備の為か、仕事をサボっていそうな営業マンと近所のじいさんがちらほらいるばかりだ。


 店の扉を開けると古めかしい鈴の音が店内に響き、カウンター越しからマスターが声を掛けてきた。


 「いらっしゃい。蓮君、いつもので良いかい?」

 「坂本さん、どうも。はい、お願いします」


 この店のマスターである坂本さんの渋めな声を聞くと、先程のもどかしい思いが幾分か穏やかになる気がした。


 いつものカウンター席に腰を下ろすと、マスターは早速コーヒーの準備を始める。適当な量の豆を焙煎し始め、店内に香ばしい匂いが充満する。ガリガリと手動で挽くコーヒーミルの小気味良い声を聴かせてくれる。


 コーヒーの良い香りが漂って来る頃には、店内には僕一人だけとなっていた。


 「お待たせ。当店特製のオリジナルブレンドだよ」

 「有難うございます」


 目の前に出されたコーヒーカップを手に取り、口元を濡らす。このお店のコーヒーはブラックでも、ほんのりと甘く感じて僕でも飲めるから好きだ。


 食器類を片付けながら坂本さんは話しかけてきた。


 「今日はどの位いるんだい?」

 「わかりません。迷惑であれば直ぐに言ってください」


 坂本さんは首を左右に振って微笑みを浮かべる。


 「迷惑だなんてあるものか。俺はコーヒーだけじゃない、この空間も客に提供してるんだ。居たければ心行くまで堪能してくれよ」


 僕に気を使っているのだろう、コーヒー一杯だけで長居する客は店にとってはマイナスでしかない。それくらい高校生の僕でも分かる。それにも関わらず僕がここに通えているのは坂本さんの優しさがあってこそだ。


 坂本さんは店の仕事をし始めて、それなりに忙しそうにしている。僕は少しずつコーヒーを口に運びながら、ただただ時間が流れるのを待つばかりだ。


 クラスで人気者の彼、彼女達はカラオケとか行って遊びながら過ごすのだろうな。 その彼や彼女と僕の違いは何だろう? わからない。ノリが良いから? 誘われれば僕も行くよ。容姿が良いから? 悪い方では無いと思う。コミュ力? そもそも話しかけられない。どうして? わからない。考えて、悩んで、また考えて。


 当然、最初の頃は頑張った。自分から声を掛けて話したりもした。だけど、そこまでだった。誰が悪いとかそう言う事じゃない。


 ただ、僕にはそれ以上の興味もそれ以下の注目も向けられなかっただけ。


 簡潔にいえば、一人ぼっち。クラスメイトには、僕の事は唯の人という認識以上の事は無いのだ。良くも悪くも普通と言う言葉がぴったりと当て嵌まる。

 高校生活を振り返ると『無難に過ごして来た』という一言で収まるだろう。


 あれからどれくらい時間がたったのだろう。カウンターに置いていた携帯が振動と共に僅かに動いたので、画面を見ると母と表示されていた。


 『ん』


 待っていたメッセージがやっと来た。もう冷めきってしまった残りのコーヒーを飲み干すと、僕は坂本さんにお礼を言って喫茶店を後にする。


 外は既に暗くなっていた。昼間は感じなかったが春先の夜は、まだ少し肌寒い。自転車の速度が出る度に、指先が冷えてくる。


 閑静な住宅地の一軒に僕達の住む家がある。別れた父さんが残してくれたそうだ。父さんと言っても物心つく前にはもう、母さんと妹の三人で暮らしていた。


 家に着くと周りの家と違い夕食時にも関わらず暗く、まるで寝静まっているかのようだ。母さんは仕事に出掛けたのだろう、父さんと離婚してからは昼夜働いている。


 玄関を開けると妹のローファーが乱雑に脱ぎ捨てられ、近くにはゴミ袋が並べられている。明日の朝出すゴミの中身はプラスチック容器が多数を占めていた。それを見て思わず溜息が出た。


 洗面所に向かい手洗いを済ませ、台所に向かった。冷蔵庫に入っていた総菜の唐揚げをレンジで温めて、炊飯器からご飯を装う。


 温め終わるのを待っている間、ちらりと流し台に目を向けると、そこには逆様になった空き缶が並べられている。


 チーン。静かな台所で唐揚げが温められた事を知らせてくれる。


 「いただきます」


 リビングでは僕が、ご飯を咀嚼する音だけが聞こえていた。


 腹も膨れて、今日の汚れを洗い流した後、僕は自室で眠りに就く。これが僕の一日だ。  


 翌朝、自転車に跨り昨日と変わらない通学路を通って、目的地の高校を遮る大通りへと出た。


 この大通りは通行量が多く、見通しも良いので早い速度の車がたまに通る事がある。その横断歩道では、多くの学生達が青信号に切り替わるのを待っていた。


 僕は最前列で、僕の直ぐ後ろには沢山の学生がいた。スマホを片手に画面を凝視している女子やイヤホンをしてリズミカルに口ずさむ男子の姿が伺える。


 何処でも見覚えのある光景、これだけ人が集まっていながら人の話し声は、車が通る度に掻き消えてしまっている。


 しかし、いつも思うけどこの信号は長いな。


 すると突如、僕の後ろの方で騒めきが起ったのを感じた。その騒めきは人から人へと伝染し、波紋状に広がっていた。


 不意に誰かに背中を押された気がして、僕は自転車から放り出されて車道へと飛び出してしまった。


 横断歩道の信号は赤く点灯したままだった。視界の端にも車両が近づいているのが分かる。


 「危ない!」


 誰かがそう叫んだ。歩道側に目を向けると誰かが手を差し伸べてくれている。一歩を踏み出し手を出せば届く距離。でも――。


 その瞬間に僕は不思議な体験をした。周りの喧噪は鳴りやみ、自分の鼓動が聞こえだした。意識はゆっくりと流れ、運転手と目線が合う。


 こういう時には走馬灯が駆け巡るって言うけれど、僕にその現象は起らなかった――。


 「ははっ。――やっぱりね」


 独り言ちたあと僕の意識は途切れるのだった。 

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