ボールペン失楽園

 アジア大陸の片隅にある日本という島に、涼格というろくでなしがいた。涼格は筆記具を粗末に扱うクソガキであった。毎日のように鉛筆を落としては落とし物として届けられていた。


 そんなクソガキもいつしか中学生になり、塾に通うようになった。塾に通う道すがら、ショッピングセンターをぶらついていた。

 彼はそこでラバー80と出会った。ゼブラ神の創造された奇跡の聖剣である。

 ラバーによって手が痛くなるのを軽減するという売り文句に惹かれ、彼はそれを購入した。そして一気に虜になった。

 あまりに好きすぎて、初めて替え芯を買ってリフィルを入れ替えて使った。ラバーが割れて口金が締まらなくなるまで使い倒した。彼は初めて文房具に愛着というものを持ったのである。



 しばらくすると、ゼブラ神がさらなる奇跡をもたらした。ジムニーの登場である。万年筆型の透明軸で、グリップにはラバーが仕込まれている。万年筆の持ち心地と透明軸の利便性、ラバーグリップの優しさを兼ね備えた、まさしく完璧なボールペンだった。

 涼格はジムニーに病みつきになった。あまりにリフィルを入れ替えすぎて、ラバーが劣化して膨張し、キャップが閉まらなくなるまで使い倒した。

 ジムニーこそ最高の筆記具だと彼は思った。



 しかし、ゼブラ神はまだ満足しておられなかった。さらなる改良を施したジムニーライトを降臨なされた。謳われていたなめらかインクのなめらかさは正直実感できなかったが、驚くことにラバーが強化されていた。ジムニーと同じだけ使っても劣化の度合いが少ないのである。倍くらいリフィルを入れ替えても使えた。

 涼格は己の不明を恥じた。ジムニーで満足してしまった自分を情けなく思った。そして、ゼブラ神の偉大さを改めて悟った。



 ゼブラ神が、新たな天啓を下された。ジムニースティックである。新油性と謳った超絶なめらかインクが搭載された未来のボールペンである。

 確かにジムニースティックはなめらかインクだったが、少々問題があった。あまりにインクがなめらかすぎて、裏抜けしてしまうのである。表裏両面に書いたノートがめっちゃくちゃ。


 涼格はジムニースティックはなかったことにした。


 なお、ジムニースティックのリフィルであるUK芯はその後改良され、裏抜けしなくなった。ただし、なめらかさも失ってしまい、普通のジムノックのK芯と大差ない性能に落ち着いている。



 涼格は10年近く、ジムニーとジムニーライトだけを使い続けた。筆記具はそれだけで良かった。他のペンは必要なく、考える必要もなかった。彼はエデンの園で平穏無事に暮らしていたのである。



 しかし、その平穏は突然破られることになる。ゼブラ神はジムニー、ジムニーライトを廃番にされたのである。


 なぜ神はこのような無体を行ったのか、それはわからない。ノック式ボールペンが主流になり、キャップ式が廃れてきていたとはいえ、クリスタルやラバー80は健在なのである。ジムニーの兄弟である、ノック式のジムノックも健在。だったらなぜ、この完璧なボールペンを廃番にする必要が?


 これは推測だが、ジムニーやジムニーライトは、先代社長の石川秀明氏の肝入りだったらしい。1998年に石川真一氏が社長の座に着いたとき、粛正が行われたのではなかろうか。先代の影響が色濃く残るペンを一掃して、社風を一新したかったのかもしれない。


 いずれにせよ、涼格は突如としてゼブラの楽園から追われた。いままで何も考えることなく、ただ同じ文具を使い続けてきた腑抜け野郎は、寒空の下で新しい相棒を探さねばならなくなったのである。



 涼格はさまざまなボールペンを買い求めては試した。そうして行き着いた結論は、サラサスティックの0.4mmだった。


 ジムニーライトを使っていた頃の涼格の悩みのひとつは、いくらなんでも字が汚すぎたことだった。ノートを見返すのが嫌になるくらい筆跡が醜い。

 しかしそれは、ゲルインクボールペンを使うことで改善されることがわかった。油性ボールペンはダマやボタのせいで、筆跡が汚くなりがちである。しかしゲルインクなら均一な筆跡になるのできれいになる。ペン習字など習わずとも、ただ筆記具を変えるだけで劇的に改善されるのである。


 ただ、ゲルインクの0.5mmはインクが出すぎてよろしくない。いろいろ試したところ、0.4mmがちょうどいいだろうという結論に到った。


 ゲルインクは油性に比べて豊富なインクカラーが特徴だが、中でも涼格が惹かれたのはサラサのブルーブラックだった。しかし、サラサクリップの軸は太すぎて涼格には使いづらく感じた。

 そこで、サラサスティックである。これはちょうどジムニーライトと似たような持ち味のペンで、彼が乗り換えるには最適だった。



 ようやく新しい安住の地を見つけたと思った矢先、神はさらなる試練をお与えになった。サラサスティックが廃番になったのである。


 涼格は言った。


「おお主よ、なぜあなたは私を苦しめるのですか。私はあなたをこんなに愛し、従ってきたというのに」


 主は言われた。


「薄汚い人間よ、去るがいい。サラサクリップにケチを付ける者に災いあれ。売れ行きの悪いキャップ式に固執する者は地獄に落ち、その業火で永久に焼かれるであろう」



 こうして涼格は再び楽園から追い出された。そして、真に相棒たる奇跡の一本を求める、長く果てしない流浪の旅へと出たのである。


 そのおかげでこの覚え書きができたわけであるが。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る