08

 その日の昼頃。


「よければ今晩飲まないかい?」


 秀一からそんな連絡があった。


 スタジオで解散して以来、自分たちは一度も連絡を取り合うこともなく、各々の生活に戻っていた。


 自分で言うのもなんだが友人は多い。こいつ誰だっけ、となるくらいにはメッセンジャーアプリに友達が追加されている。


 秀一もまた一緒だ。自分とは世界ランクが違う沢山の交友関係を築いており、医学部ということもある。自分より輪にかけて、大学生活は忙しそうにしていた。


 あれ以来会ったのは、大学でたまたますれ違ったときだけ。それも一言二言交わすのみ。今度飲みに行こうか、なんて話になることはついぞなかった。


 それがいつかの五月より余裕はあるも、そこそこ急なお誘いがきたのだ。


 ちとせはあの後、真理と会う約束を取り付けていた。夜ご飯はいらないと言って、勉強を放り出していったのだ。


 父さんも父さんで、ここのところ帰りが遅い。夏の殺人事件は尾を引くどころか、連続殺人事件へと発展していた。世間はその事件を『怪人獄門ちわわ』と呼び、今やノックアウトゲームより関心を集めている。


 そんなだから、かつての五月のように今日の夕飯はどうするか、と悩んでいたところだ。


 お誘いは二つ返事で了承した。


 振り返れば二人で飲みに行ったとき、その全てが秀一の奢りである。一度たりとも財布を出したことがないのに気づいた。


 妹が取り違えられた兄同士でこそあるが、同時に自分たちの間には友情も芽生えていた。経済格差があるとはいえ、いつまでも寄りかかったままではいられない。自分が奢るとは言わずとも、自らが飲み食いした分くらいは支払う所存で臨んでいた。


 目出度い日に食べる物なんて決まっているだろ? そう言わんばかりの、回らない寿司屋に連れて来られるまでは。


 金持ちエリアの、いかにも御用達し感を醸し出すそのお店。どうやら界隈でも有名なお店のようだ。どの界隈かというと、自分には無縁の界隈である。


 通されたのは若造二人が果たして占領していいのか、そう思わざるえない広々とした個室。


 店構えを目の当たりにしてから、ずっと引きつらせていたこの顔面。頭は財布の中身を確認せずとも、絶対に足りんと答えを弾き出していた。


 腰を下ろすと、秀一はいつものようにこう言うのだ。


「急に悪かったね。今日のところは奢らせてくれ」


「よし、だったら奢られてやるか」


 この言葉を吐き出すのに迷いはなかった。


「はは、君は偉そうだ」


 わかっているとばかりに、秀一は清々しそうに笑っていた。


 注文していないのに運ばれてきたビール。それを交わすのを皮切りに、互いのこの一ヶ月、その近況報告を始めたのだ。


 話の中で、自分がミステリを嗜み始めたと伝えたときは、急にその目を輝かせた。どうやらマニアとまでは言わずとも、ミステリ好きであったようだ。


 父さんが怪人獄門ちわわを担当していることもある。それを引っ張り出し、


「この事件はまさに現代の九尾の猫だ。市民の恐怖によって、いずれちわわが獄門される事件が多発するようになるよ。その果てにパニックが置きて、暴動にまで発展するだろうね」


 と、わけのわからんことを熱弁していた。


 なんちゃらクイーンについて語り始めようとしたところを、事件と言えばと今朝の話を引っ張り出した。


 学校で「ちょっと今、スランプ気味なんだ」と何気なく、ちとせは周りに漏らしていたようだ。それを知ったバスケ部のエースから、朝から急な連絡があったらしい。


 いつもなら無視して後から気づかなかった、という案件。だがスマホを触っていたら、いきなり直電が来たので反射的に取ってしまったようだ。


「よかったら息抜きもかねて、遊びにいかないか?」


 要約するとそんな旨。


 勉強もあるから忙しいと断るも、今回は少ししつこかったらしい。


「和民くんのDV男っぷりを垣間見たよ。今日もまた、事件が起こるね」


 ちとせはそんなことを自分に漏らしていた。和民くんの扱いは、相変わらずであったのだ。


 両手を叩いて笑った秀一。ちとせの推理によるノックアウトゲームの犯人は和民くん、秀一にも前からそれを話していたのだ。


 会ったときからわかっていたが、今日の秀一のテンションはやけに高かった。


 ノックアウトゲームの容疑者、和民くん。関連ワードとして、ついに仁美の話が始まったのだ。


「トシと接触する前に、ひととせの曲は散々聞き込んだ。曲に込められている主張、想い、そして熱意。その激しさに引き込まれた。それこそ初めて魂を揺さぶられるほどのロックとの出会いだ。きっとそれは、血の繋がりのある妹が作ったという、贔屓目からだろうと思ってきた」


 自らの言葉に向かって、秀一は首を横に振った。


「でも違った。ひととせの曲には、仁美の魂が宿っていたんだ。それを知らずとも僕は、ひととせに引き込まれた。仁美の魂が僕を呼んだんだ。まさに前に君が言った、死者の声ってやつでね」


 高揚したように声を上げる秀一。仁美の声はこの世界に残されており、子供のようにはしゃいでいるのだ。


 本人に直接語りかけるものでこそないが、音楽という形を持って、仁美の魂は現世にも残されている。


 ああだ、こうだと曲の解説をされるも、自分はまともに聞いたことはない。なにせ英語の曲などわけがわからん。読み書きはできるがヒアリングなど全然だ。


 が、こうして一度解説されたのだ。それを念頭に一度、聞いてみるのも悪くない。そう思えた。


 時間はあっという間に過ぎ、料理が一通り出終わった頃、店を変えようという話になった。秀一はまだまだ話したりないようなので、それに付き合うことにした。


 初雪がいつ振ってもおかしくな時期だ。


 手足がかじかむほどではないが、ジャケットを羽織っているとはいえ肌寒い。いい感じの酔いが、ほろ酔い気分まで引き戻された。


 さて、次はどこに連れてって貰えるのやら。


「ごめん、トシ」


 そんな風に思っていると、隣から謝罪の声があがる。謝らなければいけないのは、ご馳走様を言い忘れていた自分だというのに。


「今回の件は、真実を知りたいという私的な欲求だ。独りよがりな身勝手で巻き込んでおきながら、君一人に解き明かさせてしまった」


 どうやら今回の件の謝罪らしい。


 思い返すとそうである。自分一人で真実にまで辿り着いて、それを報告し、全てのお膳立てをしていた。


「言われてみればそうだな。ヒデはなにもやってねえじゃねぇか」


「ごふっ!」


 酔った勢いでそんなことぶっちゃけると、秀一は噴き出してしまった。いつもの上品さはなく、大笑いに発展しているくらいだ。


「DNA鑑定くらいはやったさ」


「俺が持ってきたものを鑑定に出しただけだろ」


「待ってくれ。じゃあ僕は今回、なにをやったんだい?」


「車を出して、温泉に入って、コーラを飲んでただけだ」


「ははっ、人を巻き込んでおいて、僕がやったのはそれかだけ? 我がことながらろくでもないな」


「そう考えると奢られてやるのは当然だったな。偉そうでもなんでもない」


「そうだ、要求すべき正当な対価だ」


 自分たちは二人して、ゲラゲラと笑ってしまった。


 この都市はノックアウトゲームだけではなく、怪人獄門ちわわが活躍したりと、物騒な世の中になってきた。夜は外出を避ける者が多く、飲食店は売上が二割減など、社会的影響は少なくない。


 金持ちエリアなだけあって、周囲は静かである。まさに模範的な、近所迷惑な若者を自分たちは演じていた。


「真実を知らなければ、僕は仁美を疑う酷い兄であり続けていた」


 笑いが一度落ち着くと、そんな続きを秀一は語った。


「仁美はずっと、僕たちと変わらぬ家族であり続けたかっただけ。胸を張れないものはそこにない。それが仁美の真実だ」


「いいや、それは違うぞヒデ」


「え……?」


 ここまできて、まだ他になにか残されているのか。これ以外の解答があるのかと、不思議そうにしていた。


「仁美は変わらぬどころか、おまえとは家族を育みたがっていたぞ」


「僕はさ、いい話をしているつもりなんだ」


 茶々を入れる自分に、渋面する秀一。その顔が面白すぎた。


 呆れて物も言えないといった感じの秀一。次の瞬間には諦めた風に、しょうがないなと笑いながら空を見上げた。


「ようやく全てを吹っ切れた。折り合いもついた」


 その空に昇った魂に思い馳せるような横顔。


「仁美がいなくなった世界。ようやくその世界で生きていく決心ができた。


 ――だから、ありがとう、トシ」 


 自分のおかげで新たな道を踏み出す決心ができたと。どこまでも真っ直ぐな、心からの感謝。


 普段向けられないそれを受けながら、込み上がってきたものがある。


 感動ではない。照れくささでもない。


 まさに寒空の下に相応しいものが今、一気に込み上がってきた。


「ヤバイ、トイレ」


 尿意である。

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