第21話 海賊の幽霊船



 そもそも幽霊船とは、単なる怪奇現象の一つだ。


 操舵する者が不在で、代わりに幽霊が操舵しているとされる船舶である。海で死んだ者の魂が成仏できずに、海上にとどまったまま船と共に海を漂流しているなどとも伝えられていた。


 多くの場合は帆船はんせんであり、海流や風によって海の上を彷徨い続ける。そして大抵はそのままどこかで座礁したり、沈没してしまう。


 システィの目の前には、そんな船が停泊していた。


 それはそれは、立派な船が。



「……とても幽霊船とは思えません」


 一体いつから、どのぐらい漂流していたのかは分からない。ただ目の前にあるその船は、幽霊船という言葉が似合わないほどに形を維持していた。


 ただそれなりに年数は経っているようで、所どころに腐食は見られる。船尾の側面に記された船番は消えかかっており、薄っすらとしか見えない。



 そして、ここにも暇を持て余した島民達がその目で幽霊船を見ようと集まっていた。居住区ほど人は多く無いが密集していて、これ以上は船に近く事が出来ない。



「ロズ、迷子にならないように……ロズ?」


 システィが後ろを振り向くと、ついさっきまでそこにいたはずのロズが忽然と姿を消していた。

 ふぅと溜息を吐く。



(……まぁ、よくある事ですが)


 あの好奇心から考えるに、今頃は幽霊船の近くをうろうろと散策しているのだろう。暫く時間がかかりそうだ。



 しばらくぼーっと船を観察していると、いつの間にか視線を浴びている事に気が付いた。システィは慌てて人混みから抜け出し、桟橋にある係船柱けいせんちゅうに腰掛けた。


 幽霊船から少し離れただけで、喧噪が波音と海鳥の鳴き声に変わった。突き出した桟橋には木箱の山があり、そこで老婆が木彫り細工をしている。



「ふぅ……」


 穏やかで潮風が心地良い。こうして青い海を見ているだけで気分が良くなる。というか、目を閉じたら寝れる。



「……船を見に行かないのかい?」


 システィは声の方に振り向いた。

 木彫り細工をしていた老婆が、にこやかにこちらを見ていた。



「騒々しいのは、少し苦手で」

「儂もじゃ。たかだか一隻の船でここまでの騒ぎになるとはの」


 話しながらも、作業する手は止めない。



(……見覚えのある人形ですね)


 老婆は軽く溜息を吐いて、人形を置いた。

 そして幽霊船に振り向いた。



「――あの船が建造されたのは、30年も前の事じゃ。当時では最先端の技術でな、海の恵みに感謝するという意味を込めて、メルキ船と名付けられた。島は暫くその話題で持ち切りだった。乗組員も一流しかおらんかったからの」

「……幽霊船をご存知なのですか?」


 システィがそう問いかけると、老婆は目を閉じて口を噤んだ。

 そして、悲しい表情で船を眺め始めた。


 この沈黙がそうだと告げているのか、違うと告げているのかは分からない。暫く待っても返事が無かったため、システィは幽霊船の方を見て口を開いた。



「あの船はかなり大きな部類です。寝室や調理場、生簀いけすもそれなりの規模でしょう。そして、砲台などは見当たりませんでした。船首や帆もごく一般的な形で、海賊旗も無く、船体に傷らしい傷も見られません。なのに、海賊船らしいのです」


 システィは一呼吸を置いて話を続ける。



「……私はあの船に見覚えがあります。というか、島の漁師たちは気付いているのではないでしょうか。あれは海賊船というよりも、この島を出入りするな事に」


 システィの言葉で、老婆が目を開いた。


 その時、遠くから聞き慣れた呼び声が響いてきた。



「――お~い、システィ!!」


 呼び声の方向に振り向くと、桟橋の入口からロズが手を振っている姿が見えた。更にその後ろには、木の棒を手にした子供達がぞろぞろと付いてきている。ぱっと見で10人ぐらいはいそうだ。



「な、何してるんですかロズ?」

「お前こそこんな辺鄙な場所で何やって……お、キーラ婆さんじゃないか?」

「チッ……何だい、騒がしいガキかい」


 キーラと呼ばれた老婆の目つきが、急に鋭くなった。



「お知り合いですか?」

「この人はキーラ婆さんだよ。愛を願う人形を作っている土産物屋の店主だ。私は口が達者で商売上手だから雇ってくれって言って、一時的に働いてたんだ」

「とっくにクビだよ。あんた、儂の人形をタダであげてたじゃないかい」

「……流石はロズですね」


 ロズに常識は通用しない。

 あるのは自分の物差しだけだ。



「あれは広告宣伝費だって言ったろ? ぼったくり価格のせいで客がいないのに宣伝を怠るなよ。婆さんこそこんな場所で何してるんだ。人形を売るのを止めて、海に投げて遊んでるのか?」

「そんな無駄な事するのはあんたぐらいだよ……儂はあの船を眺めて黄昏れていたいだけさ」

「あれ、確か近視で遠くは見えないだろ?」

「あんたはもっと気を遣いな!!」

「ほらなシスティ。仲良しなんだよ私達」


 ロズはにっこりと微笑んだ。


 逆にキーラは元気になったというか、ロズの横暴な態度で感情を揺さぶられているらしい。さっきまでの穏やかな様子が嘘のようだ。



「それでロズ、後ろの子供達は何です?」

「彼らは女海賊ロズの子分達だ。幽霊船の周りで暇そうにしてたから捕まえてきた」

「「イィー!!」」

「完全に誘拐じゃないですか」

「ふっ、これだから素人は……」


 ロズは鼻で笑い、目を閉じて眉毛をクイッと上げた。確かにキーラがイラッとする気持ちが分かる。



「システィ・ラ・エスメラルダ姫。世情に疎いお前は知らないだろうが、海賊ってのは演劇の花形なんだ。さぁ子分達よ、羅針盤の示した方角に舵を取れ。そして剣を掲げろ! いざ行かん、夕日の向こうに隠されたニシンを獲りに!!」

「イィー! 行くぞー!」

「ニシンを獲るのだー!!」


 そう言ってロズと子供達は木の棒を空に掲げ、桟橋を戻って行った。港の広場でごっこ遊びをやるつもりだろう。


 走り去って行ったロズ達を見て、キーラが呆れた様に溜息を吐いた。



「まったく。あれは成長しないねぇ」

「ふふ、そこが好ましいんですけどね。あの様子だと、何をしにここに来たのかも忘れてそうです。さて……んー!」


 システィは立ち上がり、大きく伸びをした。ロズも騒動に飽きた事だし、釣竿を回収して家で本でも――。



「待つんじゃ、王家のシスティ先生」

「なっ!! ち、違いますけど何ですか!」


 システィは勢いよく振り向いた。


 キーラが立ち上がり、じっと見ていた。



「知恵の回るあんたに頼みがある。この騒動は儂らの想定外なんじゃ。あの船を取り巻いておる宝探しの連中を、どうにかして黙らせてくれないかい?」



◆ ◆ ◆



 その日の夜、システィの家。



「――それで、あの婆さんは何だって?」


 ロズはシスティのベッドに横になったまま、システィに問いかけた。



 システィの家は、岩山の中にある貸し倉庫の一角にあった。昔は魚の貯蔵庫として使用していた場所で、現在は区分けされて平民達の寝床となっている。



 この島に来た当時、システィは豪華な修道院宿舎を紹介された。だがそれを断ってここで暮らす事にした。狭くて暗い空間が牢屋に似ていて落ち着くのだ。


 そもそも、学園に通わせてもらえるだけでも充分だった。あとは僅かな資金援助があれば食費と蝋燭と少しの私物が買える。将来は不安だが、家族のいないシスティは生きているだけでも運が良いと感じていた。



「これから情報を整理します。それよりもロズ、今日は泊まって行くんですか?」

「そのつもりだったけど、相変わらずお前の家は狭すぎる。久しぶりに来たが、部屋がまた縮んでるじゃないか」

「つまり、私達が成長したと」

「お、分かってきたな」


 部屋の大きさは大人4人が寝転べるかどうか。家具はベッドと棚だけ。ベッドも小さく、2人が寝るには密着するしか方法が無い。更には隣の部屋との間仕切壁は薄く、隙間からは音が漏れ聞こえてくるほどだ。


 そして岩山の中のため暗く、湿度も高い。換気口は空いており風通しは悪くないが、それでも環境は悪い。



「お前もいい加減に平民寮に来いよ、騒がしいけどここよりは快適だぞ」

「いえ……まぁ」


 寮は建物は外に面していて日当たりも良いが、共同部屋だ。羨ましいとは思うが、あの忌避の視線を考えると共同部屋は精神衛生上よくない。これは我儘でもあった。


 システィはベッドに腰掛けて、天井を見上げた。

 そしてふぅと溜息を吐いた。



「……キーラさんは釣り名人だそうです」

「何っ!! 本当か!?」

「もちろん嘘ですよグェッ!!」


 ロズがシスティをホールドした。



「意味のない嘘を吐くな……それで?」

「はぁはぁ……な、何でも守秘義務があるとかで、全てを聞けませんでした」

「守秘義務?」


 ロズはその手を離した。



「頼みがあるってのに、秘密なのか?」

「えぇ。どうやら新聞や島の権力者も関係しているらしいです」


 システィは再び座り直した。


 そして手元にあった宝の地図を開く。

 これがこの騒動の原因だ。



「まぁ、公にしたくないというのは理解は出来ますよ。何せ――この宝の地図が示している場所は、キーラさんの自宅だそうですから」

「――はっ!!?」

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